ディザスター幻視

こどもの頃からどんくさいヤツでした。
ノロノロと行動も遅いし、溌剌としていないし、はげしい人見知りで怖がり。親にため息を何度もつかれました。ほかの子はもっと明るいのに、と言われて、や、生まれつきなんだから、どうしようもないよ、とぐすぐす泣いたり。親の望むような子になっていないことが、コンプレックスとなり下手をうたないように、怒られないように、と考え考えするこどもとなっていました。
今考えるとおかしいけれど、学校で検診があって、視力が落ちてる、とか、虫歯があるという紙をもらったら、それを親に報告するのが怖かった。自分の落ち度のように思って(マンガばっか読んでたからだ、とか甘いものばっか食べてたからだ、とか)、怒られるんじゃないかとびくびくしていた。
そんな性格がすくすく育った結果、現在の文系+内省タイプに至ったわけだなー、と思いますが、親を恨んでるわけではありません。親も人間である、ってことを大人になってわかったから。今は感謝の思いが強いです(と同時に、自分について、強固なまでに分かってもらえない部分もある、っていうことが十分わかった、ということでもあるかもしれませんが、それは親も子もお互い様で)。
そんな自分のこどもの頃の“親怒られトラウマ”のひとつに“カップヌードルぶちまけ事件”があります。たしか、夏休みだったと思う。平日の昼間に家でTV見ながら昼ごはんを食べようとしていました。その日は大好きなカップヌードルカレー味にお湯を入れて、3分の手前でフタをあけました。ちょっと固めで、カレーの粉末が溶けきらないちょっとドロっとしているのが好きなんで、あまりかき混ぜすぎないようにして、いただきまーす、と。お昼のバラエティを見ながら、おもしろいなーと思って、お笑いに気をとられながら食べてたんでしょう、テーブルに置いたカップヌードルが手にひょいっと当たって、重力に引っ張られて、簡単に落ちてしまう。ふとももが熱い。床のじゅうたんはぶちまけられたカレー色に染まる…案の定親に怒られましたよ、こっぴどく。や、当然ですよね。泣きながら掃除しました。
それ以来、なみなみと注がれたお茶やコーヒー、具がたくさんはいった鍋やどんぶり…、なんでもいいんですけど、とにかくそういった類のものを持った瞬間「これ、ぶちまけたら、どうなるよ」とひっくりかえした場合の惨憺たる有様が脳内に浮かぶ。その幻視した惨事のビジョンを抱えたまま運ぶ。運びきったときは僥倖を得たかのような気分にちょっとなります。これはもう、癖です。熱いものがなみなみと入ったものを持つ=ディザスターフラグが立った状態になってしまうんです。
あの夏の日にカレーヌードルをぶちまけて以来、このような惨事は起こしていないのになー。こんな幸運が続くはずはない、という思いがどこかにあるんですよね。なんでもないようなことが、しあわせ、なんですね。…ほんとにくだらない…すみません。
食べ物をぶちまけることに対する恐れがあるので、そういった場面を大きいスクリーンで見ると、「うわぁぁ」と思うのですが、『ローラーガールズ・ダイアリー』で敵対するチーム同士で料理をぶちまけあう場面は、思い切りがよすぎて、針の振り切れた感じが気持ちよかったです。でも、内省型文科系の自分にはムリだよな、なんて思ったのでした。
こんなところで。
カップヌードルカレー味
http://www.cupnoodle.jp/product/curry/index.html 
※ところで今やっているカップヌードルCMのボンジョビさんの声は誰がふきかえてるんでしょうね?
ローラーガールズ・ダイアリーエレン・ペイジ主演 ドリュー・バリモア監督
http://www.kinejun.jp/cinema/id/40951   ※最高!!!