I am a witness of『Mad Max 怒りのデスロード』 Screaming “Mad”上映@塚口サンサン劇場

今年で62年目になる老舗の映画館、塚口サンサン劇場。4スクリーンあって話題の大型新作&ちょっと前の話題映画をかける二番館的役割のある昔ながらの映画館。塚口といわば微妙な場所で、10分ちょっと電車にのって東にいけば梅田、西に行けば神戸に出られるゆえ、地元映画館としては集客が難しいところだと思われるのだけど、数年前から、ユニークな企画上映をするようになった。「この映画なら電車にのって足をのばしてでも塚口まで観にいこか」というようなラインナップで、映画館スタッフがいかにも映画好きなんだろうなと思う。自分もたまに足をのばして出かけてました。ここ2年くらいは、『パシフィック・リム』激闘上映やインド映画のマサラ上映なんかも話題になってました。(詳しくはこちらを→東京がシネマシティなら関西にはサンサン劇場がある! イベント上映を「アイディアと手作り」で乗り切る“期待の映画館”の舞台裏
そうして今年、サンサンが“あの”話題作を何らかの形で企画上映してくれるにちがいない、と(ごく一部で)期待高まるなか公式ツイッターがつぶやく


このツイートが投下され、キネプレの記事にもなるとかなり反響があったようで、当初は劇場売りも予定していた前売りはぴあでの販売のみに切り替えられました。で、いざ販売されるとわずか4分で完売との報が。そんなチケット争奪戦を経て、行ってきましたサンサン劇場。はたして塚口のヴァルハラの門が開かれたのか…?

告知から上映までにプロの特殊メイクスタジオKID'S COMPANYさんによる特殊メイクブースの設置や南堀江のライブハウスからの音響機材提供によるV-RAMA方式上映、マッドマックスコンベンションにも参加したV-ZONEの方々の参加決定など続々決まる(詳しくはこちらの記事)。この上映を盛り上げたい、と思ったプロの人たちが名乗りを上げたんだろうな、と思った。
せっかくの機会だし、と特殊メイクブースで焼印してほしかったけど、1時間ほどまえに「締め切りました!」とのツイートが。晩御飯を食べて劇場に着くと全身コスプレの人から、一部コスプレの人たちがたくさん。20時に開場し、席につくとみなさん紙ふぶきやクラッカーの準備にいそしむ。事前のツイートで知ってたけどウーファーが増設されてるのを実際に見るとアガります。
館長が注意事項を言うため登場するとわきおこる館長コールとV8のポーズ。つづいてV-ZONEの方々が登場、みんなイモーターン!と叫びつつV8ポーズ、クラッカーが鳴り響きます。

