『メタルヘッド』

今年色々と出演作が公開されているナタリー・ポートマンすごろくをクリア中だった自分としては、ジョセフ・ゴードン=レヴィットとの共演もはたしている『メタルヘッド』は楽しみにしていました。原題は『HESHER』で、これはJGLが劇中で演じてる役名です。予告を動画で観て、ヘヴィメタル大好きなヘッシャーさんが巻き起こす騒動とちょっとハートウォーミングななにか、のような映画かなと思ってましたが、いざ本編を観てみるとその暗鬱なトーンにちょっと驚きました。全編にわたって音楽の印象は薄くて、たしかにJGLが車に乗っているときはヘヴィメタルが流れるけど、ほとんどふつうの生活音で構成されていたような気がする。日本語タイトルに引っ張られると、あれ?って肩透かしをくらう感じ。…この映画は、母(妻)を突然の交通事故で失い、遺されてしまった家族の“癒しと再生の物語”だったのです(…って、なんかよく聞くフレーズだな)。
主人公の少年TJは、母を失った悲しみでいっぱいな上に、妻を失い気力ゼロになってしまった父との生気のない生活で停滞感たっぷりなうえ、学校ではいじめられっこで、とにかく傷ついてる。そんな彼の生活に、たまたま出会いがしらに遭遇したヘッシャーさんが絡んでくる。彼は神出鬼没で学校の窓の外から少年を覗き込んでいたかと思えば、家の扉をあけた形跡もなく突然家に入り込んでいる。そういう意味ではイマジナリー・フレンド?妖精?天使…みたいな存在かな、と思ってたら、そうでもなくてきちんと実存していて、誰の目からも見える人間として設定されているのがおもしろかったです。だから、ヘッシャーが行動することで、周囲の人間も引っ掻き回されるし、TJが恋しているスーパーのレジ係ニコール(ナタリー・ポートマン)とセックスしたりもする(そしてその行為を目撃させることにより少年を刺激する)こともできるわけです。
ヘッシャーの行動原理はめちゃくちゃみたいだけど、結局傷ついた家族の再生のきっかけを与えるためだった…という天使ぽくない天使ということなんだろうと思う。その存在のエキセントリックさを際立たせるべくヘヴィメタルとか汚いとかガサツとか暴力的っていうギャップのあるキャラ設定になってると思うんだけど、どうしてそう設定されたのかいまひとつピンとこず、それが“雰囲気映画だな”と感じてしまったゆえんかな、と思いました。なんとなく雰囲気醸し出すためにギャップのある設定にしてみた、というような。
「最悪な人生にファック・ユー!」ていう映画の宣伝コピーもなんだかちょっと違うような気がしてました。一発逆転があるような、人生におけるワンダーな瞬間、みたいなのが出てくるのかと思ったらそうでもなくて。ヘッシャーという存在がいることによるファンタジーと現実の入り混じり具合を楽しむのでもなく、ひたすら暗鬱な現実が続くんですよね。それが結構息苦しかった。だから最後の最後、少年の祖母が亡くなってお葬式を出すシーンで最後にあらわれたヘッシャーさんのくだりでちょっと救われました。ずっと息苦しかった映画だけど、最後にちょっと風穴あいたな、と思った。そこで言われるのは、生きてる者は生きてる者に目を向けて、現実を生きていかなきゃならない、ってこと。死者にいつまでも囚われてちゃいけないよ、ということですね。失った存在に囚われて現実に生きてる者に目を向けられなくなると、生きている大事な者をないがしろにしてしまい、更に後悔することになるよ。この一点を気づかせるためにヘッシャーさんが居たんだろうな、と思います。
よくあるメッセージといえばそうだし、ヘッシャーさんのキャラ設定やストーリーも上手く相乗効果をあげているとは言い難いかもしれない。なにかひとつワンダーなポイントがあればすごく響いたかも!という気がしました。あとナタリー・ポートマンもチョイ役だったなー。彼女の必然性は…。ダサいファッションやメイクはすばらしくガンバってて、そこに萌えを感じる人は多そうですけどね(でもどんなにアレでも土台が良すぎるので、やっぱり美人さん※あたりまえ)。雰囲気映画、かもしれないけど、その雰囲気は決してキライではないので、自分としてはちょい惜しい感じがした映画でした。

メタルヘッド (2010/アメリカ)監督:スペンサー・サッサー 出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィットナタリー・ポートマンレイン・ウィルソン、デヴィン・ブロシュー、パイパー・ローリー
http://www.metalhead-film.com/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18423/

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※無気力父さんが『スーパー!』のフランクと同一人物とは気づかなかったよ…2作続けて観たのに。