『ハンナ』

特別に人を殺める訓練をされた少女の物語、というくらいの情報で観に行った『ハンナ』。オープニングの雪原でのシークエンスとタイトルの出方のかっこよさに、おぉっと思ったのですが、その感じは最後まで持続していました。あたまから最後まで、スタイリッシュに箱庭的フィクション*1を突き詰めていくつくりでした。
ハンナの人を殺める能力は自分を守るための能力とイコールです。エリック・バナ演じる父エリックはハンナが生き延びていけるように徹底的に訓練している。彼女は文明やコミュニティから隔絶した環境で育てられており、知識は父が読み聞かせてくれる百科事典から得ている。つまり世界は父というフィルターを通してしか触れられていないのですね。世界は広大で、たくさんの国や人種があり、人の発明した文明の利器にあふれている、ということは父フィルターを通過したカタチでハンナの脳内にインプットされている。外の世界があることを知識としては知っているのに、そこに触れられないという孤独。…子供のころにTVドラマか何かで見た、地上に穿たれた大きな穴の底に取り残された人が、地上に出られず上を眺めてるシーンが印象的で今も忘れられない、太陽の光が射し、野原に緑が波打つ世界があり、あとすこしで手が届きそうなのに、世界から取り残された孤独なさみしさ…ハンナを観て、そんなさみしさをふと思い出しました。ハンナも危険があろうが外の世界に触れたくてしようがなかった。猥雑で危険で敵だらけかもしれないけれど、それゆえにそこに身を置くことで生きている実感を得られる世界への渇望です。
元CIAの切れ者エージェントの父は、ハンナと自分が隠遁生活を送る原因となっている敵(ケイト・ブランシェット演じるCIAの捜査官のマリッサ)へ信号を送り、二人は再会を約束して蟄居していた巣から飛び出す。かの敵があるかぎり、現世でおだやかに生きられないから敵を倒して再会しよう、と。でもよく考えたら、わざわざ敵に自分たちの存在を知らしめなくても、こっそりどこかに紛れて生活すればいいんじゃないかな、という気もする。このあえての行動には、敵がカギを握っているハンナの母の死の原因=ハンナのルーツについてきちんとケジメをつける、という意味合いがあるのかな。自分という存在を肯定して生きていくには、自分のルーツも肯定しなければならない。自分のルーツである母の死にまつわる禍々しいものは取り除かねばならないし、自分の出生にかかる因縁にケジメをつけ、しっかり受容しなければ前には進めない、と。
生まれて初めて目の当たりにした電気やTVにも怯えるハンナ…のわりには結構あっさり外の世界に馴染んでるな、というところはありましたね。その順応能力は、彼女の天賦の才、ということかもしれないけれど、複雑な構造の建物もあっさり脱出できたり、インターネットをあっさり使ったり…。また、一点どうしても気になったのは、自分の目的地を“はじめての友達”に言っちゃうところ。物語を進めるために必要だったのかもしれないけど。安易に人を信じてはいけないということや、人の良心を利用する人間がいることは、父は教えていなかった?でも世界で生きていくにはそれが一番大切な知識のような気がするけれど。とくに元は優秀な工作員だった父ならばそのことはよく知っていたはず…人間ってたいそう魅力的で愛おしい一方で、不安や恐慌をもたらす不可解な存在だってことを。父はそんな人間という存在の不可解さや魅力をハンナ自身に経験を積んで学んでほしかったのかな、だから事前に先入観を植えることはしなかった…もし、敵から身を守る技術のほかに人間不信を植え付けたら、単なる戦闘に特化した洗脳マシンと変わりないものな*2
一番楽しんだのは、ケイト・ブランシェット演じるCIAエージェントとハンナ、もしくはエリック・バナの絡む追跡や逃亡の箇所です。予備知識なしに行ったので、音楽がやたらかっこいい感じだな、と思ったらケミカル・ブラザーズだったんですね、なるほど。ひたすらかっこよいです。きっとコレが撮りたかったんだね、監督は。そして撮りたい画を現実のものにしたキャスト陣は素晴らしかったです。シアーシャちゃん、エリック・バナは当然としても、ケイト・ブランシェットがたいそう素敵でした。あと敵役のフリークス見世物小屋的ショーパブ(?)の怪しげな主人(実は切れ者の殺し屋?)演じるトム・ホランダーのおなかがポッコリ出てるのもちょいポイント高かったです。ああいうクレイジーな役はああいうルックスの人が当てられがちですね。くちぶえ吹きつつ〜、人をなぶり殺し…
自分のルーツを知って混乱するハンナ。映画の最後の舞台として選ばれたグリムの家*3でマリッサとの追っかけっこの開始です。はて、とここで考える。マリッサって何者なんだろ?表向きは超人的な潜在能力を持つハンナを自分の手元に置いて利用しようとする人。だけど、ケイト・ブランシェットが時折見せる表情や演技で、そんな単純な感情や行動原理じゃないことがわかる。ハンナの祖母に対して「私はこどもは持たないと決めたの」と言い放つマリッサ。…マリッサにとってハンナは我が子のような存在だったと思われます。自分が遺伝子操作をし、自分のプロジェクトで手塩にかけて育て上げようとした子。最後の対決は、ある意味(生物学上は違うけど)母子の再会の場面だったと思う。けれど、ハンナは母を殺して前へ進むわけです。ある意味神の領域にふれる創造をなしてしまったフランケンシュタイン博士のような存在を倒さねば、この世界で生きていけない。自分のルーツの邪悪な面を乗り越えて進む、これ以上人を傷つけたくないから…。うん、なるほどな。ラストショットも決まったところで、フィニッシュ(最初のシークエンスへリンク、どこまでもスタイリッシュ)。

『ハンナ』 (2011/アメリカ)監督:ジョー・ライト 出演:シアーシャ・ローナンエリック・バナケイト・ブランシェット
http://www.hanna-movie.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18393/

*1:全体にどこかおとぎ話のようでもあります。ラストのグリムの家も含めて

*2:穿ちすぎ?

*3:行ってみたい