『ペルシャ猫を誰も知らない』とKAVCと「東京都青少年健全育成条例」

昨日は、残業⇒JR灘駅で人身事故がおきて運行停止などで神戸線のダイヤが乱れる⇒なんとか普通電車に乗り込むも時間調整などもあって普段の倍の時間がかかる⇒駅についてバスに乗るが道路が渋滞していてやはり普段の倍の時間がかかる⇒遅くに帰宅したが、気分転換にと20分くらいかけて日記を書くも、アップしたと思ったが文章が消える。というアンラッキーデイでした。でも、今日はのんびりするんだ、ということで、1月10日(月・成人の日)に観た2本の映画のうち1本について書いてみます。
神戸の新開地にある神戸アートヴィレッジセンター(通称KAVC)は、シネカノン神戸が無くなったあとの単館系映画の上映をフォローをする存在です。映画館じゃないので椅子はパイプ椅子+ふかふか座布団だし、1〜2週間限定上映とかレイトだけとか火曜定休などちょっと足を運びにくいけど、それだけに観に来る人たちは、「この映画を待ってた」という人たちが多いような気がする(人数は多くは無いけれど)。そういう意味では、KAVCは『ペルシャ猫を誰も知らない』を観るのに適した環境だったかもしれない。映画を待っていた人たちの集まるところで、音楽を切望している人たちの物語を観るという。
映画はイランが舞台。常に口の真ん中がちょっと開いてる(こういう子いるいる、と思った)女の子と男の子が主人公。二人はバンドで“インディーロック”をやってる。でも音楽活動に相当の制限があり、コンサートをするにも許可が必要だけど、許可はなかなか下りない。自由な音楽活動の場を求めてイランを出るために偽造パスポート、ビザを手に入れるべく奔走し、出国前に親や知り合いの前で演奏するコンサートを秘密裡に計画するのだが・・・。主人公の二人がバンドのメンバーや練習場所を求めて奔走して出会っていく人々を映すことが、アンダーグラウンドに潜らざるを得ない現代イランの若者音楽事情のリアルな様をリポート・紹介することにもなっている。イランにもヘヴィメタル?ハードロックのバンドがいるんだ!⇒でもジャマにならないよう牛小屋で練習してて肝炎で倒れる。イランにもラップの人たちがいるとは!⇒やっぱり手のアクションとか話し方とか握手とかハグとか「ストリート」発言とか、アメリカ製ラップの人たちに影響されてるのな!とか。いろいろ興味深かった。
主人公達がやっている音楽は劇中は「すごいよ!」って言われているけど、正直そこまで?と思った。男女のツインボーカル。古くはヴァセリンズとか、あと90年代のネオアコを経由して出てきたグラスゴーら辺ぽい音とかドイツのリヴィエラとかそういうののフォロワーの域を出ていないと思う。もしも彼女たちがイギリスに行ったとしても、なんていうのかな、タイのバンドによるフリッパーズ・ギターのトリビュート盤(『タイへ行くつもりじゃなかった』として日本でもリリース済)を日本人が面白がって聴く、みたいのと同程度の受け入れられ方しかしないのでは、なんて・・・あくまで私見ですが。
でも、それよりも、そんなギチギチに自由を制限された状況にあっても、音楽への愛があふれる、その愛ゆえに音楽を自分達でも演奏したい、っていう欲が止められない、そのリアリティがドキュメンタリー的側面もあるこの映画からはひしひしと伝わってきました。好きなバンドやアーティストの話を夢見心地に話す彼らの幸せそうな顔は本物。カート・コバーンとか雑誌の切り抜きがチラっと映ったところなどを観て、とにかく好きな音楽やアーティストにまつわる写真とかポートレートを貼りたい!目にしてたい!って欲とか、そんな自分も昔に持っていた欲求をぶわぁって思い出した。それだけに苦いラストに胸を衝かれた、でもあの映画はあぁ終わるべきだった、正しいエンディングだったと思う。この胸を衝く思いを観た者は受け止めねばならない、他所の世界の物語じゃなく、自分達も属するこの世界の問題として受け止めなくちゃな、と。
で、この映画を観た翌日にTBSラジオ「dig」の荻上チキさんの日に「東京都青少年健全育成条例」が採決されたことをテーマにした回のpodcastをたまたま聴きまして。この条例はマンガの過激なエロ表現の規制について反対派の意見などがネット上でも盛り上がってましたね。podcastを聴きながら、表現の規制という点で昨日観た映画と共通してたなーとぼんやり思って。いや、かたや青少年が健全な音楽へのピュアな欲求を制限されてて、もう一方はエロだよ!だから違うレベルじゃん!というもんじゃないと思ったのです。たしかにエロにしても野放図に手に取れる状況じゃダメだと思う。チキさんも言っておられたけど、問題の俎上に上げられたマンガについてゾーニングやレーティングの必要性などはあると思う。『ペルシャ猫』の主人公達の音楽もイランの宗教や倫理観で小さい子に聴かせるのが不適当とかいう歴史的・文化的バックグラウンドがあるなら、そんなレーティングとか必要かもね(自分は音楽にそんなの全く必要ないと思うけど、外国の文化ギャップは想像だにしないような種類のものがあるかもしれないから)。
高橋源一郎さんがこの条例についてツイートされていて、彼の立場は規制反対だが、自分のこどもがそんな過激なエロ表現のマンガを持ってたら、取り上げるし、それらのものを見せないように全力を尽くす。でも、そこをかいくぐってでも欲求があれば、こども達は全力でそれらをゲットしようとするだろうな、というような趣旨のツイートでした(うろおぼえ)。高橋さんがこどもだった頃からそんなこどもvs大人の攻防戦はあった。そんな攻防戦は昔も今も変わってないんだろうなと思う。うん、でも、やっぱり表現しようとするその欲求は官が規制しちゃ駄目でしょう(実際の犯罪行為が絡む表現《実写の児童ポルノとか》は当然駄目ですが)。すべての表現は強い欲求があれば、どんな困難も超えてその表現の可能性を掴もうと必死に手を伸ばす。『ペルシャ猫』ではそれは音楽。その音楽を誰が悪だと判定するの?表現についてお上(官)に規制してもらうのを人々が待つのってのはダメでしょう。官がそんな善悪を判断できるはずないじゃん。
休日なんでゆっくり書いてみました、長文にお付き合いいただきありがとうございました、とちょっと真面目になった今日の日記。

ペルシャ猫を誰も知らない』(イラン/2009年)ハブマン・ゴバディ:監督
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=336971
http://persian-neko.com/
女の子かわいい
※「ペルシャ猫」とは、西洋文化の規制が厳しいイランの首都テヘランで当局の目を逃れながら密かに音楽活動を続ける若者たちのこと、だそうです(映画チラシより)。なるほど、スタジオとかハウスパーティ?の場所に入るには合言葉が必要だったし、密かだった、たしかに。
※便利屋ナデル最高!映画としては、ストーリーや編集が分かりにくいともあったけど、彼だけは映画的存在感がすごくあったですよ。
※犬をつれて車に乗っていると、警官に止められて「動物を外にだしちゃいかん」といって取り上げられるところからも規制の厳しさと文化ギャップが感じられたです。
『タイへ行くつもりじゃなかった』

http://www.amazon.co.jp/dp/B001AMRAVE