『引き裂かれた女』

クロード・シャブロルの『引き裂かれた女』を観ました。この映画を観終わってエレベーターに乗ったら、同乗した女性ふたりが「なんかよくわからんかった」と言ってて、たしかにお話はシンプルなのに、やたら奇妙な手触りなんですよね。公式HPから引きますと

20世紀初頭のアメリカで実際に起きた情痴犯罪スタンフォード・ホワイト殺害事件。ミロシュ・フォアマンが映画「ラグタイム」で、リチャード・フライシャーが映画「夢去りぬ」でそれぞれとりあげたこの三面記事的なスキャンダルがヒントになり脚本が書きあげられた本作。性格や年齢の異なる2人の男に愛されたヒロインが思い込みの激しさゆえ、歪んだ恋愛関係に溺れ自分を見失っていく様をスリリングに描いたサスペンス・ラブストーリー。

スタンフォード・ホワイト殺害事件とは
女たらしで名高い建築家スタンフォード・ホワイト(1853−1906)は47歳のとき、ブロードウェイのコーラスガールとして舞台に立っていたエヴリン・ネズビット(1884−1967)に目を付け自分の愛人にした。ネズビットは俳優のジョン・バリモア、ポロ選手のジェイムズ・ウォーターベリ、雑誌出版社のロバート・J・コリアーらとも交際し、ピッツパーグの石炭・鉄道王の息子ハリー・ケンドル・ソーと1905年に結婚した。ソーはコカイン中毒者でサディストだった。1906年6月25日ネズビットとソーがマディソン・スクエア・ガーデンの屋上劇場で観劇中、突然ソーが至近距離でホワイトの顔を撃ち、殺した。公判ではソーは心神喪失による無罪を獲得、ビーコンの州立犯罪者精神病院に入れられた。ネズビットはその後、ヴォードヴィルに出演、無声映画の女優を経て、カフェの経営者になった。

多少の設定は異なるけれど、ほぼこのままのシンプルな話なんですよ、なのに、映画の印象はやはりどこか奇妙なのです。
実際のホワイト殺害事件に当てはめてみますと、映画ではリュディヴィーヌ・サニエ演じるガブリエルがエヴリン。『トランスポーター』シリーズでおなじみのフランソワ・ベルレアン演じるシャルルがホワイト。ブノワ・マジメル演じるポールがソー、という役回り。この3人の三角関係が軸になるわけです。ガブリエルは年上の作家シャルルとあっという間に不倫関係になる→ガブリエルは即母親にウキウキと報告する→母親あまり動揺せずふつうに会話、など、すべてがあまりに急展開なので驚いてました。映画の冒頭は、3人はお互いを知らない状態。始まってしばらくすると、シャルルはガブリエルとTV局ではじめて出会い少しだけ会話をし、その後また偶然にも書店で再会する。たったこれだけの邂逅でシャルルとガブリエルの恋が発火炎上してる。しかも2人が再会した書店にやってきたポールはガブリエルを見て彼女に一目ぼれして恋の発火炎上をしております。繊細な描写などの積み重ねの末の恋じゃない、まさに一目ぼれの恋。…結構、こういう前提なしに当たり前のように提示される“事の成り行き”に「や、それ当たり前じゃないでしょ」と突っ込みたくなるようなことが多かったですね。それが観ながら感情移入するでもなく、奇妙なおはなしだなぁ、と思った所以かな。
一目ぼれの恋には、理由もなにもないだけにおそろしいですよ。恋だと思ってた感情は、単なる執着に変わる*1、いや本当は最初から執着そのものなのかも。相手の中身のどこがいい、とかじゃなく、ただただ「自分が一目ぼれしたその人」である、というだけでの執着は、もはや病です。かわいそうなことにこんな“病の域”に達してしまったのは、若いガブリエルとポール。シャルルは老成してるから、そんな轍は踏まないのです。ガブリエルはシャルルへの執着に囚われ、ポールはガブリエルへの執着に囚われている。互いの想いはバラバラの方向をみているのに、互いに同じ病に囚われている、という点では共通するから、ついついガブリエルはポールの求愛をうけて結婚することにしちゃったのかな。憐みや同情で共感して同族意識を持つと、ろくなことはないのに。それにしてもその“執着”のみっともなさったら。ガブリエルとシャルルがベッドで絡んでる。ガブリエルのし始めたことに気が抜けたような半笑いの表情になったポールが、次の瞬間「おまえ、それドコで覚えた!あいつか!」って豹変する。で、過去の経験を問い詰めたりするわけですが、本当に救い難いですよ、その様は。それもこれも病ゆえ。というか病がここまで進んでたら、もうダメにきまってる。遠からずカタストロフが訪れるはず。
ポールはガブリエルの目の前でシャルルを射殺するに至り、その歪んだ関係は破綻するんですが、そこで終わっていたらすっきり。だけど、その劇的瞬間の後、また奇妙な物語がはじまるんですよ。カタストロフで終わっていればある意味キレイに終われるのに、事件後のガブリエルの様子がたらたらと描かれる。劇的な恋や事件を経たのち、終わりなく続きそうな平坦な日常を生きる彼女。渦中にあるときはその感情の渦に飲み込まれ、振り回され、自分が世の中で一番の不幸な存在で、悲劇の主人公のような気分にもなるわけだけど、それも一歩引けば(過ぎてしまえば)単なる痴情事件/三面記事にすぎない。日常世界に生き残ったガブリエルは、なぜかマジシャンである叔父のアシスタントをつとめて舞台にあがるところで終幕。悲劇とはまた逆の非日常的方向に極端に針が振れところでおわることで、あらゆる人間の営みのしようがないほどのささやかさとか、卑小さとか、くだらなさとか、愛らしさとかが相対化されるような感じ。シャブロルの視線って未公開3作品を観たときにも思ったけど、どこか引いて全体をみるように、客観的で、アイロニカルなんだけど、ユーモアがある。人間を最後の最後で愛してる視線。それを今作でも感じましたよ。映画的カタストロフの後に訪れる、ぐずぐずした日常のようなラストシークエンスこそが、真のカタストロフ、それも終わらないで延々と続くカタストロフなのかもな、とちょっと時間が経ったら思えてきたのでした。
『引き裂かれた女』(2007/フランス)監督:クロード・シャブロル 出演:リュディヴィーヌ・サニエブノワ・マジメル、フランソワ・ベルレアン
http://www.eiganokuni.com/hiki/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17862/

引き裂かれた女 [DVD]

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※世間を騒がす痴情事件を起こした阿部定は、釈放後、劇団で役者やったり、店をやったり、金を持ち逃げされたり、いろいろ大変だったっけな(実録犯罪もの番組でみた)ということをふと思い出した。

*1:『アジャストメント』もマット・デイモン演じる主人公のひとめぼれ執着心が怖かった