大野更紗さん『困ってるひと』と武田百合子『富士日記』

今日は神戸も自分の記憶史上最高の積雪でした。瀬戸内に面した穏やかな天候のこの土地では雪は降っても昼間には降り止んですぐに溶けてしまうのに、今日はいつもと様子が違う。仕事が終わって帰る頃もまだ降り続き、足元は相当悪かった。さくさくした雪の箇所や踏み固められた箇所、溶けかかったところ、そろりそろりと歩きます。こけないように、ケガしないように。…そうやって避けられる災難ならば、いいよね。でも、大野更紗さんに降りかかった(いや、病だから内から発症してしまった、というべき?)困難は、避けられないものです。彼女の連載は荻上チキさんが紹介されていたので知って以来読んできていましたが、今日更新された最新回を読んで、またいつものように、そのあまりに過酷な運命とともに生きる彼女の文章に、言葉にできないほどの感情の塊がわきあがってきて、胸や喉がつっかえたような気持ちになりました。
子どもの頃は素直に物事すべてに“原因”があって“結果”があると信じていた。病気にもその原因がある、だからそれを治療すればいい、現代の日本の医療は進んでいるのだから、たいがいは原因が分かるはず。でも全てに因果関係があるというわけじゃない、と年齢を経るとわかってきた。湿疹がひどくてつらくて病院に何軒も行っても、全然原因なんてわからなかった。湿疹はそのうち自然に治まったけど、その病状がひどい間はとにかく病名をつけてほしかった。病名がつけば、原因がわかる、そしたら治せると思って。大野更紗さんの場合、自分の湿疹なんかと比べ物にならないほど病の症状は苛烈、しかし病院を渡り歩き、検査をたくさん受けてそれらしい病名を告げられても、不安は氷解しない。病の核に到達するような診断は下されず、病状の発露した状態の表側を撫で回すような診察と診断しかしてくれないから。何軒も病院を回って、更紗さんはやっと信頼できる医師と出会える。そこで過酷な検査を経てついた病名は、不安を氷解するものじゃなかった。あらためてふんどしを締めなおして、さぁ、これから先、病状はどのように出るか…出たとこ勝負、と病と対峙しながら生きていくことがわかった、ということで。
彼女の実家や趣味嗜好*1、大学生活とその身を賭けたいと思ったビルマ問題との出会い、そして病のことを綴っている連載は、その主題の重さに比して驚くほど陽性の雰囲気に満ちています。でも、読みながら涙が出てくるのです。読んでて辛くてたまらない、自分の身に迫り、胸が締め付けられる気持ちに苦しくなる。でも、ユーモアもあり、陽性の雰囲気を湛えながら、あまりに深い絶望のふちに立ってその深淵を覗き込むような苦しさを描出するその文章が、すごいんだ。−今まで読んだ中で似たような印象を持つ文体の人が一人だけいました。それは武田百合子さん。稀代の文章家(と自分は思っている人)です。彼女の『富士日記』を読んだとき、こんなに明るくて悲しくて優しくて切ない文章があるとは・・・と衝撃でした。公開なんて想定していない単なる日記。夫である武田泰淳が病を得て段々と衰えていく様。愛犬がある日亡くなる様。日々の献立。近隣や友人との交流。それらを透明な目で見て、淡々と記しているように見える彼女の文章はみずみずしくて、読むものを揺さぶる。
その稀有な文体で、更紗さんが綴る闘病の経緯を目の当たりにして、自分がもし彼女の友達だったら、どう言葉をかければいいのか自分に問うてみる。・・・全然ことばが浮かばない。なにを言っても陳腐、上っ面、他人事、きれいごとのようにしか思えない。えっと、こんなときに「がんばれ」とか言っちゃいけないし(もう十分頑張ってるよ)、「かわいそう」なんてありえへん。「わかるよ」なんて言えるわけない。見つからない言葉、でも言葉を探す・・・そう、この連載を読んで、こういう問いを自分で自分に問うことが多いのです。病はたまたま彼女に発症した、自分じゃなくて、なぜ彼女なんだろう。この先自分に彼女を襲ったのと同じような事態が起こるかもしれない。だって、病に必然性はないんだものな、たまたま、彼女だっただけ。そう、たまたまビルマに生まれたから、難民になっただけ、自分は日本に生まれたからそうならなかった。「相手の立場に立って考えてみましょう」って言葉じゃきれいごとに終始してしまう。でも、更紗さんの文章を読むと、簡単に言語化できない感情のかたまりが沸いて出てくる、胸にせまる。全人類、必読!

大野更紗さん 「困ってるひと」
http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/005097.html
※おしり流出の回の痛々しさ、苦しさとユーモアに泣いた。最新回もすごい…!ていうか全回すごいよ。
更紗さんのブログ「endogenous soul―わたし、難病女子」
http://wsary.blogspot.com/

武田百合子 『富士日記』 日記文学の傑作!
http://www.amazon.co.jp/dp/4122028418

*1:古い言い方だとオリーブ少女的な感じかな