映画泥棒の音楽にすら拍手でノッていく観客。MAD MAX仕様のワーナーのロゴが現れると大拍手で歓声。こんな調子で2時間持つのか…?
イモータンが現れると「イモーターン!」とウォーボーイズと一緒に声を上げV8ポーズっていうのは想像できたけど、これ以外は一体どんな感じになるのかな、と思ってましたが、静かなシーンはやっぱり見入るのだけど、銃撃やらカーアクションのところは大盛り上がり。何度も観てる人がほとんどだろうから、銃声のタイミングがわかってるので、みんなそれにあわせてクラッカーを鳴らす鳴らす。各キャラが登場したときに飛ぶ声援は歌舞伎の掛け声的な、待ってました!という感じ。武器将軍も大人気だし、人食い男爵a.k.a.乳首男爵が出てきたときも乳首いじりにツッコミが入る。予想以上にスリット兄さんやリクタスへの声援も多かったな。途中フュリオサとマックスの格闘シーンは「フュリオサ!」「危ない、うしろ!」「がんばれー」と、や、もう皆どうなるか知ってるのにすごい声援でクラッカーも銃撃にあわせて鳴り、タイコの音にあわせて思わず足を踏み鳴らす。
砂嵐に突っ込んだ瞬間紙ふぶきが舞う。そしてみんなが叫ぶ「what a lovely day!」。沼地を抜けたら大拍手に紙ふぶきと歓声が沸き起こる。クライマックス、フュリオサの「Remember me?」からのイモータンが絶命する瞬間の盛り上がりもすごい。気胸で意識を失いかけるフュリオサを呼び覚ますため輸血し、「呼びかけろ」とワイブズたちにいうと客席からも「フュリオサー」との声がとぶ。ラスト、シタデルに帰ってきて、群衆の中でフュリオサに視線を送るマックスの男前さに5回目の鑑賞にして改めて気づき、感動して自然と拍手をする。この映画の主役はたしかにマックスなんだと実感した。暗転し、“ Directed by George Miller ”のクレジットが出たとき「ジョージ・ミラー監督、こんなおもしろい映画をありがとうございます」という気持ちに改めてなったな。ほかの観客の方も同じような思いなのか、大きな拍手がわきおこる。
一部でさんざんに言われてたMAN WITH A MISSIONさんの日本版エンド曲もすごい盛り上がってておもしろかった*1
ロッキーホラーショー』の踊ったり歌ったりいろいろする方式の上映も観たことあるんだけど、そのときが初見だったし、上映前のレクチャーを受けて「この場面ではこうやって、ここではこうやるんですよ」というのが“お約束”として覚える感じで、なかなかハードル高かった。今回は自分が何回も観てて、とくにお約束化してない映画だから自然といろいろの楽しみ方ができてよかったな*2
それにしても、たのしくていい上映でした。スタッフの皆様と劇場にも感謝感謝。下に引用したサンサン劇場さんのツイート、本当これにつきる、みんないい顔してんな。
「ぴあ」のfacebookにあがってる当日画像https://www.facebook.com/piakansai/posts/945631898808836
Screaming "MAD"上映についてのtogetterまとめhttp://togetter.com/li/863892
※イベント名の元ネタ、スクリーミング・マッド・ジョージさん、今はどうしておられるのかな、とふと思ったりもした。
メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

