困り顔の系譜

今日はヒッチコック監督の『フレンジー』をTVで観ています。主人公の元妻がシリアルキラーに暴行された挙句殺される(この場面の生理的嫌悪感ったら、無いわ。つまり優れた演出なんだろうな、こんなにイヤな気分にさせるって)。で、諸々あって主人公が疑われているわけですが、この主人公が現在のガールフレンドに会う場面をみていたら、彼女の困り顔っぷりが気になりました。動物でいうとプレーリードッグ系だと思うのですが、あごが小さくて、横顔を見るとあごがあごの存在を主張していない(我ながらわかりにくい表現)。たとえるなら、コボちゃんみたいなあごです。決して美人ではないと思うけど、この地味さがリアルさをかもし出しているのかもしれない。で、なぜこの女優さんの困り顔が気になるのか、ちょっとだけ考えてみて、はっと思い浮かんだのです、自分の中の困り顔のルーツ・原体験がオーバーラップして見えてきた・・・その名は“裕木奈江”。
ちょっともたついた眉、細めの鼻筋で鼻はそんなに高くない、あごは小さくて、目はすこし腫れぼったいような、そしてちょっとぷっくりさせた感じの唇。眉をちょっと顰めるようにして上目遣い、そして袖はなぜか長め。・・・あぁ、これは女性が男性に対しての媚びるかのようなアピールの表情、のような気がしてきた。彼女の表情の放つ男への媚オーラのせいで、裕木奈江さんはやたらめったらバッシングされた、女がキライな女パターンでね。そう、困り顔は女の敵のはずなのに、なんで今になって困り顔が一部でキーワードに仕立て上げられてるんだろ?
めざましTVをつけていたら“困り顔がキテる”とやっていたことがあって、ああ、雑誌だかのメディアで炊きつけようとしてる最近のネタなんだな、と思ってたのですが、これって異性にモテるにはどうすれば?→アヒル口も定着してきた→じゃ、次は困り顔でいってみる?という、昭和の時代から繰り返されてきた「異性にモテるには」というhow toの一変奏だよなー、と気づいたような気がする。“モテ”は昭和においては男性雑誌、女性雑誌でそれぞれの対象読者にむけてのみのクローズドな情報として提供されて、異性にはその秘密を知られないようにして共有していた。それが、この複雑かつ高度な情報化が進んだ現代社会(・・・)では、お互いの手の内が割とオープンな情報になってしまった。それゆえ、昔はクローズドだった情報もTVネタにして消費してしまう社会になったのですね。うん、なるほど。
次はなんだろう。予想するに、とぼけ顔、ねぼけ顔、てんねん顔。うわ、全部狙ってやられると、超イヤじゃん。っていうか、アヒル口も困り顔も狙ってやられたら、すごくイヤだ。女性の表情、自然であれかし・・・《あれかし:意味:ぜひともそうあってほしいと望む心を表す》

自分のなかの元祖困り顔 裕木奈江さん

※あんまり困ってないけど、困りオーラは感じる

メディアで言われている現代の困り顔代表 加藤ミリヤさん

※困ってますね。でも袖は長くない