『カティンの森』

神戸映画サークルさんが月イチでやっておられる上映会(会員以外でも観られる)。今月は見逃していた『カティンの森』だったので観に出かけました。カティンの森事件についても、当時のポーランドの状況についても知識はほとんど無いような状態で行きました。
カティンの森事件とは・・・、第2次世界大戦中にソ連のグニェズドヴォ(Gnyozdovo)近郊の森で約4400人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソ連の内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。「カティンの森の虐殺」などとも表記する。
政治状況・戦局の複雑さに加え、このキャラクターって誰だっけ?と覚えきれないうちに再登場したりして、なかなか全容を細部にいたるまで把握するのが難しかったです。というのもカティンの森の虐殺事件の何人かの犠牲者の家族にかかわる物語が錯綜するから。なんらかの事件(天変地異でも戦争でも)により数多の犠牲者が生じると、約○○人と“約”でくくられたりもするけれど、それらの個々人すべてに家族がいたり、遺された者の癒えない悲しみがあったりする。当たり前といえば当たり前で、映画や小説はそういう個の物語を語ることで、大きな物語を意識させる効果があったりする。ナチスにせよ、日本のアジア戦線にせよ、映画などで第二次大戦について扱う場合は、終戦で一応の大きな物語は“おわり”、というか“区切り”を迎えるというのが定型です。
しかし、第二次大戦が終わったにも関わらず、戦時中に起こった「カティンの森事件」は終わらなかった、ということが自分には衝撃でした(全然知らなかった)。「カティンの森事件」は、明らかにソ連側がポーランド人捕虜を虐殺した事件であるのに、そうじゃないことにされていた*1。戦後、ポーランドソ連の衛生国になったためにソ連に都合の悪い史実が隠蔽されることになってしまったということだけど、こんな理不尽なこともないわな。よく、誰かが殺されてしまった後に開かれる裁判で、「裁判により事実を知りたい、殺されてしまった理由を知りたい」っていう被害者遺族の意見が報じられる。失われた命は生き返ることはないけれど、その事実を受け入れるためには、その死にまつわる「真実」が開示されることが必要なんだな。“大事なあの人は、一体どんなふうな最後を迎えたのか?”
劇中の“遺された人々”にとっての“大事なあの人”が、いかに死を迎えたのか、という“真実”は、この映画の最後の最後に描かれます。複雑な政治状況も国際情勢も吹き飛ぶような“真実”*2。2時間弱描かれてきたそれぞれの個の悲劇的ドラマの原因となった「カティンの森事件」の“真実”の重みに観ている自分は打ちのめされてしました。人の命がなんの重みもなく、ただただ事務的に処理されることが、戦時やある状況になれば、当たり前のことになってしまう*3。まるでモノクロのような陰鬱な画面で、次々処理されていくその描写に言葉を失う。後頭部から銃弾を撃ちこみ、突き落とす。その繰り返し。これを観ながら、政治的弾圧が人の頭を刈ること繋がるっていうのは普遍的な思想なのかな、ということも思った。「カティンの森事件」にしてもポーランドの復興の主力を担うような軍人、知識階級・宗教的指導者等を虐殺したわけだけど、ポルポトにせよ、文革にせよ、権力側は「人の頭の中」⇒思想、本などが恐くてたまらないんだな。思考してしまう脳こそが権力に対する脅威だと。それだけ人の脳って、権力からもなにからも自由である最後の器官ってことかもしれないけど・・・。それらを根絶やししようと淡々と処理していく最後の場面がそれだけに恐ろしかった。このラストシークエンスこそ、監督の描きたかったものなんだろうな。終幕、黒い画面の無音がしばし続く。この余韻も含めて、映画だな、と思いましたよ。

カティンの森(2007/ポーランド)監督:アンジェイ・ワイダ 出演:マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ
http://katyn-movie.com/pc/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD15187/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1133861821

カティンの森 [DVD]

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*1:ナチスのしわざ、とされていた

*2:監督にとっての真実かもしれないけれど

*3:先日観た『ヒトラーの贋札』にもそのような描写があって、その記憶も新しかったのでより一層深くその事務処理感に暗澹たる気持ちに・・・