*1:もともと自分はIMAXで本国版のエンドロールも観てたし、MAN WITH A MISSIONさんのも他の映画でのもっと変なエンド曲に比べると、そうまで気になってなかったけど

*2:そういう意味で『ロッキーホラー〜』も何回も観て臨めば、すごい楽しめるんだろうと思う

『野火』


『野火』大阪での公開2日目にいきました。シネリーブル梅田でネット予約。いつも取る最前列真ん中…は既に押さえられていた。埋まってる席からひとつ空けてとっても、結局あとで誰かがあとでその間を埋めることが多々あるので、と隣を押さえたら最前列はよくみかける常連さん二人組と自分しかいなくて。最前列でちょこんと3人並んで観たわけです*1
塚本監督は『KOTOKO』が物凄く合わなくてかなりしんどかったので『野火』はスルーしようか*2と思ってましたが、昔原作を読んだこともあり気になったので足を運びました。
戦争が激化するほど補充兵役のハードルは低くなり、「根こそぎ動員」という状態になってしまったため、大岡昇平は昭和19年に35歳という年齢で徴兵され苛烈を極めたフィリピン戦線へ派兵されている。この従軍体験は彼にいくつもの作品を書かせている。自分は『野火』『レイテ戦記』『俘虜記』など学生の頃に一時期集中的に読んだ。なにせ昔に読んだから記憶は曖昧だけど、とにかく印象深かったのは大岡のきわめて理智的な筆致。そしてドラマティックというよりはどこか淡々と記述していること*3。しかしこの“劇的に描かない”ということが肝要で、過剰なセンチメンタリズムや反戦メッセージなどない。ひたすらその戦場の凄惨なありよう、人の死体がごろごろし、食べ物や水に飢え、飢餓状態が極限に達し、意識は朦朧とし、土やほこり等で汚れ、不衛生で、太陽の熱に灼かれ、人間性を保つのがギリギリ、いや、その極限を超えて狂いはじめる者がいることなどが、淡々と事実の羅列していくかのように描いているがゆえに、その描写は物凄い強度を持つ。上官の理不尽な命令や暴力などもただ、それをそのまま描くだけで十分。大岡には壮絶な体験だったけれども、彼が派兵されたことで稀有な戦争文学が生み出されたんだよな。
さて、塚本監督の映画化はどうなっていたか、というと、この大岡作品のエッセンスが生かされている、と思った。戦争反対メッセージやお涙ちょうだいの人間ドラマも皆無。ひたすらに極限状態や生者が一瞬でモノ=死体にかわる瞬間、そして人間の本能=飢えているのがツラい、ひたすら食べたい、という最終的な本能だけが研ぎ澄まされ、人の行動原理がそれだけになっていく様子を描いてる。これだけで十分なんだ。もう十分。低予算の映画だけに最初は録音や画質が気になったけど、そのうち気にならなくなる。本能vs本能の対峙場面、ものすごい叫び声をあげる現地住民の女もすごい迫力でした。リリー・フランキーのひたすらにいやぁな感じもよかった、本当に観ているだけでこちらの生理的にいやぁな部分を撫でさするような演技だな、あれは。リリーさんの持ち味を悪いキャラの方面に生かすと、すばらしくいやぁな演出ができるんだよな、と感じる*4。低予算と思えぬ迫力のある死体や人体損壊描写。また予算がないからよりシンプルな表現になっているのも奏功していると思う。ポスタービジュアルを見ればわかるとおりロケーションハンティングがすばらしい。足をつかってロケハンし、無い予算でも工夫して、ここまでできるんだな、と思った。凄惨だけど、目をそらすことができず、でも、そうやすやすと再見することはできない強烈さをもつ映画でした。

