『アジョシ』

前評判の高かった『アジョシ』を観に行ってきました。スクリーンは小さめでした。客席はかなり埋まってましたよ。ちょっと年齢層高めだったかな。
謎めいた男テシク(ウォンビン)はひっそりと路地の質屋に隠棲していた。その彼を“アジョシ(おじさん)”と呼んで慕う少女ソミ(キム・セロン)はヤク中の母との二人暮らしで、貧しく、母にも構ってもらえず、ひとりぼっち。通りで少年のカバンを奪おうとして見つかり、警官に「親は?」と問われたときも、たまたま通りがかったテシクを指さすしかなかった。しかしテシクは彼女を無視して通り過ぎてしまう。後にテシクがソミに会いに行くと、ソミは「アジョシをキライにならない、アジョシまでキライになったら好きな人がいなくなってしまう」とぽつりと言う、そんな痛切なまでのソミの孤独…そんな折、ソミの母はクスリの密売に絡んだ犯罪に手を出したことで、闇社会の者に追われ、娘の面前で拷問*1にあった上、連れ去られてしまう。そんな母に巻き込まれて共にさらわれるソミの「アジョシ助けて」と呼びかける声にこたえられなかったテシクはソミを救うため行動を始めるのだが…
とにかく徹頭徹尾ウォンビンがかっこよいのです。隙はまったくなく、多分汚い恰好、のつもりなんだろうけど結果としては無造作ナチュラル男前になっているし*2、すべてのカットがかっこよすぎて溜息出ました。ここまで主役が冒頭から最後までかっこいい映画って久々に観たような気がする。あまりのカッコよさに、前半はしばし「こんな超絶イケメンがいたら周囲がほっとかないでしょ!」と思って、そんな変な理由でちょっと乗りきれなかったほどに。
でも、彼が連れ去られたソミの行方を求める途中で、臓器を抜かれたソミの母親の死体がごろんと出てくるのにぶち当たるあたりからはノッてきたかな。また、このあたりから臓器売買ブローカーのマンソク兄弟のキャラがめちゃめちゃ立ってくるので、この二人がおもしろくてたまらなかったですね。ほんとに兄弟かよ?と思うほどに似てないふたり。兄は韓国ぽい悪役顔*3で弟は姜 暢雄に似てるなーと思ってた。とにかくクレイジーな二人が最高に鬼畜で、ウォンビンとのコントラストがすごかったです。悪役キャラがたってないと全然ダメになってしまうけど、この映画はこのマンソク兄弟のキャラが立ちまくってる時点でもうOKでしょう。
ウォンビンはとにかく立ち姿、たたずまいすべてかっこよかった(しつこい)。アクションもキレはあると思うけど、カメラのカット割りとかでさらにうまく見せてたような気もする。とくに最後のナイフでの格闘シーンは上から撮ったり、下方のカメラからなめるように撮ったりしていてかっこいい。また、途中で部屋から逃げ出すのに窓ガラスを割ってどーんと地上に落ちるシーンはワンカットのように見える撮り方が迫力満点で、おぉっと思いましたよ。ウォンビンのセリフは極めて少なくて、常に陰鬱な表情を常にたたえているのだけど、その彼の表情が動くとき=感情の動くときの表現もまたよかったな。マンソク兄弟に電話越しに「お前は明日を生きる、オレは今日を生きる*4。」というときの怒りをたたえた表情とその言葉の重さ。マンソク兄に、2つの目玉の入った容器をボーリング的にころころ足元に転がされたときの怒りの沸点を超えて、狂気の域に達したと思われるウォンビンの表情。ラスト「どうしてあのとき知らないふりをしたの?」と聞かれたとき、「知っているフリをしたいときに、知らないフリをしてしまう。どうしてだろう」と、はにかんだような笑顔をたたえた瞬間。とくに最後の笑顔では、もう全身の力が抜けそうになりましたよ。彼はそれまで(回想シーンをのぞくと)一瞬たりとも笑わなかっただけに、これには抗えない。
最後、テシクは命をかけて守った子にむかって、「これからはひとりで生きていくんだ」と伝える。それは自分についての言葉なのかもな。失った妻子への思いに囚われ、その死の原因が自分にあることを思い自分を責め続けてきたけれど、そんな自分をやっと解放することができたかのような。
キム・セロンもよかったけど、ウォンビン堪能ムービーでした。あとマンソク兄弟もね。

『アジョシ』(2010/韓国) 監督:イ・ジョンボム 出演:ウォンビン、キム・セロン、キム・ヒウォン(マンソク兄)、キム・ソンオ(マンソク弟)、ソン・ヨンチャン(社長)、キム・テフン(警察)ほか
http://ajussi2011.jp/pc/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18738/

※臓器売買云々の要素は、なんだか凄まじい映画だった『闇の子供たち』を思い出しました。

*1:ドライヤー押し当て

*2:ちょっと前にネットで話題になった中国のイケメンすぎるホームレスを思い出した

*3:自分の中での代表的存在→ユ・ヘジン

*4:つまり刹那に生きているので怖いものなんか無いという