こたつ=女性名詞説

今日はヒッチコック監督『めまい』をTVで観ながら日記を書こうとしているので、どうしてもあれこれ考えるのが難しい…、そこで、自分の記憶の中を辿って、映画を観ながらもゆっくり時間をかけてつらつらと書いてみることにします。
冬といえば、みかん。みかんと言えばこたつ。昔は暖房機器といえばこたつでして、こたつ本体内部のぼわんと赤くなって熱を発するところ《赤いフェルトっぽいもので鉄部分がコーティングされている》が出っ張ってるものでした(寒さのあまり“強”にして、足がその出っ張りにあたると思いがけない熱さに足を引っ込めたものです)。冬の寒い朝、紅白がだんだらと編みこまれたような布っぽいコードにくっついていたスイッチをカチっと“入”にする。こたつに服をつっこんで、朝食を食べる。食べ終わって、こたつのおかげであたたかくなりきった布地を肌にまとったときの、ちょっとした幸福。
しかし、こたつは人を怠惰にするのです。“ネコはこたつで丸くなる”と歌ったように、人もこたつに入ると丸くなって動きたくなくなる。立ってる者は親でも使うのは当たり前。そこで、横になってTVなんぞ見始めて、かるく寝始める、と、「こたつで寝てはいけない!」との絶対的排除命令が発令される。これは、結構どこの家でも言われている定説でしょうね。「バスクリンは風呂釜が傷む」とか「運動で汗かいて喉かわいても、水を飲んだらバテるからダメ」とか「おこげは発ガン性がある」みたいな今となっては根拠不明な定説とは異なって、健康的に正しい定説ですね。低温やけどや汗をかくことによる脱水などが起こるから。でも、むかしはこたつのあまりの気持ちよさに、排除命令に抵抗して、汗ダラダラかいて結局肌寒くなる、などの現象にみまわれたものです。
冬のこたつでのもうひとつの行事は、こたつの天板をひっくり返したところから始まります。こたつの天板の裏に緑色のフェルトが貼ってる。そこに並べるのは、時によってはトランプ、時によってはかるた。緑地に白色は映える、もしくはフェルト地のほうがカードが取りやすいや、という理由?ともあれ、それがあたりまえでした。こたつに入って少し性質が怠惰になったところで、そういうゲームに興じたくなるんでしょうか。こたつ力恐るべし。いまではうちではこたつは使っていないけど、いま急に思い出した…そういえば、母が機嫌のよいときは、こたつのことを“おこた”と言ったんです。これって、うちだけだったんかなー。“おこた”、なんて優しい響き。フランス語みたいに女性名詞と男性名詞があるならば、“こたつ”はきっと女性名詞。“おこた”はきっと女性は女性でも母だ。母親名詞じゃないかなー。と、とりとめがなくなってきたところで、〆。