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

塚本晋也×野火

塚本晋也×野火

*1:2列目以降もパラパラと入ってましたけどね

*2:KOTOKO』同様塚本さんが出演しているのもちょっと引掛って

*3:『野火』はわりと観念的だったような気がするけど他の作品ことに『レイテ戦記』はことさらこの印象が強い

*4:例『凶悪』

『フレンチアルプスで起きたこと』

予告をみて、たいそうおもしろそうだと思って公開週に足を運びました。緊急事態に陥ったとき取る男女の行動の相違*1が夫婦仲に亀裂をもたらすというおはなし。
フレンチアルプスでヴァケーションを過ごそうとやってくる一家。ゲレンデを眺めながらの優雅なランチ、のはずが、人工的に起こす雪崩が予想外に大きかった。「これはプロの仕事だから大丈夫」と人間のシステムや技術の知識がありそれを信頼し、これはちゃんとunder controlなんだから大丈夫なんだという“男”。それに対し、目の前に起こる事象インパクトに突き動かされ衝動的/感情的に行動する“女”。劇中の男=トマスは劇的なことや自然災害はTVや報道の中でしか起こらず、自分たちはそういう例外に陥らないと思ってるのな。でも自然は人間なんかの予想を超えてくるのが常でして。男は「あ、これヤバいかも」と自分の理性の臨界点を超えた瞬間我を忘れて、でもiPhoneだけは忘れずにまっさきに逃げ出す。でも、人は記憶を書き換える(無意識にもね)から、夫は逃げたけど、そんなに早くなかったよ。走ってなかったよ。家族を気遣うためにすぐ様子をみにもどったし。と自分なりストーリーを作ってる。逃げた云々、ということより「まっさきに逃げてしまった自分」という事実を認めない夫を目の当たりにして、不信からだんだん夫に距離を感じる妻。
事実はひとつでもストーリーは人の数だけ生成されるというのはあたりまえのことで。自分は神戸で阪神大震災を経験してるんですが、そのときのことは自分にせよ、親にせよ、経験したすべての人がそれぞれの物語を作ってる。時間が経つと記憶を整理する。また、人に語るうちにその物語はさらに完成されていくのだ。それは起こった事実からそれぞれの人間の眼や経験を経て物語へ生成変化するわけで。その過程で自分の都合良く書き換えたり、より劇的にするために話を盛ったりしてる。もちろんあくまで無意識にね。だから夫にとっては自分が言ってることは全部真実。ボクは、客観的事実を述べているのだよ、という夫。どうも見解に相違があるようだね、なんていう夫。そんな夫にこんな嘘を平然という人だったっけ、とまるで知らない人のように感じはじめる妻。
この夫が、よりによって自分のiPhoneでその一部始終を録画していたのをつきつけられると、これは認めざるを得ない「客観的証拠」だから、申開きはできない立場に追い詰められ、どうすることもできずうわわーんと泣きだすところがおもしろい。理智的であろう、事実は事実として認めるという立場だから、こういう動かぬ客観的証拠をつきつけられると逃げ場がなくなるんだよな。だから妻はこの録画の存在を知ってたのに、あえてしばらく本人につきつけることをしなかった。しかしどうにもこうにも認めない夫に対して妻も残酷になってしまう。その追求を第三者を呼んでいる場面でやるのだよな*2。逃げ場なし!しばらくはなんとか“自白”させようとしてたんだけど、それがかなわぬとなったら、容赦なく追い詰めていく。妻も最初は波風たてまい、と穏便にすませようとしたんだよね。しかし、心に一度芽生えた考えは、それまではスルー出来たようなささいな言動も養分にしてどんどん成長する。「アレもコレもソレも、夫の家族への愛が浅いことの証左じゃないか」と。だから一縷の望み「夫が自分の行動を認め、あやまる」ことに賭けたんだけど、それがまったくかなわぬとなると、妻のガマンの臨界点を超えてしまい、ここまでやっちゃ、だめだろうな、というところまで追い込みをかけてしまう。
さて、最後は和解したみたいな感じ。いや、でも人間には幸か不幸か「記憶」能力があって、これはなかなか厄介なヤツなんだな。しかも「記憶」は時間とともに盛ったり、自分の都合のいいように生成変化していくのだからこのフレンチアルプスでの記憶がどうこの夫婦の中でそれぞれに生成変化していくのか…一度生じた亀裂はそれ以上深くなることはないのか…この夫婦、そして家族に幸あれ。
『フレンチアルプスで起きたこと』

*1:統計データでもこの夫婦のような行動を取るケースが多いとか

*2:この第三者として巻き込まれる側のもらい事故感もおもしろい

8月1日映画の日に観た二本『ボヴァリー夫人とパン屋』『進撃の巨人』

毎月1日はほとんどの映画館で映画の日。1本大体1100円で観られます。8月1日は土曜で映画の日だったのでハシゴしてきました。作品チョイスは前々から絶対観る予定作品だった『ボヴァリー夫人とパン屋』、あと一本はスルーしようかと思ってたけど試写の評判や諸々で観たくなった『進撃の巨人Part1』です。
『ボヴァリー夫人とパン屋』はジェマ・アタートンとジェイソン・フレミングがイギリス人夫婦役で、この二人がフランスのノルマンディーに引っ越してくるところから始まります。その田舎の古い家の向かいに住んでるのは人の好さそうな、でもその実、妄想力が人並み以上にたくましいパン屋のおっさんなのでした。この妄想おっさんが語り手となって進みます。ジェマが演じるのはジェマ*1。そしてその姓はボヴァリー…となればあのフローベールの大傑作『ボヴァリー夫人』を想起してしまうわけで。しかし妄想おっさんはその超絶美人、というわけではないけど、物憂げな表情やどこか物足りなさそうに宙を眺めるさまが男を引き寄せてしまうジェマに「こんな美人が田舎で充足するわけない!きっと男絡みでトラブルが起こって…『ボヴァリー夫人』と同じ末路をたどるに違いない!」と勝手に妄想。彼女が小説のエマのような悲劇的末路を迎えないようにアレコレ手を尽くそうとするお話。
とにかくジェマ・アタートンが最高でして。『ビザンチウム』の彼女がすごく好きなんですが、スレンダーというよりは迫力ある成熟したボディとすこし乱れた後れ毛がとても似合う彼女は、感情ゆたかで、理知的というよりは、生きることを精いっぱいでより良き生をつかみたい、と常に前を向いているという感じ*2。そんな彼女の雰囲気を十分生かしたキャスティング。彼女が愛犬を散歩させていたら蜂に背中を刺されて、とおりかかった妄想おっさんに毒を吸い出してもうらうため服をはだけ、息も絶え絶えにあえいでるとこ、とか、もう、これ監督、これ、わかっててやってるよね!すばらしいな、まったく!

