『君を想って海をゆく』と鑑賞中のノイズにまつわる日記

この間の日曜日に『君を想って海をゆく』を観にいきました。元町映画館は上映開始2日目にも関わらず10人未満で、だ、大丈夫…?とすこし心配になりつつ客席に着く。
予告がはじまった、と不穏な雰囲気が後方から漂ってきました。がさがさ。思い切りなんらかの包みを開ける音。続いて気持ちいいほどのキレのある渇いたぽりっ、かりっ、という咀嚼音。ものを食べる音ってここまで大きく響くものかー、と思いつつ『アンチクライスト』の予告など観る。お、前方のお客さんが席を立って扉のほうへ…ひょっとして館の人に言いに行ったのかな、と思ったら、“注意”というか“お願い”に係りの人がやってきた。声を荒げる男性。「映画観に来とるんや」的な。ああぁぁ…。や、本編が始まったら音がおさまるかもという一縷の望み…いやいや、ぽりっ、かりっはとまらない。もう食べきるまでいっちゃって!という気持ちで心頭を滅却すればいいんだ……いや、無理ムリそんなに人間できてない。ちょうど前日に読んだ記事を思い出す、どこかの外国で『ブラック・スワン』を上映中にポップコーン食べてた観客に、別の客が音が煩いっていって銃ぶっぱなした事件があったっけな。食べ続ける音。いつかは食料も尽きる。つづいて座席を蹴るような音。エェンッ、というような喉のつっかえをとるような音。携帯の電源をonにする音。offにする音。せきばらい。以下ry……なんか若干慣れてきた。音を発するエネルギーも衰えてきたみたいで、音の間隔も空いてきたぞ、というわけで映画のおはなし。
邦題の発するロマンティックな雰囲気とは違って、これは難民映画でした。水泳コーチであるシモンの離婚調停中の妻マリオンは難民援助のボランティア活動をしている。だからスーパーで、難民と認めただけで彼らをつまみ出そうとする店長に向かって抗議し、その様子をただ見ているだけだったシモンに、「見てるだけなの?」と責めるように言う。こういった、価値観の相違がどうも離婚原因かな、と思わせる演出です。そんなこと言われたシモンは、泳ぎを教えてほしいと自分のところにやって来た難民青年を街で見かけて衝動的に車に乗せて自分の家へ連れてきて一夜の宿を提供する。でもこれは明らかに、純然たる好意や善意で難民を自宅に招きいれたわけじゃなくて、離婚調停中の奥さんマリオンへの意地や未練、彼女にかっこいいとこや人間性大きいだろ、って見せたい意識があってやったこと。あぁ、つまらん意地。だって、翌朝マリオンが本を取りに来るって分かっててやってる行動だものな。朝、難民を家に泊めてあげた様子を見て、彼女どう思うかな?わくわく。
だから映画が始まってしばらく、シモンは難民青年ビラル(イケメン)に好意を示したり優しくしたり、癇癪を爆発させたり謝ったり、と振り子の針が揺れる揺れる。でも、次第にビラルを救いたい、という思いのほうに針が落ち着きだす。彼のバックグラウンドや彼個人のこと、サッカー好きなこと、イギリスに住む恋人のことなどを知って、彼の海を渡りたいという思いを応援する。これは、中東系の顔はみな同じに見えて、それらの顔面には“難民”というレッテルが書いて貼ってあるみたいだったのが、“ビラル”という個人として認識されるようになったから、でしょう。かたまり、群れだと感情移入もできないし、“難民”は個人や人の集まりじゃなく“難民クラスタ”とでもいうような顔の見えない群れにしか思えないけど、個の物語を知れば、“人”に接する態度で優しくもできる。
シモンの隣人は『WELCOME』というマットを玄関に敷いておきながら、難民と見ると偏見や先入観に囚われて拒絶するし公序良俗を守るべく警察にも通報する。でも、シモンだってその隣人と全然変わらなかったと思う。ただ、“難民”とか“不法滞在者”とかっていう名前じゃなく“ビラル”というピュアな個人と知り合うこととなったから、ちょっと変化が生じただけ。そういうリアルに触れる契機を得たのはシモンにとって大きいことだったのだろうな。それで勇気を持って警察にも抵抗するし、調停が成立して離婚した妻にも思いを言葉にして吐露できたわけで(それが彼女に受け入れられたか否かはおいといて)。そういう個の物語にリアルでどう接するかで、人生やモノの見方に影響を受けることはあるだろうな、と映画を観て学ぶ。映画のいいとこ。映画を通じて、個の物語を知ることで、現実世界や自分の内的世界の大切な何かに気付いたり、知らなかったことを知る契機を得ることがある。
ビラルの恋人は、イギリスで頭髪の薄いおじさんと結婚させられることになる。焦るビラル。果たして彼は海を渡れるのか?…このサスペンスは結構あっさり終結しました。だってこの映画はなによりシモンの物語だからな。この映画の、非ハリウッド的帰結に、あぁ、となんだか心の奥深くで腑に落ちる。心の浅いとこ辺りで気持ちよくうっすら終わってしまうより、腑に落ちる。オゾンの『Ricky』もそうだったな。サスペンスのクライマックスを経て、ラスト。シモンの不在を心配して電話する元妻。彼らの関係は切れてないという余韻。イギリスにいるビラルの彼女の運命の余韻。それでも、生きている者の生は続いてく。
そう、そうして、映画が終わって、最後方にいたおじさんは全員が出て行くのを待って、劇場窓口へ。なんかしゃべってる(ひょっとしたらパンフを買った?)。そして扉を開けて後ろ足でガン、っと足蹴にする。うぅぅ…いろんな人がいるよな、だからいろんなノイズがあって当たり前だな、そんなノイズも含めて生きている人々の生活は続いてく、とまた余韻を覚え帰路に着いたのでした。おしまい。

『君を想って海をゆく』(2009/フランス)監督:フィリップ・リオレ 主演:ヴァンサン・ランドン
http://www.welcome-movie.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17464/

※トラックにひそんでフェリーでイギリスに渡ろうとするところで、二酸化炭素の検知器で人が潜んでいるのを探す、というのを初めて知った。それを防ぐためにみんなビニール袋をかぶってるわけだけど、それで意識を失う者もいたりして。流れ作業で不法移民の裁判をするところなども、知らない現実。
※ビラルと恋人の彼女は美形すぎるほど美形。周囲から若干浮くほどの美形。