ニコラス・ケイジ力(ぢから)炸裂『バッド・ルーテナント』

今日は職場の忘年会でもあったし日記はお休みしようかと思ったのですが、そそくさと帰ってきたので、なんとなくうろおぼえの映画感想を書いてみます。今日は真の意味でうろおぼえのぼんやりした感想になると思うのですが、先日神戸の名画座パルシネマで観た三本立ての感想を近々書こうと思っていて、それらの映画の題材にちょっと関連のある映画なので、いい布石になればいいかなー。
Cinema Kobeという映画館で二本立てのうちの一本としてかかることになった『バッド・ルーテナント』はその館の環境がイマイチではあるものの、町山智浩さんがラジオで紹介されていたのが頭に残っていたので観にいくことにしました。
ハーヴェイ・カルテル主演で1992年に公開された『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』のリメイクとのことで、オリジナルは未見だったのですが、映画を観てまず思ったことは、「これ絶対オリジナル(ハーヴェイ・カルテル)と大分違うだろうな!」
冒頭、軽そうな警官二人がハリケーン“カトリーナ”の被害で水没しかかった警察署の中を歩いてくる。そのうちの一人がニコラス・ケイジ。ケイジ、拘置中の囚人が水没しかかっているのを戯れに助けることにしてドボンと飛び込む→水底が見えてなくて強打→背骨か頚椎を傷めたらしい→痛みを抑えるため薬漬け という一連がテンポよく描かれます。
そのあとは薬の売人の殺人事件が起こって、それはお話を転がす推進力ではあるんですが、事件の解決、といった“すごろく”をトントンと“あがり”に向かって進んでいくのがこの映画の主眼ではなくって、ひたすらにニコラス・ケイジという俳優の“パワー”をオープンにするのがこの映画の主眼なのです。ドラッグが欲しくて欲しくてたまらないケイジ。そのために嘘はつく、欺く、ごまかす、暴力振るう、脅す、策をめぐらす、と人間が何をを切実に欲求したときにダークサイドに足を踏み入れてやっちまうあらゆる事をすべてやってます。
そうやって手に入れたドラッグをキメて、幻覚を見る有様のイカレっぷりったら。ハイテンション、唐突な行動と感情の起伏・・・ニコラス・ケイジ力(ぢから)が炸裂しまくってます。この演技を堪能できただけでも、もう十分お腹いっぱい。この映画の中でドラッグで現実と幻覚のあわいにいるニコラス・ケイジのヴィジョンは、妙に白っぽい画面で白昼夢で陽炎でものの輪郭が若干揺らいでいるような・・・、そんな白々とした世界でケイジは死人の魂が踊っている様やワニが交通事故にあってる様やイグアナがじぃっといる様を幻視している。白々とした世界での幻視っていうと、泉鏡花の小説とものすごく共通してるなーと思った(参考:『春昼』『春昼後刻』)。うん、久々に読み直してみよう、鏡花。
それはともかく。ラストは、すごろくの最後、とんとん拍子に進んでぴったり「あがり」に到達かよ!みたいな驚くべき展開になるんですが、これもやっぱり白々した現実と幻覚のあわいにいるニコラス・ケイジの白日夢なんじゃないか、って映画を観た後、ぼんやり感じました(※夢オチじゃないけど)。
ニコラス・ケイジの容貌・ハイテンション・オーバーアクトの魅力と映像の白日夢っぽさが堪能できたのでよかったけど、映画館はやっぱりお弁当のにおいとか途中入退場とか神戸市の盛り場“新開地”っぽさ満点で、それがいいっちゃいいのかもしれないけど・・・ちょっとな。あぁ、でも、『バッド・ルーテナント』観るには合った環境だったかもなーと自分をムリから納得させたりしたのでした。(好き嫌いは別れそうだけど)オススメです!

バッド・ルーテナントヴェルナー・ヘルツォーク:監督 ニコラス・ケイジ:主演
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD15827/index.html
http://bad-lieutenant.jp/pc.html