あと年下の愛人の家に逢引きにいくのに、トレンチコートを着て出かける。愛犬を外の柱にくくりつけると、コートのポケットからハイヒールを取り出し、ゴム長靴から履き替える。そしてその恰好で家に行き、トレンチコートを取ると中は黒のセクシー下着姿!そのままふたりは情事にふけるのでした…

って、ここまで書くと、ジェマって男の夢の結晶か、と思えてくる。実はこの話、映画冒頭ですでにジェマが亡くなっていることが分かる描写から始まってる。ジェイソン・フレミング演じる夫が亡くなった妻の遺品を燃やしてるところから、ジェマが生前につけていた日記を妄想パン屋おっさんが盗み出してきて、それをおっさんが読むことから回想がはじまるのです。だから観客はジェマの日記+妄想おっさんのジェマをのぞき見しては妄想膨らませていたときの記憶がないまぜになった物語をみてるわけで。ということは全部が事実とは限らないよね。日記の行間をパン屋おっさんの妄想で埋めてるのかもしれない、とふと思いました。
出てくるパンもめちゃ美味そうでパンを愛する自分にとってはそれ眺めてるのも至福。オチもイカしてて『(500)日のサマー』のラストを思い起こしました*3。しかしこんな映画が4週連続興行成績1位の大ヒットとなるフランス…さすがだな*4…と改めて思いましたね。
『ボヴァリー夫人とパン屋』


妄想おっさん出演作、これもおもしろい

さて、つづいては『進撃の巨人』アニメは未見、原作は既読です。これはかなり観ていてしんどかった。原作の改変云々以前に、冒頭から繰り広げられる三浦君の演技に藤原竜也さん的な絶叫や間合いと似たものを感じて。三浦君の舞台を一度観たことあるけど、舞台での彼はとてもかっこよかった。しかし、今作での彼は映画のなかで舞台の演技してるみたいですこしオーバーアクトという感じ。観ていて『進撃の巨人』て映画じゃなく舞台化したらすごくいいかもしれないな、と思いはじめる。こどものころは円盤を吊ってる糸がみえても「特撮ってこういうものだから」と脳内で吊り糸を消した体で受け止めるという受容の仕方でOKだったけど、いまは技術の発達でそこらへんクリアできちゃうからなぁ。その「映画内の世界で現実にあるように」「映画内リアリティのしっかりあるもの」として特殊撮影がなされていないと、いまや受け入れられない。でも今作では特技パートがしっくりいってるように見えなかった。違和感を感じてしまった。…でも舞台なら糸がみえても脳内で「糸な無いものとして受け止める」というメソッドが観客側で繰り出されるから。それに巨人のデカさも生の舞台だとすごい迫力だぞ、きっと。
女性の役回りのいかにもお色気要員とか、そういう役割付与的なキャラ設定が空々しくて…エレンもシキシマもミカサのキャラも地面から数センチ浮いてるみたいに物語内での現実感がない。あと、みていてドキドキやワクワクがなかったのが自分のなかで決定的にダメだった。映画を離れたとこから眺めてるような距離感があって。きっと10代の頃なら「巨人きもちわるい!」「人の捕食シーン気持ち悪い!」となっただろうけど、もう、歳も取って、感受性がフレッシュではないのだな、と思いつつ劇場を後にしたのでした。こういうのよりはジェマ・ボヴァリーのほうにワクワクドキドキさせられる歳になったということか、そもそもこの映画に合わなかったのか。どっちなんだろうな。
進撃の巨人

