都会の孤独〜散髪とあいづち

あいづちは人との会話で重要なファクターでして、電話なんかだとうなずいてくれても見えないから、「ええ」とか「はい」とか適当なとこであいづちを打ってくれないと、受話器の向こうに相手がいるのか不安になる。なんにもない虚無的ななにかに話しかけてたのか?と思うとぞっとしますね。相手が目の前にいる会話でも、適度にうなづかないと、話が伝わってないんじゃ?と不安になる。聞いてる?聞こえてる?Do you hear me?
でも、「あ、いまこの人テキトーにあいづちうったね」という瞬間があると、また一挙にさみしくなります。近くにいるのに、なんでこんなにさみしいの?群集の中の孤独?エドガー・アラン・ポオ?都会の孤独?現代社会の人間関係の希薄さ?…とは思いませんが。こういうぽつーんと置いてかれた感じは、散髪へ出かけると毎回味わいます。散髪は周囲に別のお客さんもいるし、音楽は鳴っているし、ドライヤーの音はぶわんぶわん鳴ってるし、結構な騒音です。そんな中、美容師さんは話しかけて、間を持たせようとしてくれるのですが、こちらは鏡に向かって正面をむいて話すので、後方にいる美容師さんには聞こえにくい。まして、自分の声はそんなに通らないし低いし小さいし。や、美容師さんも気を遣ってはるんやから、大きい声出して応じねばと、地声の120%くらいの感じで言っても笑顔で「え?」と聞きなおされたときはちょっと心が折れます。そんなことが2回ほど続くと、こちらの言ったことが聞こえてないけど聞こえたフリしたあいづちを打たれたりする。せつない。
たまに電車などで同じ車内にいる二人組なんかで、一人の声だけやたら聞こえて、もう一人はなんて言ってるの?なんて場面に遭遇するけど、まさに自分が、その“声がきこえないほう”なんじゃね?あー、聞こえてないんだな。うん、じゃ、もういいよ。ムリしないで。こちらもムリしたくないよ、という気持ちになったりして。
おまけに自分はかなりの近視で、散髪中はメガネを外しているため鏡に映る自分すら輪郭すら定かじゃない。雑誌を渡されても、記事を読むには相当近づけなきゃ見えない。しかもファッション雑誌って重いよ…できあがりの髪形もメガネをかけてみた瞬間「うぉ?」と思うことがあってもどうしようもない。ま、いいっか、もとからおしゃれに程遠いしね、とあらためて諦めたりなんかして。
なんて、そろそろ散髪にいかねばなーと思うとちょっと思いをめぐらせてしまうのでした。連戦連敗の勝負へ臨むような気持ちでもって、散髪屋さんの扉を開ける。自分との闘いなのか?勝てる日はくるのか?なんて。はい、明日、予約の電話しよー。次はがんばるよ。