小悪魔とカーディガン男子『(500)日のサマー』

“小”がつくと、単語はたいがいスケールの小さい、こじんまりしたしょうもない感じになります。たとえば“小細工”“小生意気”“小汚い”“小金持ち”“小悪党”“小うるさい”“小理屈”。ああ、ちっさいちっさい。
でもたまに“小さい”がために、ちょっといい感じの語感にかわる言葉も少ないながらあります。“小粋”、そして“小悪魔”。“小悪魔”、なんて魅惑的な響き。そういやちょっと前に『小悪魔女子』的なのが流行りましたね。でも小悪魔って、小手先の小細工を弄して習得できる性質じゃないでしょう。ナチュラルボーン小悪魔。これぞ最強。
そんなナチュラルボーン小悪魔として登場するサマーちゃんと彼女の魅力にヤラれてひざまづいてしまったトムくんのお話が『(500)日のサマー』です。シネリーブル神戸にて鑑賞しました。
ある日職場に新たにやってきたサマーはルックスといい、スタイルといい、かもし出す雰囲気といい、なんか素敵。そんなぼんやり素敵だと思ってた女の子がThe Smithの音楽知ってるなんて、やっぱり思ったとおりのセンスの持ち主!イカす!彼女なら遊園地じゃなくてもIKEAにデート、っていうシチュエーションで楽しめるセンス持ってるよ!・・・こういうことってありますよね。あ、なんかいい雰囲気持ってる人だわ、好きかも、と思った人が、実は三代目J soul brothes好きだとわかったら、うああぁ、って思う、けど、ゴダールが好きだ、というとなんか趣味がイメージにあってて素敵!《ゴダールは正直よくわかんないけど…》とか。(これは決して三代目J soul brothes批判でもなんでもなく、単純に好みのフィールドが絶対的に違う、という認識であります)。
サマーにクラクラきてしまうトムをジョセフ・ゴードン=レヴィットさんが演じておられますが、素晴らしいはまり役。この人ほどニットのベストが似合う人はなかなかいないと思う。ニットベスト、ニットカーディガンの似合う男性⇒なで肩のイメージ。たしか宮沢章夫氏がエッセイで「カーディガンを着る悪党はいない」と書いておられたけど、まさにそんな感じです。“やさおとこ”というのでしょうか。
と、ここまで書いて、うろおぼえブログながらも最低限の事実誤認のないよう宮沢さんのことをググったら、なんと、「カーディガンはカーディガン伯爵という人名にちなんでおり、このカーディガン伯爵は結構な悪党だった」という事実が・・・!この事実について書かれたすばらしい宮沢章夫氏のエッセイがweb上にありました(下記リンク参照)。
さて、サマーは自分のペースでいるだけなのに、トムは完全にぶんぶん振り回されて、遠心力に耐え切れず飛ばされそうなほど疲弊してきます。でも、先に好きになったのはトムで、トムの好き好きオーラのほうが、断然勝ってますよね、明らかに。サマーは意識してるかしてないかは分からないけど、“先に好きになったほうが負け”論理が二人の関係においては適用されていると思います。サマーはトムとの関係について不安になったりしていないけど、トムは不安で不安でしようがない、彼女に愛されているかどうか確認したくて、ちょっとでも彼女と良い関係になると点にも昇るほどうれしくてうれしくてしようがなくて有頂天!世界が自分を祝福してくれてミュージカルの主役にでもなったような気分になるけど、ダメダメなときは荒れまくって幼い妹にまでふてくされたツラをさらしたりして、とことんみっともなくなる。
恋愛はどちらかが相手を好きになって始まることがほとんどだし、恋愛パワーバランス的には50:50なんてありえない。でも、たとえ90:10ではじまった恋だとしても、時間の経過とともに均衡してくると思うんですよね。コンクリートでガチガチに固まるようなことはなくて、シーソーみたいにゆれるんだけれども、大体のところ均衡してくる。そうじゃないと恋愛関係って続かないような気がする。そこまで持ちこたえられない関係は破綻してしまうでは?
サマーとトムの関係は、そんなふうに均衡の取れるところまでお互いの思いが熟することなく終了するのは、当然の帰結っていうことが観客としてははなっから分かる構造です。時間軸をバラして恋愛が終わるかけのある一日が最初に方で描かれてるし、画面二分割でサマーとトムのそれぞれを描写することによって、お互いにどれほど自分の考えに固執しててお互いのことを思いやってないかが分かる(トムはサマーを自分のものにしたい!サマーは恋愛なんてほどほどで自由がいい、とバラバラの考え)、これじゃお互いが思いやりあってバランスのとれた関係に落ち着くはずないわー。
そんなサマーは、恋によって不安にさせられるような相手に出会う。新たに出会った彼は、サマーが彼に対して抱く不安な思い(彼は自分を愛してくれているのかな?)を安心に変えてくれるような恋人になったから、サマーはあっさり迷うことなく結婚した。男性からしたら、なんだよこいつー、bitchめ!って思うでしょうね、実際映画の冒頭にそんな字幕が出たし。たしかに、女性のほうがこういう情緒に流される行動が多めかもしれませんが、結局、普通の女の子なんですよね。サマーは小悪魔でもなんでもない。恋する相手によってその相手の懐に安心して身をゆだねたいと思うけど、トムに対してはそうではなかったってわけで。でもこれって、女性だけじゃなくて男性でも一緒じゃね?男性だって、相手によっては我がまま勝手な振る舞いをしちゃうヤツにもなるし、超絶優しい人にもなるでしょう。
トムはサマーとの恋愛によって絶頂から断崖絶壁に突き落とされるようなメンタル面の変遷を経て、強くなりましたね。結局、「なににせよ恋愛っていいよね!」って映画だなーと思った。サマーのおかげで今の僕がいる、ありがとう、みたいな感じがしました。最後はね。
ともあれ、観る側の性別や現在置かれてる恋愛での立場などによっても、肩入れしてみる視点がガラっと変わってしまいそうな映画でした。あと、ズーイーのカラオケ熱唱とジョセフ・ゴードン=レヴィットのへたれっぷりも最高なこの映画は、またいつか観返したいな、と思うような気がします。自分にとって恋愛映画のクラシックになりそうです。映画の中にケータイとかあまり登場しなかったような気がする(うろおぼえ)。小道具とかも現代の風俗をあまり取り入れないようにして、会話や結構古典的なシチュエーションがベースになってたのも、クラシカルなイメージがするゆえんかな。
ところで、この映画の中のトムってカーディガン着てたっけ・・・?

「カーディガンを着る悪党もいる」
http://e-days.cc/music/column/miyazawa/200903/26497.php

『(500)日のサマー』マーク・ウェブ監督、ジョセフ・ゴードン=レヴィットズーイー・デシャネル
http://www.kinejun.jp/cinema/id/40592

インセプションクリストファー・ノーラン監督、レオナルド・ディカプリオ主演
http://www.kinejun.jp/cinema/id/41100
※まさかあのトムがこの映画ではスーツをぱしっと着こなしたクールガイになるとは…