暴力は巡るよ『エレクション』『エレクション2』

タマフル必修映画セレクション』として梅田ブルク7で特別上映されていた『エレクション』1、2を、最終日の17日に観にいってきました。『グラインドハウス』も10日の初日に観にいったので、1週間で2回のレイトショーでちょっと体力的にきつかったですが、行ってよかったです。
『エレクション』を撮ったジョニー・トー監督の作品は今年『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』を観まして、物凄くスタイリッシュな演出がかっこよすぎてゾクゾクしたので、外の作品も観てみたいと思っていました。
『エレクション 黒社会』は、タイトルの“選挙”のとおり、2年の任期で組織の会長を選挙で選ぶ。それにまつわるエトセトラ・・・なんて甘いもんではなくて、暴力の連鎖がこれでもか、と描かれていきます。2年任期の組織の会長は“選挙”といいつつ組織の長老たちの合議で決まるのです(民主的選挙のような秘密は保たれません)。そこが曲者で、長老の中にいる長みたいな存在(荒地の魔女に似ている)がその合議の場の空気を握っている。だから結局みんな長が方向付けた空気に沿って会長を選ぶことになるのです。
武闘派で強引ながらも稼ぎの良いディーと、組織の和を尊ぶ穏健派のロクの二人の会長候補者の競り合いに端を発した壮絶な争いが繰り広げられる。長老の長の意向が大きく働いてロクが会長に選ばれたことを知ったディーは選挙のために買収工作したものの、役に立たなかった二人を高い丘?山?から箱詰めして急斜面めがけてコロンコロン転がします。その様だけで「ヒャッ」と思っている観客をドン引きさせるかのように、ディーが「もう一回!」と大声。何回コロンコロンするんだよ!死ぬよ!と思ってたら、箱詰めされた人達はどっこい生きてた。瀕死ながらも生きてることが重要で、それによって「オレ様を会長にしなきゃ、もっと大変なことになるし」という警告を発するわけですね。このコロンコロンの場面が引きのワンショットだったから、その高さと急勾配が余すことなく映されちゃってるのです、これが、まったくもっていいシーンでした。ディーの傲岸不遜な態度も良い!
この後は、会長の徴である<竜頭棍>を巡る争奪戦になるんですが、これがいわゆる<マクガフィン>てやつで、物語を牽引して引っ張っていく推進力となるモノです。先日聴いていたTBSラジオのdigのpodcastで『宇宙戦艦ヤマト』の特集のときに、元ネタは『西遊記』だと言っていたことが印象的だったのですが、『西遊記』も<経典>を巡る物語なんですよね(ヤマトなら“コスモクリーナー”)。“ここにはないモノを求めること”が物語を推進するのは極めて古典的な構造です。そういう意味でもこの『エレクション』は物語の原型に忠実なつくりになっているのだな、と感じました。<竜頭棍>なんていっても単なる黒っぽいオブジェですし、手にしたところでディーは会長にはなれないのに、なんでディーもロクもあんなに固執するのかな、とも思うのですが、後に、正式に会長となったあとに義兄弟の契りをかわす儀式みたいなものが丁寧に描かれているのを観て、形式や儀式により体裁を整えて権威を高めるというのが殊更重要な世界なんだな、というのがぼんやり分かって納得できました。なんといっても組織の会長は“選挙”で選ばれるわけで、強き者との血の繋がり、というような確かな徴がないから、その地位の威光を補完するために“歴史的な裏づけのあるモノや様式”は重要なアイテムなんですね。
そんなこんなで、最終的には<竜頭棍>は落ち着くべきところに落ち着き、うぉぉッというラストにいたるわけですが・・・。『エレクション』においては、主要人物はほとんど死にません。現会長だったチョイガイは“自殺”(っていっても追い詰められた上での自殺だけど)しますが、あとは通行検問の警官が車で轢かれたり、脇の連中がやられたり(死んだかも)というくらいで、そんなに死んでないんですよね。それだけにラストに描かれる衝撃により、表、裏、裏切り、忠誠。義、和、など危ういバランスで保たれていた映画内価値観が一挙に反転する様が鮮やかでした。
それから2年後の選挙の様が描かれるのが『エレクション 死の報復』でして、これが、一言で形容するなら「えげつない」。前作のラストで色々な価値観が反転した後の世界だから、ネタフリは済んでるよ、思いっきりなんでもありの世界を描くよ、という。物語は前作で会長に就任したロクが任期2年を厳守せず、再選を目論むところから端を発します。2年前に重要な働きをしたジミー(若者)が本土での商売を広げるためにやむにやまれず会長職を狙う。そこから始まる血で血を洗う争いは凄惨きわまりないです。殺し方のヴァリエーションを相当考えたな!北野武監督の『アウトレイジ』も多種多様な殺し方アイディアがありましたが、『エレクション』の凄惨さの前には霞みました。
飛び道具はあまり使われなくって、基本、刃物っていうのが観客に感覚的痛みを感じさせるのです。肉切り包丁みたいなのを両刀使いして立ち回りも凄かった(しかも足の腱を切りつけるって痛すぎる)。あと、ジミーが脱皮した瞬間!黒社会のインテリ的な立場として、自分の中の武闘派的側面を解放しきっていなかった(だから最初に内通者らしき人物を始末するのはアウトソーシングするわけです)ジミーが自分の手を下して殺める場面は、まさに化けの皮が剥がれた瞬間でした。そこまでやったら、後戻りできないよ、と観るものを脱力させるような迫力。
暴力により最初のドミノが倒れると周りにも暴力は連鎖していき、最後には自分のところにも巡ってくる(ロクと息子のエピソードも痛かった)。暴力の世界に囚われたらその世界から抜け出せない。暴力の背後には必ず人間の“感情”がある。“感情”だけは消しゴムで消したりコントロールできないから、一旦発せられた暴力の及ぼす影響がどんなふうに人間の“感情”に影響するか分からない。だから暴力の影(報復や、諸々)におびえ続け、囚われ続け、防御するためまた暴力を振るう。暴力は巡るよ。だから、その凄惨さを観たくなくても、目を背けてはならないのかな。きつかったけど、観てよかったよ。

ちょうど有名映画ブロガーのカトキチさん(id:katokitiz)も『エレクション』について書かれていました。カトキチさんも書かれているようにレンゲ食べる場面でいきなりヤラれた
http://d.hatena.ne.jp/katokitiz/20101219/1292746345
また、深町秋生先生の記事。
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20071113
ほかにもid:mash1966 さんの簡潔な記事。
http://d.hatena.ne.jp/mash1966/20100126/p1

『エレクション 黒社会』『エレクション 死の報復』
http://www.kinejun.jp/cinema/id/37890  http://eiga.com/official/election/
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=336362 

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