進撃の巨人(17) (講談社コミックス)

進撃の巨人(17) (講談社コミックス)

*1:偶々?同名

*2:あくまで個人的感想です

*3:サマーのあとはオータム来たり、みたいな

*4:なにがさすが、なのかうまく説明できないけど

こんな映画を観られるとは…What a lovely day!『Mad Max:Fury Road』


公開前は、そうまで期待もしていなかった。試写で観る機会をえて、普通のテンションででかけ、体験してしまって以降はふと気づくと脳内をあの色調で支配され、ニュークスやフュリオサ、マックスのイメージがちらつき、火炎放射ギターが脳内でギターをかきならす。家でPCに向かってると、ついJunkie XLのスコアを繰り返し聴き、予告やメイキングをyou tubeで検索しては観てしまう。一般公開されるとIMAXにでかける。そうしたら、また平日仕事しててもあの映画の色調のなかに浮かぶニュークスやフュリオサが(以下略
トゲトゲのヤマアラシ特攻車《BUZZARD EXCAVATOR》に縦横無尽に走りまくるイワオニ族のROCK RIDERS BIKE、そしていかなる状況でもギターをかき鳴らし続ける男の中の男が乗る舞台はDOOF WAGON。巨大砂嵐に巻き込まれる車両とその信じがたい美しさに圧倒され、観ている自分もニュークスにあわせたて叫びたくなる…「What a lovely day!」

沼地にはまる夜の場面の美しさ。武器将軍が目をやられて、包帯でぐるぐる巻きにして、そっからめちゃめちゃに撃ちまくりながら突進する際に鳴り響くヴェルディのレクイエム!

そして人食い男爵の乳首ピアス、そしてすべてのキャラの服装がぴたりとそれしかない、という感じ。マックスとフュリオサの格闘場面。ピストルを手にしたマックスが組み敷いたフュリオサの顔面のそばで連射する場面など、アクションがかっこよくてクール。ニュークスがかわいすぎてたまらない。イモータン・ジョーにいいとこ見せようとして、チェーンがひっかかってこける場面が本当に本当に最高すぎる!アクションや狂った車の爆走の中でも、フュリオサの痛みと怒り、マックスの苦しみ、ニュークスの悲哀、それらはセリフが少なくとも、痛いほど伝わる。
実際にイカれた車を改造しまくってつくりだした実在感。アクションも実際にやってるからこそ、神話的でフィクショナルな世界なのに、ものすごく説得力がある。ディテールの積み上げこそがキモなのだなぁと実感する。そして抑圧された者が権利を取り戻す、人間性を回復するという普遍的な物語がしっかり描かれている。その普遍的物語を彩る狂った車や人間の肉体のディテールがすばらしいから今作は自分の脳内を占拠してるんだと思う。気づいたらまた映画のあの色調に脳内が染められて…(以下略)
たとえば十年後、今作はもうド定番の傑作映画となってるだろう。十年後の若者が観ても面白いし、興奮するだろう。けど、その頃には映画の技術や表現はさらなる進化を遂げているだろうし、『MAD MAX:Fury Road』以後の表現もブラッシュアップされていくだろう*1。未来の若者が観たとき、今作を「名作だけど古い、クラシック」な映画に感じるかもしれないと思うし、そうなるのは世の理だと思う*2。だから自分はいま、この時代にこれを体験できたことにとても興奮しているんだろう。“観る”じゃなく“体験”する、というのがぴったりなんだ。生きていて、歳を重ねて、既知がふえていくなかで、こんなに夢中になって興奮できる体験ができたことがしあわせだな、と思った。あぁ、本当にWhat a lovely movie!ジョージ・ミラー監督に感謝したい気持ちだよ。

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド


予約済み!

