日記はじめました。1日目のお題は「渇き」

日々が過ぎるのはあっという間で、ぼんやりと過ごしている日常にちょっと歯止めをかけたいな、と思って日々何かを書き記すことにしました。
日記を書こうが書くまいが、時間に歯止めなんてかからないけど。文章を書くというのはちょっと頭や手や目を使う作業なんで、日々続けるのはなかなか難しいタスクだと思う(自分にとっては)。負荷をすこし自分にかけてみる。考えたりキーボードをタイプしている間も時間は過ぎるけれど、残った文章は痕跡になる。過ぎていく日常にちょっとずつ爪あとを残すということをしてみたいということです。

ふとした瞬間に思い出したものについて書いてみることにいたしました。
時間が経って、なお覚えていることを基に書いていくことにします。

今日思い出したのは今年日本で公開されました韓国映画『渇き』です。
今年シネリーブル神戸にて見ました。
思い出したきっかけは神戸は新開地にありますCinema Kobeという旧作二本立て映画館で現在やってるのを知って。

『渇き』を見ていたとき、画面イメージとしては『世にも奇妙な物語』で近藤真彦氏が主演だった(うろ覚え)病院が舞台の一話を思い起こしました。『世にも〜』の話は近藤氏が医者かなんかで、原因不明の緑の血を吐く患者が増殖していくという話だったと思う。この病院の情景は暗くて青白い蛍光灯で効果をもたせる感じでした。この「青白い蛍光灯」感です。
『渇き』において後半、主役の神父が死んでしまった彼女を生き返らせる(いや、生き返るわけではないんだけど)ために、彼女をヴァンパイアにする。で、ヴァンパイアになった彼女が生き生きとのびのびと、人の生き血を吸う部屋。これが青白い。

青白い部屋は、陽の下に出られないヴァンパイアの「人ならぬもの」さの象徴であるんだけど、そこでの彼女の「今までの窮屈な殻を破って人間の限界を超えた運動を始めた感」がすごくて。神父さんは完全に彼女が自分のout of controlになってしまったことにほとほと困惑してしまう。
けど、理性で生き血を吸う自分や彼女をコントロールするって?
神父さんは理屈こねて「や、自分はそんなムチャしてないんで、正しいことをしたいし迷惑かけたくないし」とぐずぐずしてるんだけど、結局生き血がなきゃ死ぬ自分を受け入れてないだけ。彼女ののびのびと謳歌してるヴァンパイアなりの「生」を目の当たりにさせられて、あー、もうあかん、と認めざるを得なくなっちゃって、最後海岸に走るのですね。

『渇き』というタイトルにはヴァンパイアであるが故の「生き血」への渇き、神父さんにとって禁忌だった「性」への渇き、抑圧されまくった人生を送ってきた彼女の「生」への渇きとか、いろいろな渇きをあらわしているだろうけど、今思い起こしながら書いてて、彼女の「生」への渇きが一番切実だったと思う。ねちねちとした幼児性の塊のような旦那、こき使いまくりの姑…。ほんっと韓国映画って役者の顔がすばらしいよな!(『母なる証明』『息もできない』も役者の顔力がすばらしすぎ)

あと顔とか皮膚のぶつぶつが生理的に気持ち悪いっていうのは、これは人間に生まれつきそなわった嫌悪感なんだろうか、なんてことも思いました。ぶつぶつつぶつぶも満載でした。

こんなところで。

最後に正式な映画情報メモ。
『渇き』2009年作(韓国、アメリカ)
パク・チャヌク監督
ソン・ガンホ主演
http://www.kinejun.jp/cinema/id/40667