もがきまくって生きる『BIUTIFUL ビューティフル』

イニャリトゥ監督の『BIUTIFUL ビューティフル』を観に行ってまいりました。余命宣告された男をハビエル・ダルデムが演じる重そうな内容、という程度の情報で観に行き、鑑賞後うぅむ、と唸ってしまいました。映画の公式サイトの「終わりを知った者だけが見せる、力強く美しい人間の姿とは」という文章からイメージする高潔で感動的でシンプルなお話ではなかった。そもそも、看護師が採血の針を刺すのが下手だといって、自分でやってしまうような男*1が、わずか2か月の間に劇的に変化して感動的な何事かを成し遂げるなんて無理な話で。そんなありがちな感動物語に収束しないなにかを描こうとしている。
前立腺がんの末期の状態に至ってはじめて病院を訪れたウスバルが余命2か月を宣告されるところから本編がはじまるので、限られた時間において、この男は何事かささやかでも感動的なことを成し遂げるのかな、とつい期待してしまう。しかしそんな期待を裏切るように、過酷な現実がさらに過酷さを増していくさまがひたすら描かれていきます。ハビエル演じる主人公ウスバルを軸に、彼に絡まるいろいろの事象がそれぞれの物語を紡ぐ。それぞれの物語は個別に進行するのではなく、互いにかすかに時に大きく影響し響きあい、うねるように進み不幸が雪だるま式に絡み合い膨らんでいく。ウスバルを取り巻く事象の不幸要素は次のような感じ
1 ウスバルの家族の問題。子ふたりを彼が育ててるけど。別居している(元)妻は精神的に不安定(双極性障害)なのでヨリを戻してもすぐダメになっちゃう
2 アフリカからの移民の不法な路上での商売に関わる闇商売(警官への賄賂などの仲介など)
3 中国からの移民の不法労働の仲介(不法移民の取りまとめ役にはゲイの相棒がくっついてる)
4 ウスバルの病気
不法移民、マイノリティ、病む妻、病む自分。不幸のてんこ盛り…ウスバルはもがきまくってます。余命宣告を受け、こどもたちのために金を残さねば、と、がむしゃらに闇商売をするものの、それぞれの場でどんどん悪いことが起こりついには最悪の事態も起こってしまう。彼自身は悪いヤツじゃないように描かれてます、中間搾取しながらも、移民を思いやり面倒みてやってるような描写も多々ある。でも彼は、根本的になにかを変えようとしたりはしていない。どだい、変えられもしない。いまさら真っ当な商売をすることもできないし、良き人間にもなれない、ただ、こどもたちだけは守りたい。その思いだけに必死で、ある意味自己中心的になり、劇中に起こる悲劇的事故や裏切りを招いてるともいえるかもしれない(死を前にして他者に尽くすパターンだと、美談ストーリーに落ち着きやすいかな)。
そんな蟻地獄トラップに嵌ってもがいて、さらに深く落ちるウスバルには、なぜだか特殊能力が備わっています。この世に思いを残して死にゆく者の姿を見、声を聴くことができる*2。しかし、そんな能力を持つ自分が日々死に近づき死にゆく者である立場になってしまうって、どんな感じなんだろうな。たとえば人のある病を治す医者自らがその病を得たような感じ?対象となる相手は常に他者だったのに、自分がそちら側に取り込まれたような感じなんだろうか。死者の側の世界を自分の一部として共有する感覚が強まり、現世と死者との間に位置する自分の感覚がどんどん研ぎ澄まさていくような。だから、ふっと扉を開けて視線をあげた瞬間に天井に死者の姿を見たり*3するんだろうか。少しずつ数を増す天井の蛾、空を飛ぶ鳥の群れ…どこか不穏で不吉なのに一枚の画のように美しいヴィジョン、末期の者のみが持ちえる目で世界が見えてるみたい。そして娘を抱き寄せたときに、とくとくと鼓動を打つ心臓の音があんなにも響くのも、彼が末期の目を持つ者だからかな。
この映画は冒頭とラストで同じシーンを使っています。ウスバルの指にはめているダイヤ*4の指輪の来歴≪ウスバルの父が母に贈ったものを、ウスバルが妻に贈った≫を娘に語り、その指輪を娘に渡すというシーン。あと雪の森で若い男と話をするシーンのふたつです。冒頭でこのふたつを観てもなんのことやら、なんですが、ラストに観るとなんとなく、わかる、かなぁ。まず雪の森で話す男はウスバルの父。つまり死の世界へ降り立ったウスバルが彼の生まれる前に亡くなってしまった父と生まれて初めての邂逅を果たす場面。そこにはフクロウの死骸があって毛玉を吐き出してる。フクロウは死の直前に毛玉を吐き出すんだよ…て、ウスバルの死のメタファーかな。彼がフクロウの毛玉のように現世に最後に遺したものはなんだったのか…彼は、死の直前、自分の指にはめていた指輪を娘にわたす。自分の父から自分の母、そして自分へと渡ってきたものを娘に託する。大きな生命のつながりの一部の役割を果たし次代にバトンを渡して死ぬ。どんなに不幸で、病で弱り切ってボロボロでもおおきなサイクルの一部としての役割は果たせた、ってこと?生きることをあきらめなず、もがきまくったウスバルの人生。娘にbeautifulのつづりを尋ねられて、読んだままを書けばいいんだよ、といってbiutifulと教えたウスバルの人生は、耳できいたままの不器用な口語的表現のように、文法的には正しくない*5し、洗練もされていない。そんなふうに地面を這うように生きてきた彼のやせ衰え、オムツまでしてる最後の生きざまは、それでも、うつくしかったということなのかな。死ぬな、もがけ、生きろ。過酷だし、美的ではないけど、それこそがうつくしい人間の生き様ということかしらん。映像ではっとするほど美しかったり怖かったりするもののがある(特に中盤以降)。ハビエル・ダルデムも熱演でした。観ながらもやもやしましたが観てよかったですよ。

BIUTIFUL ビューティフル (2010/スペイン=メキシコ)監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 出演:ハビエル・ダルデム、マリセル・アルバレス、エドゥアルド・フェルナンデスほか
http://biutiful.jp/index.html
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17918/

Biutiful

Biutiful

※雪の森の場面ではなぜかBell and Sebastianの『FOX IN THE SNOW』が思い出されて脳内再生してましたが、Coldplayがこの映画にインスパイアされて曲をつくったとか…http://eiga.com/news/20110614/3/
※中国人のゲイ設定は詰め込みすぎのような気もしたなぁ。『スプリングフィーバー』をちょっと思い出したりもした。
学生のときの課題に取り組むかの如く書いてみた。こういう思考作業は楽しいな。一体いかほどの人が読んでくれるのか、とか考えるとアレだけど、こういうのは費用対効果じゃないから。うろおぼえもあり的外れな感想かもしれませんがご容赦くだされ。

*1:薬物常用者だった過去。そんな環境に身をおいてきたことを示唆

*2:ヒアアフター』のマット・デイモンと違うのは、彼は死者一般の声が聴けたけど、ウスバルは死にゆく者、死んだ直後の者の声を聴けるみたい、という点かな

*3:これが本当に怖い

*4:本物か模造か不明

*5:ウスバルの生業はイリーガル