*1:かつて2が多大なる影響をあたえ、数多のフォロワーを生んだように

*2:現に自分が『MAD MAX』の1や2を観たとき、おもしろいとは思うけどむかしの作品だな、とは思った

ざっくり振り返る3月ごろにみた映画

とりあえず3月頃に観た映画、どんなのあったっけ。google calendarをみながらふりかえる。
ジョン・ファヴロー『シェフ!〜三ツ星フードトラック始めました〜』からスタート。これはよかった。twitterの使い方、見せ方も上手いしテンポよくザクザク進むし、何より食べ物が超美味そう、最高。

3月の風物詩、大阪アジアン映画祭がはじまってしまうと、もうこれが最優先になってしまう。この映画祭だけでしか観られない映画が多数なので…とはいってもやはり自分は香港、台湾ものに偏ってしまうのですが。『恐怖分子』『アバディーン』『逆転勝ち』『単身男女2』『点対点』『コードネームは孫中山』『軍中楽園』『全力スマッシュ』『セーラ』『国際市場で逢いましょう』の全10本。『恐怖分子』面白かったな!ゾクゾクした。『単身男女2』は恋愛コメディの方のジョニー・トーでルイス・クー最高。もちろんラム・シューも出てますよ。『コードネームは孫中山』はリアル10代の男子たちをキャスティングしているのがすばらしい。超長回しの連発で、正直タルいところやまどろっこしいところもあるけれど、その撮影手法こそがみずみずしい男子中学生のありようを生々しく捉える手法ともいえるんだろうな、と感じた。『軍中楽園』は題材的*1にも日本公開が難しいだろうな、と思ったけど、観たなかでは一番メジャー感のある部類の映画。台湾で大ヒットというのもわかる。『モンガに散る』の監督の作品らしく世間にちゃんと受けるような物語の盛り上げポイントの作り方がしっかりしている。リアリティというよりはファンタジーやフィクショナルなところが目立つ…そうでもしないと悲惨で映画になんかできないだろうけど…うむむ。デレク・クォクとヘンリー・チャンの合同監督作『全力スマッシュ』はエンターテイメントに徹したコメディでおもしろかった!これは普通に公開してほしい!アジアン映画祭は監督やキャストの登壇も多く、客席もアジア映画のファンがつめかけていい雰囲気です。来年以降も続けてほしい。年々公式カタログの紙質がペラペラになってるような気がして、ちょっと気掛かりですが…
アジアン映画祭で多忙の合間にも一般公開作も観に行った。『イミテーション・ゲーム』『博士と彼女のセオリー』前者は本当におもしろくて、カンバーバッチも彼のキャラにはまった役柄でよかったしキーラ・ナイトレイもすばらしかったな。キーラの発したセリフが印象的だった。ホーキング博士のは、文科省が推薦したくなるような感動物語的枠には到底おさまらないホーキングのホーキング力に目を見張る。あとはインド映画『女神は二度微笑む』イギリス映画の『おみおくりの作法』もみました。『おみおくりの作法』は『思秋期』で生理的嫌悪で直視できない役をやっていたエディ・マーサンが主役だったので観るのをためらいましたが(それくらいあの役は強烈だった)、観ました。まさにちょっといい小品、という感じなのですがラストに驚きましたね。いやはや。『女神は二度微笑む』はラスト、祭りのなかでサスペンスが繰り広げられる、というよくありがちな展開ですが、それまでの伏線もうまくておもしろかったです。しかし祭りのなかで犯人らが追跡劇を繰り広げる、って本当2時間ドラマにも良く出てきそうな感じの定番表現だなー、と思ってたら、ついこないだ観たマン氏の『ブラック・ハット』にもこの展開が出てきましてね…
エニグマ アラン・チューリング伝 上

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ベネディクト・カンバーバッチ ホーキング [DVD]

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*1:軍の設けた公設慰安所が舞台(実在したものです)。ワケあり女性がセックスワーカーとして従事している

