伊藤計劃『ハーモニー』

P・K・ディック賞の特別賞を受賞したこの小説は、おもしろいに決まってる。『虐殺器官』もおもしろかったしな、とハードルが相当上がった状態で読み始めました。
虐殺器官』のラストでトリガーが引かれ起こった、虐殺、混乱、核戦争、核物質散乱後の病に満ちた世界:大災禍を経たのちにたどり着いた世界が舞台です。人間には逃れることのできない「生老病死」という4つの苦悩がある、という仏教由来の思想があるけれど、小説の中の世界は、それらのうち「病」を克服した世界、ともいえる。地球上の人は(ごく一部の貧困層や紛争地域を除き)WatchMeというメディケアを体内にインストールされ、常時健康を保つべく、政府ならぬ生府のサーバーにより監視されている。このWatchMeは、健康維持機能にとどまらず、個人認証や支払い等あらゆる社会生活のベースになっている。『虐殺器官』の世界もピザの宅配すら個人認証が必要とされていたけれど、今作ではさらにレベルの進んだ世界になっている。大災禍を経た人類の主導者たちが達した思想“人間はリソースである”という考え方に基づき構築された世界/システム。人間は、生府/社会の構成要素であるからには、その社会を損なうような行為は許されざるべきものであるため、その構成要員の個人情報はすべてオープンにされるべきであり、友愛と思いやりと調和の世界であることが一番重要とされる。病もなく、健康管理が徹底してなされているため、みな適正体重を保ち、トラウマとなるような事象や映像は完全に検閲され、万一精神的傷を負うようなことがあっても、徹底したケアがなされる世界。簡単にいえば、「自分の身体は自分のものではない」世界。自分の身体は、社会のもの。貴重なリソース。
自分の身体を取り戻し、この緩やかな閉塞感に満ちた世界に亀裂を加えること。それが大人になりWatchMeを入れられるまでに語り手(トゥアン)とその友人ミァハ、キアンの3人の少女が試みようとしたこと。3人のうちリーダー的存在だったミァハだけがその試みに成功し、残り二人は生き延びる。ふたりは“平坦な戦場で僕らが生き延びること”の段階に突入したわけだ。
正論は強い。「健康によくないことはしてはならない」「精神的に傷になるようなものは見せてはいけない」。「いや、そうでもなくない?」と反論しようにも、正論を正面切ってぶちまけられたら、反論する気にもならない、だって、議論にもならず平行線になるの目に見えてるものな。昔、友人とタバコの是非で言い合いみたいになったことがあって*1、友人が「タバコを吸う人は自分だけがガンになって死んだらいいねん」と言い放ったとき、もう自分の「嗜好品だし、よほどマナー悪いとかじゃなきゃいいんじゃない」という意見は聞き入れられないことを、深く悟った経験があったのです。人と人とは分かり合えないことがあるんだな、と感じた思い出(しみじみ)。自分タバコ吸わないのに、なんであんなふうに一生懸命になったんだろ。なんだか他者のライフスタイルへの寛容さが低いのが…というかなんだか知れないけれど極端な偏り、っていうのが気になったんだ、きっと。
人が反論しがたい“正しいこと”を志向する空気が世界を覆い、病や痛みも排除されたゆるやかな友愛の満ちた世界。ある種の理想郷。でも、これじゃまだ足りない。だって「生老病死」のうち、「生」「老」「死」は克服されてないじゃない…というわけで、これらを駆逐できる最後の“ボタン”を押すことを巡る物語が描かれる。そのボタンは理想郷:完全なるハーモニーの世界へつながるボタン。100か0か、是か非か、二色で塗り分けられる世界はラクチンだよ、真の理想郷世界(ボタンを押した後の世界)には、100、是、正しいことしかないから、なにも考えなくていい。選択も選別も不要。考えないということは、「生」まれてきた苦悩も、「老」いることへの焦燥も、「死」への恐れもない世界。すべては必然でそれを受け入れるだけの生のありかた、4つの苦悩から解放された世界だ。アリやミジンコとどこも変わらないよ。「身体」だけじゃなく「脳」までも社会に差し出した/外注委託した世界。
健康のためなら死んでもいい人たちや、自分が自分である承認や“よすが”を求めて宗教(宗教と名乗らずとも、宗教的支柱となる思想もあるよ、ロハスでも青少年健全育成条例でも極度の衛生志向とかエセ科学とか、なんでもいいけど)が勃興する、時代の空気。…いま、この本を読めてよかったし、いろんな人に読んでみてほしいな。きっとこれを読んで、「このラスト、まさに理想!」と思う人たちもきっといると思う。自分はうつくしくてからっぽなラストに、悲しくて胸がいっぱいになったけど。このからっぽさは『天人五衰』の最後の庭の風景みたいだな、と思った。
ここに至るまでのディテールも『虐殺器官』の作者だけあって、すばらしくって。完全なるハーモニーの世界を実現させるボタンを押さざるを得ないほどの、無秩序や混乱を生じさせるための手段として、タナトスを刺激するという意識の調整を行うのだけれど、その映像的なこと。『CURE』の最良のサンプリング。でも、それらもすべて生府の所管するサーバーと各人が接続されているからこそ起こる事象なんだから、ラスト、そのボタンを押す前に、各人に入っているWatchMeと生府のサーバーの接続を切断するという選択肢もあったはずなのに、という疑問があるけど、それは語り手が選択しなかったというわけで(一人称の利点を生かしてる)。このぼんやり残る余韻というか余白の部分に、次の物語の萌芽があるような気がする。だって、小説内世界にはサーバーに接続されていない人たちが少数ながらいたよね。彼らの物語はきっと続くから(『マトリックス』的?)。
伊藤氏はもういないけれど、この物語は、いまこの世界で続いてるような感じがする。そしてこの「病」や「痛み」のない世界をこんなにも不気味に描いたのが、長く過酷な闘病をしていた伊藤氏だと思うと、ラストを読んでいっぱいになった胸がさらにいっぱいになる。
文体やスタイルもあわせて、うつくしかった。

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

*1:自分は争いを避ける性質なのですが・・・