1969年のアメリカへGO!『ウッドストックがやってくる!』

2月11日は祝日で金曜。シネリーブルは11と22日は会員カードはWポイント。金曜は会員1000円デー。ということでリーブルに2本観に行ってきました。まずは朝イチで観た『ウッドストックがやってくる!』について書いてみます。
ウッドストックといえば1969年に開催された伝説的ロックイベントということで、自分の生まれる前のイベントながら名前やそのインパクトは雑誌や諸々で知っていました。この映画はbased on true storyということで、69年という年のヒッピー文化や一大ロックイベントの裏側も覗けるし、その再現度や雰囲気、キャストの演技が楽しくて、これは思いがけず拾い物だったなー!と思いました。や、でもこれアン・リー監督だよ、拾い物なんて失礼ですね。ウッドストック・フェスティバルには、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンなどのロック界の伝説アーティストはもちろんのこと、そのイベント自体の持つ熱がすごかったようで、40万人以上もの人が参加したとか。69年のアメリカにおいては、ベトナム戦争に対する反戦ムードやヒッピームーブメント、アポロの月着陸などの時代のうねりがあって…うわぁ、要素多すぎ。
これをアン・リー監督はどのように料理したのか、というと“ひょんなことから”ウッドストック誘致をしちゃったエリオット・タイバー氏の回想録を基に、エリオット青年自身&家族の物語にフォーカスをあてて描くわけです。あれこれとたくさんある美味しい要素を、全部ぶち込みたい!ってやると、とっちらかるのですが、アン・リーはそんな陥穽にはまるわけない。なんといっても、これ、ウッドストックの映画なのに音楽をぱっすり落としてるんですよね。いや、ウッドストック出演アーティストの音楽は劇中BGMとして鳴ってるし、映画の雰囲気を形成する上で大事な効果は果たしているけれど、あくまでバックグラウンドでありメインじゃないし、下手に当時の演奏の映像を挿入することも一切しない。・・・というかウッドストックの演奏ステージが全然映ってない。この映画は、最初はポロシャツをズボンにインしてるエリオット青年がシャツアウトするに至る様:親の管理下から自立する様をメインに据えているのです。
アバンタイトルのエリオットの母がモーテル内を掃除したりTVを見たりする場面で、ニュース画面をちらっと映りこませたりして、69年という時代設定を畳み掛けて始まる。この時点での主人公エリオットと父母との関係は共依存と無気力の入り混じった状態。エリオットはNYでのアーティスト活動*1をあっさり諦めて実家へ戻る程、自分の仕事及びアイデンティが定まってなくて、「自分は借金を負っている年老いた父母に頼られている」という思いで自分を成り立たせている。父は、気力がスカスカな感じだし、母は不機嫌/守銭奴/偏屈/頑固でエリオットのことを思いやってあげてるとは到底思えない。それぞれの思いは交差することなく、ばらばらなのに“家族”であるという一点で、(良くない意味で)依存しあっている状態。
次に、ウッドストック会場として予定されていたところで反対運動が起こったことを知ったエリオットが、ごく内輪の会合でサマーコンサート的イベントの開催許可を取ってたことを思い出し、借金返済のために軽い気持ちでウッドストックを誘致する。そこから地元反対派住民からの嫌がらせと開催者である人々の忙しい準備の有様が描かれる。この時点で、ユダヤ人だから、という要素も絡めていじめられるのに対し、屈しない家族の繋がりが描かれる。と同時に、コンサートの準備が進むにつれ、エリオットがあるコンサートスタッフへ送る視線の案配、フレーム内の人物配置、カットで、お、これはブロークバック的展開*2だな、と観客にちゃんと分からせる演出もある。このあたりはさすがアン・リーと思いました。こういった人間のセクシャルな面における繊細な部分を描くのが大変うまいのな。これはエリオットの自立の伏線でもあって、同性愛者としてのアイデンティティを彼自身がきっちり受け入れるに至る契機もこの段階で描かれています。家族の繋がりとエリオットの自立への道筋、二つのテーマがしっかり見えてくる。
そんな混乱と反対運動と押し寄せるヒッピーたちが連れてやってきた幸福と自由の入り混じった状態が加速していくのが次の段階。ここで、出てくる元海兵隊員の女装家さんがいいんだ。すごいデカくて筋肉隆々なのに女装っぷりがかわいくみえてくるっていう。従前の価値観から自由になり次のステップへ行こうと志向した時代のヒッピーらに囲まれて、段々とそんな時代の空気に感染していくエリオット、うん、自立への道は近い。おや、無気力父さんもなんかイキイキしてきた、彼ら家族のあり方も変わるかも。
いよいよコンサートがはじまっても、まだ道は会場を向かう若者で埋め尽くされている。エリオットは毎日コンサート会場を向かおうとするけどその手前までしか行けないのない。会場近くにいたカップルに止められて一緒に車の中でLSDキメたり、雨のぬかるみで昔からの友人とその丘での青春を思い出してはしゃいだりして、一種の祝祭ムードの中で自分の意識を解放する体験をする。また、母の守銭奴っぷりを目の当たりにしたエリオットは、自分のコトを考えてくれてたんじゃないやこの人、と母を客観視することができて、ようやっと自分の精神を解放して自由に生きることが大事だと気づく。コンサートが終わったあとに会場にやっと辿りついた彼のすがすがしい顔ったら。父母(主に母)との“家族関係”に悪い意味で依存してた自分からの脱却のきっかけを得た、つまりイニシエーションを経た顔だわなー、と思いました。一方父も、その干からびかかった気力が再びみなぎってきて、生きることにちゃんと向き合う。偏屈な妻も愛しているんだし、息子も愛してると気づいて、それぞれを大切にするために、息子の手を離すことを決断する。コンサートに集まった40万人以上の人の人生にも、エリオットの3人の家族の運命にもいろいろ影響をあたえ、気づくきっかけを与えてくれたのも、大金を得られたのも、なにもかもウッドストックのおかげってね。

ウッドストックがやってくる!』(2009/アメリカ) アン・リー:監督
http://ddp-movie.jp/woodstock/index00.html
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=338044

※劇中にヒッピーたちを撮影するためフィルムを回している人がでてきます。これがスコセッシ、ってことなんだろうな。⇒ドキュメント映画『ウッドストック』(1970/アメリカ)
http://movie.goo.ne.jp/movies/p864/comment.html

《その他追記》
※モーテルの納屋を借りてる演劇集団がオモロかった。すぐ裸になって前衛?的展開を繰り広げるアホっぷり全開です。でもいまでもああいう集団、ありそう。
※演劇集団やヒッピーたちの水浴びもモザイクなしでした。ぜんぜん猥褻でもポルノでもないからね、もし、あれにモザイクしてたらアホです。『ぼくのエリ〜』も同理由でモザイク不要!
※イベントの主催のマイケルさんのヒッピーぶりと、周りのオトナたちの対比がよかった。やっぱビジネスの匂いでオトナが近づいてきて、でも結局それらオトナの力がなきゃ実現はできなくて。ただ、看板はカリスマ的な存在じゃなきゃ、で。これって今も変わらない構図だよね。
※1969年の再現がほんといい感じでした。あと偏屈母の演技もとてもよかった。

*1:画家なのです

*2:ホモセクシャルのカムアウトへの伏線