“やっと逢えたね”『ヒアアフター』

評判が様々の『ヒアアフター』を観に行きました。ここのところイーストウッド監督作はかなりの絶賛されっぷりなのに、今作に関する微妙な感想ったら…ますます興味深い、と期待していました。
そんなに映画を観てない自分は『ミリオンダラー・ベイビー』くらいからちゃんとイーストウッド作品を観てる感じですが、今作については『チェンジリング』のときにも感じた画面の暗さと落ち着いた色調が、イーストウッドっぽいなと思いました(あと、音楽やタイトルの字体なども)。色調や音楽などのイーストウッド印で静かにはじまり、ドラマティックなストーリー展開の予兆に満ちた今作は、まず冒頭の津波の表現に圧倒される。東南アジアのリゾート地で津波が起こる*1。人が豆粒のように扱われてなくて、ちゃんとそれぞれの生活を生きている“人間”が巻き込まれる様が描かれる。その迫力が本当にすごい。主人公の一人、フランス人の女性ジャーナリストが津波に巻き込まれて、奔流に流される。道路に横たわる大木につかまって波をやりすごせそう…と思った矢先に車がドドドと流れてきて彼女の後頭部にガツンと当たり、彼女は意識を失って水中を漂いだす。鉄の塊がガツンと彼女にぶつかった瞬間、「うわ、これは“人”が“モノ”になった瞬間だ」と思った。一瞬で生ある者が、死体になった瞬間!と思いきやあっさり蘇生。おぉっ?
ロンドンに舞台が変わる。双子の男の子。厳しい家庭環境のなかでも仲良く、助け合ってきた双子の片割れが事故でなくなる。驚くほどあっけなく。
アメリカのマット・デイモン演じる霊能者ジョージの物語。どうやら彼がこの映画の中心人物らしい。死者の世界と繋がることができ、手を触れた人の関係する死者とコンタクトできる、と。死者の声を聴くことで、現実世界での人間関係の破綻を避けられない人生を歩むこととなってしまった彼は、いまや死者の声を聴くことを避け、ディケンズ作品の朗読を聴くことでのみ癒されている。
この映画の物語ってなんだろう?と思う。まず主題1「死後の世界はあるのか」主題2「ジョージ(ひいては、死後の世界と繋がってしまった人間)の魂は救われるのか」に整理。主題1、って結局主題2のための前提/設定のような気がする、うん、そうだな、だから主題2に絞る。
“死後の世界”はそれが存在するかどうかすら人間が知りえない領域。その世界と“繋がる”能力があるということは、全知全能の神の領域に立ち入っているということ。と、考えるとジョージは禁断の実を食べたアダムみたいだ、ジョージは神の領域を犯した存在。じゃあ、イタリア料理教室で知り合ったダークな髪の色の彼女は、好奇心でいっぱいのイブみたいだ。既に知恵の実を食べて楽園追放(人知の及ばざる領域を犯してしまっているがゆえ普通の生活を送れなくなってしまっている)の憂き目にあっているジョージの能力に好奇心を抱いた彼女は、ジョージを唆し、さらなる知恵の実を得ようとする。で、結局彼女は辛い思いを味わうことになる…好奇心の代償。女は誘惑者。男を落とし穴に陥れてしまい、自分も同じように落とし穴に嵌る。
でも、一方でそんなジョージを救うのは女神さまみたいな、聖女みたいな、明るい髪の女性。彼女は一度死んだものの*2、蘇った人。つまり彼女:マリー=ルレも神の領域に触れてしまった人。彼女は瀕死の体験以来、心ここにあらず、というようになり、それまで属した華やかな社会から疎外されるけど、その疎外感に屈することなく、自分の見たヴィジョンを信じ、自分の臨死体験を世間に知らしめようとする。それにより世間において、死後の世界のことを思い、迷っている者を救うことが使命であるかのように…って、処女ながら聖霊によりイエス宿し、イエスを産んで世に送り出した聖母マリアにどこか通じるような気がする、*3。その運命の二人を結びつけるのは、双子の天使。片方は地上に留まることで、片方は死後の世界にいることで、運命の二人を繋ぐ。そんなふうに、いわば“ソウルメイト”を求める二人が出会うための物語のように感じました。だって、ラストシーンを観ながら鮮烈に思い浮かんだのは、辻さんという方が、中山さんという方に仰ったという「やっと、逢えたね」という伝説的セリフだものな。
人間は好奇心や利己的な欲望で他者を利用しようとする(ジョージの兄みたいな)存在でもある一方、深く深く落ち込んだ魂を救うような存在でもある。後者のような“自分の魂の片割れ”に出会ったとき、人は救われる。この映画は、死後の世界が主題のようだけれども、結局これは運命の男女が出会うまでの物語。だって、マット・デイモン演じる彼はなんでイタリア料理習いにいってたんだろ?暗い髪の彼女の理由⇒「ステキな出会いがあるかも!」と同じかもしれないじゃない、なんて思う。ジョージがそれを得るには“呪い”のようにおもえた“gift”と天使の恩恵が必要だったわけで。
“死後の世界”とか“スピリチュアル”とか“巡りあうための物語”とか“運命の男女”とか“ディザスター”とか、いろいろの要素は溶け合っていなくて、ジャンプしたり唐突だったりして、それらの要素の映画内での並存の仕方があまりに不思議な印象を残す映画でした。有る意味忘れられない、いつまでたっても腑に落ちることなく、不思議でありつづける鬼っこみたいな存在になりそうな気がするのでした。

ヒアアフター』(2010/アメリカ)監督:クリント・イーストウッド 主演:マット・デイモン
http://wwws.warnerbros.co.jp/hereafter/index.html#/home
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17605/
 ※やっと逢えたね
 ※好奇心いっぱいの女性とジョージ


《その他追記》
※ロンドンブックフェアいいなあ。朗読聴けて、サインもらえて、いいな。
※料理教室での、ペア決めのときマット・デイモンとおじいさんが余ってて、そこにキレイな女性が遅れてきたときのおじいさんのソワソワの様がおもしろすぎた。
※フランス人プロデューサーの枕営業っぷりがひどかった。

《参考》INTRO:『ヒアアフター』公開によせて:黒沢清監督にイーストウッドのことを聞く
http://intro.ne.jp/contents/2011/02/14_1735.html
リンクは貼りませんが、前田有一氏の『ヒアアフター』評を読んでみたらこれまた不思議で…

*1:おそらくスマトラ沖地震がモデル

*2:あの津波の場面で彼女は絶対一度“モノ”になってたって…

*3:ぼんやりした浅薄なキリスト教イメージのみで書いてます…