『スーパー!』

関東のほうで先行して上映がはじまり、その評判の高さに早く観たいなぁと思ってた『スーパー!』をやっと観に行ってきました。脚本も演出もこなれていて、伏線とその回収っぷり、テンポのよい編集、悪ノリといえるような特効(神の啓示シーンとか)も安定感すら感じるほど。それが、ストーリーとしてはコミカルだったり若干悪趣味だったりするところもあるのに、手堅いなあ、という印象を持った所以かな*1
主人公のフランク/クリムゾンボルトを演じるレイン・ウィルソンが本当にいい顔でした。言いたいことがあっても言えないでガマンしてるみたいに口をぎゅっと結んでるのが、こどもっぽい。フランクは容貌コンプレックスと性格コンプレックスを強固に持ってて、そのコンプレックスで自分を閉じ込めてしまっている。彼は、そんなふうに“価値のない、しようもない自分”にも確かにあった“2つの奇跡の瞬間”を宝物にして生きてる。ひとつは、悪から世界を守る手助けができた/役立った瞬間(警官に「犯人逃げたのあっち」と指差した瞬間)。あとひとつは、自分みたいな存在を必要としてくれたサラとの結婚の瞬間。どちらも世界や他者の人生に必要とされた瞬間、ということですね。いわば承認欲求なのかな。あなたを必要とする存在/妻がいる、だからあなたはこの世界にいていいんだよ、って。だから、彼の存在を肯定してくれるはずのサラはフランクにはどうしても必要。サラは自分の意志もあって家を出たんだろうに、そこは無視してフランクはひたすらに彼女に執着している。ドラッグ依存の彼女のことを慮って、という点もあるだろうけど、結局フランク自身がサラがいないと自分を承認してくれる人がいないから困っちゃうのでしょうね。彼は自分で設定した限界の中に閉じこもって、自分のことだけに終始して、(妻も含む)他者には他者それぞれのあり方があるってことを認めることができてない。…そういう意味でもフランクはこどもだな。だから、この映画で繰り広げられていくのはフランクの遅すぎたイニシエーションの物語のように思いました。よく比較される『キックアス』も青年のイニシエーションの物語だったけど、こちらはおっさんのイニシエーション、それもアーロン君のように実際おまえハンサムじゃん!というルックスではなく、しょぼしょぼしたルックスのおっさんの悲哀ただよう…。人は歳を重ねて賢くなるとも思えない、逆に人生ある程度いっちゃうと頭も固くなってしまうし、自分の考えに固執して余計暴走しやすいような気がするよ。
その狂気に感応するのがエレン・ペイジ演じるリビー/ボルティーです。彼女はコミックスの店で働いていて、二次元のヒーローの世界と現実世界とをごっちゃにしちゃう。フランクがクリムゾンボルトだと気付くと、ヒーロー世界への接触の契機を得て自分もそこに入り込めるかも!と思って有頂天になって、我を忘れちゃうのですね。ある意味彼女も自分のコトしか考えて無い、暴走しやすい狂った人です。クリムゾンボルトがやってることは、一応“悪”をくじくことなのに*2ボルティーは“とにかく悪者をぶっつぶせ!”なんですよね。その暴走っぷりがきちんと怖く描かれているのがよかったな。ボルティーは行き当たりばったりに直感的に“こいつ悪者”と思ったものに躊躇なく暴力を振るう。そいつが本当に悪いのかなんて全く考えもしない。人体破壊描写もガッチリやってるので、よけいにその恐ろしさが際立ちます。果たしてボルティーがやってることって、ヒーロー的行為?観客に爽快感も共感も抱かせない描写だな、とそこに監督の意図を感じました。
フランクが受ける神の啓示はTVでやってるホーリー・アヴェンジャーの説教+道徳+キリスト教原理主義くさいヒーロー描写に影響されてる。その影響で行う行為もレンチを持って「シャラップ・クライム!」で問答無用に悪そうなヤツをボコ殴りにする…なんだか幼いよなぁ。けどそのこどもっぽい(のにやたら暴力的な)所から脱するきっかけはリビーがフランクをレイプ(?)すること…って!やっぱりホーリーな枷を破るのはセクシャルなことなんだな*3
行き過ぎた狂気を持ったボルティーはあっさり死に、敵役のラスボスへの容赦ない制裁ののちフランクは妻を取り戻す。そして、サラはフランクと2ヶ月過ごした後、彼の下を去る。サラが去ってはじめて彼は自分がこの世界にいる意味を悟る。ここまできてやっとフランクのイニシエーションが終わったんだな、と思いました。サラを救ったことでサラが築く家庭、サラがその後の人生で救うことになる人々を救うことができた。とにかく生きていることで、誰かに影響を与え、この世界のあり方になんらかの寄与しつづけてるということ。このラストに至って『メアリー&マックス』をなぜだか思い出した。メアリーからの手紙によって壁や天井が埋め尽くされた部屋でマックスが息絶えているラストに自分はぼろぼろと泣いてしまったのですが、『スーパー!』のラスト、フランクが部屋中にサラのこどもたち等からの手紙を部屋中に貼っているのを観て、なんだか共通してるものを感じて泣くっていう(単に涙もろいのか)。マックスの孤独な魂はメアリーと深く交流し、互いに影響しあうことで生きてこられた。人と触れ合うことは楽しいことばかりじゃなくて、苦しかったり辛かったり、思いが行き違ってしまうこともあるけど、そんな悲喜こもごも全部含めて、手紙って“あなたのことを思った時間がつまった”もののような感じする。だから手紙はマックスにとっての宝物だったわけです。マックス同様、フランクも、自分を承認してくれる人々の手紙に囲まれていれば、ありのままの自分を肯定して生きていけるのかな、と思いましたよ。しかしそれが本当にフランクにとってのハッピーエンドかどうかはわからないし*4、彼が払った犠牲(ボルティーの死も含む)はあまりに大きかったような気もする…そんな苦さもきちんと表現した作品だと思いましたよ。

『スーパー!』(2010/アメリカ)監督:ジェームズ・ガン 出演:レイン・ウィルソンエレン・ペイジケヴィン・ベーコンリヴ・タイラー、ネイサン・フィリオン
http://www.finefilms.co.jp/super/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18392/

※安定の悪役クオリティのケヴィン・ベーコンもいい仕事っぷり。あとエレン・ペイジもすごかった…ノリノリでした。
※音楽もよかったです。アニメもたのしかった。

*1:たまたまこの映画を観る直前に『メタルヘッド』を観たら結構雰囲気な映画だったので、余計に手堅く感じたのかもしれません

*2:とはいえ、クリムゾンボルトのなす自警行為も独りよがりだ

*3:あ、これもひとつのイニシエーションか

*4:アスペルガーのマックスとの単純な比較はできない気もする