色のない世界『ウィンターズ・ボーン』

今作を観たときに感じたのは、その画面から感じる冬の厳しい寒さでした。なんとなく思い起こしたのは『トゥルー・グリット』や『フローズン・リバー』で、これらもとくにかく寒い*1映画で、“色調の薄い”映画だった。『ウィンターズ・ボーン』も先に挙げた作品と共通するような、岩肌や土の茶色っぽい濃淡や曇り空や夜の暗さで作品が覆い尽くされていたような印象がある。実際には劇中のいろんな登場人物が着ているチェックのネルシャツは赤だったり青だったりするし、目の色も青かったり、髪の色も金色だったりするのだけど、観終えた後に暖色系の色の記憶は去り、自分にはテーマ、画、色調すべて含めて暗さや寒さが強く印象づけられました。
今作に登場するのは、よくTVのニュースなんかでも目にするようなアメリカ都市部の貧困層じゃなくて、ある種歴史のある貧困層ヒルビリーたちです。登場したときからジェニファー・ローレンス演じる主人公リーの一家は貧しくて、食べ物も満足でなく、母は病で、父は不在。一家を支えているのはたくましい長女です。彼女なしには一家は成り立たないのが一目瞭然なのだけど、彼女のたくましさは所与のものじゃなくて、単純に“たくましくならざるを得なかった”というのがよくわかる。言葉は多くない、説明セリフもないけれど、くすんだ色調の画、小道具、ロケ、そして俳優の演技だけでその過酷な厳しい生活がわかるものな*2
ヒルビリーの掟がある。また、〇〇家という言い方がよく出てくる。困難な状況に対応するジェニファー・ローレンスが発するセリフで、「bread and butter」と何度か出てきて、それが字幕では「ドリー家の人間だからね」というように訳されてたと思うのですが*3、辞書をみると「生計の道を与える,生活に最低必要な」というような名詞的用法があって…あぁ、なるほどな、と。ヒルビリーのドリー家の人間である彼女が苛烈な現実に対処するために取る方策は、観客である自分には驚くべきものだけど、彼女たちにとってはそれは命を守り/生き延びるための術なのだな、と。このヒルビリーの閉じた社会の雰囲気は日本の“村”を思い出しましたね。よそものには理解できないようなルール、それは法律なんかより断然優先するもので、それを守らなかった者には死の報いがあっても、やむをえない。たとえそれが自分の父であっても。
インターネットなんか出てこない(存在すらしていないように思える)この映画内世界においては、暗黙のルールや噂が地域を支配している。その閉じた社会内の実力者がルールにより支配し、コントロールする。保安官や保釈金の保証人なんかは、その暗黙の世界には立ち入ることもできない。そこを色のない世界として描写することで、現代社会と隔絶した、どこか昔話のような*4、現実離れしたような空間での、ある種ファンタジー(とはいってもひたすら苛烈な世界なのだけど)のように感じられるところもある。忽然と姿を消した父の死を証明するためのアレといいね(夢あふれるファンタジーじゃない、反対のベクトルのファンタジーだけど)。
ジェニファー・ローレンスのルックスのちょっとがっしりした感じが説得力もたせているし、演技も本当にすばらしかった。あとはティアドロップ、元締め一家の女主人も素晴らしい顔でした。いや、よかったな。特にドラマティックな展開や、アクションがあるわけでもないのに緊密な雰囲気でずっとひきつけて観られました。日本でもなんかこういう映画撮られないかなぁ、ってちょっと思ったりもしました。あの「ムラ」っぽい不穏な感じ…。ともあれ無事日本公開されてよかったな。

ウィンターズ・ボーン(2010年/アメリカ)監督:デブラ・グラニク 出演:ジェニファー・ローレンスジョン・ホークス、ケヴィン・ブレズナハンほか
http://www.wintersbone.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19605/index.html

*1:比喩じゃなくて気温的に体感的に

*2:“生きる力”なんてのは授業で教えられるもんじゃないよな…とこういうのを見せられるとつくづく思ったりする

*3:そうとううろおぼえ

*4:だからトゥルー・グリットを思い出したのかな…