『MAD探偵』(ジョニー・トー、ワイ・カーファイ共同監督)

『MAD探偵』をシネマート心斎橋で観ましたよ。英語タイトルは『MAD DETECTIVE』*1だから『きちがい探偵』だよな。“きちがい”って単語はいつのころからかマスメディアで自主規制の単語となって、広く一般にも“きちがい”という語を発すること=タブーとして共有されているから、『MAD探偵』という日本語タイトルに、なるほどと思うけど、ここでふと連想する:“きちがい”といえば、ゴダールの『気狂いピエロ』って昔、ずっと『きぐるいピエロ』だと思ってたよな*2。漢字で書いたままの発音ではなく、実際は違う風によませるテクが日本語にはある。こういう漢字による意味表出機能を応用したパターンもあって、たしか昔カステラというバンドが『頭のわるい人』って曲タイトルをメジャーレーベルから出すときは『頭の輪あるいい人』にしたとか*3。だから、もしTVやラジオでゴダールの代表作としてあの作品を読み上げる際は、あえて、『きぐるいピエロ』って言うのかもしれない、もしくは『MADピエロ』もイカすかもな(現在では『ピエロ・ル・フー』とフランス語発音そのままにするテクが結構使用されてるみたいですが)
というわけで、『MAD探偵』です。冒頭、豚の死体を斬りつけるおかしな動きをするラウ・チンワン演じる刑事バン。新人のホーが着任してバンのおかしな様子を目の当たりにする。でもバンは第何感を使ってるんだか分からないけど、難事件を解決する“ひらめき”の才がある。でもそれは紙一重で、やっぱりバンは気狂いなんだ。ゴッホよろしく耳を切る。なんで耳を切ったかは、明快な腑に落ちるような理由は最後まで見つからない。でもこの象徴的行為は映画内のキャラクター造形上は必要なことで、耳を切る⇒ゴッホ⇒天才⇒常人には見えないヴィジョンが見えてしまう…と。ラウ・チンワンの気狂い演技、よかった。部屋の入り口をチェーンぐるぐる巻き&南京錠で締めてるところや、ズボンの丈が短いとこ*4、ぼさぼさした髪型といったルックスや設定のディテールと、香川照之柴俊夫みたいな大きな目をギョロギョロさせてるのに感情が読み取れないような、視線の定まらない(他人とのコミュニケーション不全の感じ)演技は、人を不安にさせるというか、見詰め合ってもコミュニケーションできない感じが伝わってきました。ディテール、演技トータルでマジキチなのにどこかキュート。
映像的には今までもあったような表現かもしれないけれど(ミスチルさんのPVをなぜか思い出した!)、人間の内面に潜む多面性を可視化するのに7人の人物に演じさせるっていうのがおもしろい!それはあくまでバンの幻視しているヴィジョン。生身の役者が演じているのに、幻。リアルなのに、夢のような、白日の悪夢みたい。カメラを切り替えたら幻視は消えて、また切り替わるとバンのビジョンになったり、それが巧みでおもしろかったです。影を印象的につかった追跡場面や、ラスト近くの鏡を使った演出のスタイリッシュなかっこよさ。トー作品におなじみの食事の場面も印象的。今作は気狂いのお話ゆえ、どこまでいってもコミュニケーション不全だから、ホーとその彼女とバン、そしてバンが幻視している元妻の3人+1人で食事するところでは、同じテーブルに着いているのに、和気藹々とはほど遠い食卓で…つまり分かりあうレベルに達してないことを示している。もうひとつの食事場面は、コウ刑事が一人で中華料理店に入って延々食べるところ&数日後、バンがコウの内面の多重人格に迫るべくコウに潜む人格に倣って、コウが注文したのと同じメニューを繰り返し繰り返しオーダーしては腹に詰め込むところ。杯を交わす相手もなく、ただひたすら詰め込むように食べるコウの食事シーンは小心や不安感を表してて、そんなコウの心象に迫る手段として尋常じゃない量を平然と食べるバンは、やっぱり気狂い。…でもコウはなんで別人格を7人も自分の中に生んでしまったのかというと、それは「嘘」に起因している。嘘を取り繕うべく別人格が育つ。嘘によるほつれ、不整合、矛盾を取り繕うには、別の嘘、また別の嘘、嘘の連鎖。もしくは小心、卑怯…これらネガティブな性質が人間の気質の分裂を生じさせる。ラストにおいても生き残った者も、自己保身や自分の弱さや嘘を取り繕おうとして、結局は新たな人格を作っちゃったわけで。でも、別人格を飼ってない人間なんているかねー。一本気な人間なんて居ないんじゃない?映画の中には一人出てきてたけど、それはバン元刑事だけじゃない?ここでまた『レボリューショナリー・ロード』に出てきた精神を病んでた男を思い出した。人の(表にあえて出していないような)本心を真っ正直に指摘して、人々の関係や感情に波を立てる彼もバンの仲間だ。人との距離を測ったり空気読んだりできずに、ひたすら自分の中に浮かんだヴィジョンに忠実なのだな。それは映画的にはいいけれど、身近にいたらホー刑事ばりに精神的に弱らせられるよね。
怪しげな刑事コウを演じるのが『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』に出てた彼(ラム・カートン:甲本雅裕似)だよ!と思ったら、その多重人格の一人も『冷たい〜』に出てた彼!とまた嬉しくなって、あぁ、自分て思ってる以上に『冷たい雨に撃て〜』がすきなんだな、と思った。89分のサイズ感もよかったし、気狂いのバンの見るヴィジョンの白昼夢な感じが自分は大好きでした。ラスト近く、バンは幻視している妻を、自分だけが幻視してる存在だとちゃんとわかっていることが語られるセリフの場面は、それまで感情が見えなかったバンの抱えている悲しみがふと覗き見られた瞬間で、こういうふとした裂け目のような場面があると、映画が一挙に観ている自分の心にすっと入り込んでくるんだよな、と思ったのでした。

『MAD探偵7人の容疑者』(2007/香港)監督:ジョニー・トー、ワイ・カーファイ 主演:ラウ・チンワン
http://mad-tantei.com/index.html
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17555/

*1:原題は『神探』

*2:

*3:うろおぼえ。頭わるいってのがメジャー的にアウトだったんでしょうか

*4:ピエロとか大道芸人とかちょっと逸脱した人はズボン丈短い印象がある