「連休はこう過ごした、2015年5月大阪神戸」

今週のお題ゴールデンウィーク2015」にたまたま合う内容となります。日常の記録。
仕事はカレンダー通りのお休みとなるため、4月29日(水)祝日ののち、連休前の猛烈な詰め込み仕事を木、金とこなしてクタクタ状態で5月2日から連休突入となりました。とはいえ、あまりに仕事が片付いてない&このままでは連休明けしんどいな、ということで一日休日ボランティア出勤(代休措置とかなんも無いっす)しましたけどね。しかし、普段の週休二日では余裕がないので、たまの祝日は余裕があってうれしい。ということで連休はちょっと出かけたりもしました。
≪ある一日 天王寺動物園へ≫
新世界をめざして歩く

新世界をぶらぶら通る。むかし初めて友人ときたとき、串カツ屋に入ってみるも人がまばらで小奇麗ではなく、通りも閑散、すこし怖いようなところがあった。中島らも氏が「“新”がつくけど新しくない」と、大阪の“新世界”神戸の“新開地”を評してたけど、まさに昭和のまま時が止まってしまったかのようなところだった。でもいまは通天閣のふもとには大きなドラッグストアがあるし、串カツ屋さんもたくさん、行列もずらり、観光客向け土産物屋もたくさんで活況(連休のせいもあるだろうけど)。外国からの観光客も多くてにぎわっててよかった。とはいえ、変わらぬ映画館も。

そうして天王寺動物園へ。新世界のすぐそばですよ。(動物園入口から新世界のほうをながめてみた)

シロクマの赤ちゃんが生まれたのでそれが一番の目的。すくすく育って大きくなってたけどかわいい。


クマがいるエリアでマレーグマ発見。オーディエンスからの「なんかバランスおかしいねん」とのつっこみ。おじさんみたいなクマ。

暑い日で動物たちもぐったり。

爬虫類館も堪能。たのしい。


哀愁ただよう。

やったぁ!たこ焼きだよ!とテンションのあがるシロクマ親子。

あとは白雪姫が時報とともに出てくるのを見たりしました。左右に揺れる白雪姫の動きは完璧にマスターした。

《ある一日 神戸へ》
用事があって神戸へ。大阪よりずっと長く暮らしていた土地なので断然馴染みがあります。さんちかでやっていた催しものを観に行ってみた。インコアイスやぬいぐるみなど素敵な鳥グッズに物欲がたかぶりましたが、とりあえず置物一個だけ購入した。


その後パンを買いに久々にブランジェリー コム・シノワへ。神戸は本当に美味しいパン屋がたくさんある。自分のパン好きも神戸に長らく住んでたことに起因するのかも。安くて庶民的なケルンのパンが神戸に住んでたころの定番だったけど、この日は久々にコム・シノワへ。ここはイートインもある。そこまでお高くなくて美味しい。高くて美味いのは当たり前なので、普段使いできる価格帯でとても美味しいパンを供してくれるお店が大好きな自分的には、ここも大好きなお店なのです。

丸いフランスパン、そして左のパンはちょっと酸っぱいような味もするずっしり重みのあるパン。こういうパンが大好きで。

この日は南京町や栄町もすこしだけいった。栄町のいつも行く服屋を覗いて、南京町ぎょうざ大学元町店に行こうと思ったらすごい行列だった。お昼は適当にすませてしまった。元町商店街ではファミちゃんに遭遇できた。なんかシロクマづいてるな。

《ある一日 読書や映画など》
猫村さんでおなじみのほしよりこさんの『逢沢りく』よかったです。りくという女の子の、この世界に対しての居場所のないような感じ、うまく言葉にしようのない苛立ち、そういう有りようが繊細に描かれている。あと時ちゃんがかわいすぎる。

逢沢りく 上

逢沢りく 上

逢沢りく 下

逢沢りく 下

ほかにも映画館へは『寄生獣 完結編』『群盗』を観に行った。家ではwowowドキュメンタリーの谷垣健治さんの回を観たり、久々に『葉問』序章&2を観たりもした。洗濯、日々のご飯づくり、掃除や衣類の入れ替えなども。夜もゆっくりできる。次にこんな余裕ができるのは…夏休み?…ともあれしばらく先だな、と思うとなんだか遠い目になってしまう連休最後の夜でした。はよ風呂はいってはよ寝よ。