『making of LOVE』

making of LOVE』が上映されるとのことで、大阪での上映初日に観に行ってまいりました。東京で上映されていた頃に、観たいなあ、と思ったものの、大阪での上映がないので諦めていたのですが、いつか映画館で出会えるかもしれない、と思って、種々のレビューなどは薄目でしか見ないようにしていた。予備知識なしで出会ったほうがよさそう、という予感があったので。実際観て、自分の勘は間違ってなかったな、と思いましたよ。新鮮な初見でよかった。以下感想はネタばれてます。あしからず。
この作品を観る前に尼崎で『ザ・ファイター』を観ました。その中で、マーク・ウォールバーグ演じるミッキーがエイミー・アダムス演じるガールフレンドをデートで映画に連れていく場面がある。試合に負けた直後のミッキーは地元の連中に会いたくなくて、郊外のちょっと“高級なヨーロッパ映画”をやってる映画館に行って、完全寝オチする。で、あきれた彼女は観終わった後、「こんな映画観たかったの?セックスもなにもない」みたいなこと言う。『making of LOVE』観ながら思いましたよ、ミッキーは彼女を『making of LOVE』にこそ連れて行くべきだったね。セックスもラブもSFもあるものな、と。
最初は「ふるさわ監督」が愛をテーマにした映画を自主映画として撮り始めるところから始まる。その撮影過程のメイキングでカメラを回してる体です。映画の主役を演じる翔太のリアル彼女を映画に出演させようと呼び出し、彼女にすきあらば“おさわり”をする様を執拗に描写!ふるさわ監督*1のなんかヤな小人物感が醸し出されてていい感じ。こんな卑小で“こすい”ふるさわ監督の前に謎めいた女性ゆかりちゃんが登場。ゆかりちゃんは見かけるたび違う男と歩いてて、最後はホテルへ入っていくのだけど、カメラでその様子を自分撮りしながら歩いてる。そんな彼女に興味を持ったふるさわ監督*2が彼女に映画出演してもらうべくコンタクトを取るにつれ、自主映画云々はうっちゃって、彼女自身が監督の興味の対象になる。しかし、翔太がゆかりちゃんに恋をした挙句、相思相愛になったのを知ったふるさわ監督は嫉妬からストーキングまでしはじめる、この小人物っぷりが素晴らしい、古澤監督演技うまいでやんの。ヨシキさんのアドバイスに従うくだりったら…。監督の“きょとん”とした表情がさらにいい感じにはまっているな、と思った。ふるさわ監督が二人を別れさせようと行う醜い工作の数々もたまらんですね。でも、ああいう卑小な工作って、実社会でもよくあると思う。仕事の現場とかで、いい大人でも(ていうかいい大人こそ)よくやってるよ。そんで、その卑小さをちょっとたしなめられて、シュンとしたり。いい大人が注意される、って、ねぇ…なんとも言えない気持ちになる(や、つい最近身近にこんな事例⇒十分すぎるほどの“いい大人”がまるで子どもな行動《仕事中に大声で延々とお喋りしすぎ》を注意されるっていうところ、を見たもんだから)。さて、一方の翔太とゆかりはラブラブ*3なのに、なぜかセックスだけはゆかりちゃんが拒否する。なんで拒否されるんだろ、と翔太はイライラして…
ストーキングくらいまではともかく、翔太とゆかりちゃんの二人のシーンがメインになって以降はそれまでの自主映画のメイキング用カメラ、という体では無くなっている。小説で一人称から三人称にいつの間にか変わったかのような転回…なんだけど、これは、ゆかりちゃんが自分撮りで、記録用に回しているカメラに切り替わった体なのかな、と思った。もしくは彼女のふるさとの星の宇宙船兼カメラによるゆかりちゃんと翔太の“リアルな愛の作られ方”のメイキング撮影?
彼女は地球人との間にこどもを持つべく生殖活動をしにきて、一度寝た男からはその記憶を消去してしまう仕様になってる。けれど、翔太には忘れられたくなかった。でも、いずれは翔太とセックスするに至りたい、至らざるを得ない、とゆかりちゃんは分かってる。そうなると記憶から消える、でも、わたしを忘れないでほしい、っていうせめぎあい。こないだの『ベブンズストーリー』にもあったよ、こんな主題。…自分を認識してほしい、から始まって、自分をわかってほしい、そして自分が相手の中で確固たる位置を占めたい、自分が居なくなったら寂しいと思って欲しい、などというのは人間の根源的な欲望のいっこだと思う。それはいわば愛の過程か。そうやって培った愛の記憶が抹消されるって、それは耐え難いだろうさ。
しかし、その愛の過程のいっこのクライマックス場面。「青春H」っていうシリーズの一本なんだということを思い出すことになったシークエンスの生々しさったらね。普段観てる映画のセックスシーンがいかに映画的に作って見せるように演出されてるか思い知りました。音全般、生活音の入り方とか、カメラのアングルとか演技とか…なんというか総合的に身の置き所に困るような感じに迫られつつ観ておりました。藤代さやさんのもろもろリアルな感じは(これ以上書くとなにかの墓穴を掘りそうな気がするのでやめとく)
その後の素晴らしい展開はいわずもがな。うん。説明不要ていうか説明できない、Don't think,feel it!だな。しかしちょっと不思議だったのは、なんでカメラ型宇宙船に乗り込むのに、全裸やねん、という。はい、無粋な問いですね。あと、そんなにたくさんの地球の男とコンタクトをとったのに、なぜこどもが出来なかったのかなー。ゆかりちゃんの星の宇宙人種と地球人種の相性の問題だったのでしょうかね。
エンドロールのイメージヴィデオ風の藤代さやさんの歌もよかったです。不思議デザインの水着とか。全体のキッチュな感じ*4といい、かわいらしさや、そこはかとないエロさ、男受けいい感じをかもし出しつつ、さらさらの髪をなびかせて、にこにこと歌う様を観ながら、映画内のいろんなエレメンツを思い起こして余韻を反芻し、なんかすごいもの観た感で満たされたのでした。これぞ映画か。いやはや。それしても、古澤監督、演技がすごすぎた。や、あれ、演技、だよね?

making of LOVE(2010/日本)監督:古澤健 出演:藤代さや、川上洋一郎、古澤健、佐伯奈々
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD16943/
※さやちゃんが、シルク師匠に見える瞬間が何度かあったことを告白します(あくまで私見)

※映画レビュー検索して知った。翔太くんの部屋に「REPO MAN」て書いた小道具があってそれが伏線という。その映画観てないよ!ググったら、かなりいい感じにインスパイア元、的な。

映画館で出会えることを願ってたら、偶にはかなうもんだな。今度6月に神戸で『プライベート・ライアン』にスクリーンで出会えることを知った昨日、さらにそう思った、という日記。

*1:あくまで役、です

*2:興味っていうか、自分もあわよくばイケるかも、という期待…なのか?

*3:街のあちこちで小鳥キスしまくる

*4:死語