津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』の“ミュージック”には色々代入可能です

津村記久子さんの『ミュージック・ブレス・ユー!!』を図書館で借りて読みました。すこし前に本などをまとめて処分して以来、よほど手元に置いておきたいもの以外はなるたけ買わないようにしていたのですが、最近文庫になった『ミュージック・ブレス・ユー!』をあらためて買うことに決めました。それくらい自分は好きになりましたよ。これは音楽小説の佳品でもあるし、愛すべき青春小説でもあるからです。
歯科矯正中の高校生、アザミが主人公。読み進めると分かるけど、彼女はおそらく学習障害とか発達障害の子なんだと思う。集中力が続かず、勉強も手につかない、ちょっと周囲ともうまくいかない。でも音楽だけは違う。授業や友達と喋るときなど必要最低限以外はヘッドフォンをつけて音楽で脳を満たしてる。曲の感想やコメントを仔細にノートにつけて、自分なりのコンピを考えたりしている。ずっとずっと音楽ばかり。

・「音楽こそはその際に立ち続けていれば世界が吹き込んでくる窓だとアザミは信じていた」
・「一種のドーピングのようなものなのだ。音楽を聴いていないと手も足も出ないときがある。物理的にも、そして数分をただ行きをしてやり過ごすだけのことにさえも。けれど音楽を聴くと、それが鳴っている何分かだけは、息を吹き返すことができる。アザミはときどき、自分はその何分かをおびただしく重ねることによって延命しているだけだと思う時がある。」
・「またあの場*1に行けるのかと考えると、頭のてっぺんから魂がぬけてどこまでも上っていくような気分になる。去年リンキン・パークが『ナム』を演り始めた瞬間、隣に座っていた中学生ぐらいの男の子がうっとりと目を瞑って長い長い溜め息をついた。その顔が本当に幸福そうでおかしかったので、あとでチユキに言うと、あたしも見た見た、と二人で爆笑した。またあんな変なことがあるだろうか、と思うと、アザミは卒業のことはもうどうでもよくなっていた。」
・「中学生の頃、『おれって何歳だっけ?』という問いにのせて全裸で町なかを三人のメンバーが走り回るブリンク182のプロモーションビデオを見かけて音楽を聴くことを発見したばかりの自分は、まともなことはほとんど何も知らないという劣等感も込みで、ただひとつの知っていることとしての音楽について、あたりかわまず喋りまくっていた。それは本当に、誰にも受け入れられなかった。高校に入学して、音楽のことを思う存分話すためにバンドに入ったが、相変わらず誰とも話はできなかった。知識なんて必要ない、とさなえちゃんは言うのだ。音楽をやりたいという強い気持ちと比べれば、それまで何を聴いてきたかなんて、どれだけの量を聴いたかなんて関係ない、と断じられた。それはそうだろうと思うけれどアザミは、彼女たちと楽器を演奏することが音楽を聴くこと以上に大事なこととはどうしても思えなかった。」
・「世の中には、趣味的なものも他者も一緒に手に出来る幸運な人がたくさんいて、それは、両方持ってる人、他者を持ってる人、趣味的なものしかない人、の順に人間の序列は決まっているとアザミはうすうす気付きかけていた(中略)。ただ、アザミ自身も自分が持たざる者であることをあまりに気にしていなかった。音楽があるだけましだと思うのだ。いや、『だけまし』なんて物言いは本当におこがましくて、要するに、音楽は恩寵だった。」
・「音楽がそこにあるとはどういうことだろうと考えた。背後でドアが閉まる音を聞きながら、アザミは、今ヘッドホンをかぶっていないし、何も持っていないし、これからもそうだけど、自分はひょっとしたら、音楽を聴いたという記憶だけで生きていけるのではないかと思った。」

この小説における「音楽」という位置には「映画」「本」「マンガ」「サッカー」「陸上」…夢中になれるいろいろなモノが代入可能だと思う。
アザミはまた、他者との距離のとり方を迷う

・「自分の『なんで?』と簡単に言ってしまうくせによって、誰かがいやな思いをするということもあるということがだんだんよくわかってきていたので、嫌われたくない相手には『何で?』と訊く前に慎重を期すようになった」
・「とにかく相手の言うことを肯定することは大事だと、アザミは十七年の人生で体得していた。否定されるために発言する人というのはあまりいない。特に女の子はそうだ。女の子とうまくやっていくためにはとにかく同意だ、とアザミは心に決めていた。」
・「普段はアザミのことには洟も引っ掛けない男子が、アザミは音楽のことをある程度『わかる』と知ると、目の色を変えて語りだすこともある。いつも自分は半人前だという思いに囚われているアザミも、そういう瞬間にだけは、同じ世代の人の仲間入りをしていると思うことができた。」
・「誰とどのぐらい仲が良いかについて、誇張せずに慎重にその距離を語ることはとても大事なことである。自分の思う近さと相手の認識する距離感がずれてしまっていたら目も当てられないからだ。特に、自分のほうが相手よりも相手と親しいなどと思い込んでいる場合は。」
・「何か言いたいのだろうと思う。けれどそれが頭の中でどうにもまとまらないから、とりあえずそこに居続けて、相手に調子を合わせる。アザミは、そういうことをしている時間の中での、空疎さが頭の中で膨張するような苦痛のことはよくわかった。自分の考えていることをうまく口にできない人を、どうしても置いていくことができなかった。」

抜書きだけすると、たいそうマジメみたいですが、共感しがたい、でも共感したくなるアザミが魅力的。そして何割か増しで自分にとってよく感じられるのは、舞台が大阪ということかも。登場人物の話す大阪弁は、普通です。すばらしく普通です。自分たちの話す口調なのです。変だったり、衒いのある大阪弁じゃなくとても自然。すばらしい。小説の中にはいやみったらしい男もロリコンの男もサイテーの男も出てくるけど、なんぞ制裁はくだってちょっとスカっとするし、でもそんなサイテー野郎どもも、結局世間でうまいことやってくんだろうよ、とちょっと苦い感じもするあたりが良い。サイテー野郎ども、おまえらはそんな風に生きてけよ、って、でも自分は違うように生きるわ、っていうアザミたちの迷いながらふらふらしながら必死な青さがいいなあ、と思う。
そんなに長くないし、大阪弁ユーザーじゃないかたにもおすすめですよ。「ミュージック」にいろいろ代入して楽しんでみられるんじゃないかな。自分も中に出てくる音楽はそんな知らないけど、読みながらほんと楽しかったな。

ミュージック・ブレス・ユー!! (角川文庫)

ミュージック・ブレス・ユー!! (角川文庫)

*1:注:音楽フェス