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『コンテイジョン』

映画

今作の淡々と地味にストーリーが進んでいく感じはリアリティたっぷりで、その説得力ある語り口が、人の脳内にある思考の種をインセプションする力のある映画だと思いました。どんな思考の種をインセプトするのかというと、目に見えないウイルスの伝播/感染力の脅威がいかにおそろしいか、ということ。近年のSARS、豚インフル、鳥インフル等で蓄積されてきたウイルスに関する自分たちがぼんやり持っている知識と、劇中で繰り広げられる“現実に新種の強毒性ウイルスが発生した場合の感染の最悪のシナリオ”が結びついて、他人事でない身に迫る恐ろしさを覚えたのでした。これまでニュースなどで大騒ぎになってるのを見ても実感は湧かず「気をつけなきゃな」程度のことを思うくらい。しかし今作ではウイルスがどのような経路や媒介物で広がっていくのかを執拗に描いていく:ゴホゴホと咳をする男が、口元を押さえた手でバスの車内の棒につかまり、支えにし、移動していく。その手元をじっとりと映すカメラワークには悪意すら感じましたよ。しかも、この映画では最初の患者/発生源を描くので、まさにその一人の行動からこんな世界的なパンデミックが起こったのかよ…と感染の脅威を観る者に覚えさせるのですな。観終えた観客は(一時的かもしれないけれど)他者との接触や他人の咳に神経質になってしまいそうです。
最初にグウィネス・パルトロウという主役級の女優をあっさり逝かせてしまうと観客はハッとなる。死因究明のために彼女の頭の皮ぺろんとめくられる…そんなインパクトあるヴィジュアルもあっさり映すところがいいです。ケイト・ウィンスレットもあんなにたくましいのに、場面が切り替わると死体になってしまっている。ローレンス・フィッシュバーンは職責を果たすために、自らを落ち着かせて目下の事態に対処していくのだが、その過程で職業倫理より個人の感情が先立ち逸脱してしまうところが出たりもする。劇中の各登場人物の行動のディテールの描き込みが、現実にこんな事態が生じたとしても組織や個人はこんな風に対処に動きそうだな、というリアリティを担保している。また、ジュード・ロウ演じるうさんくさいフリーの記者の陰謀論とかホメオパシーの有効性を主張するくだりの既視感!彼を観ながら頭の中にほわほわと想起されるものがありましたよ。
香港のマリオン・コティヤールのシークエンスは、欧米以外の国はワクチンの順番で“列の最後”に回されるという現実的な状況を描くためのものだけど、欧米からみたアジア観が良くも悪くも出ているな、と感じました。しかも発生源が香港の設定というのは、香港の人はどう感じるかな(ま、でもフィクションだし、SARSの経験があるからそんなに気にしないかな)。あと、バス車内で突然死するところをガラケーで動画撮ってyou tubeにあげるのは日本人なのだな。
淡々とあえて平熱を保とうとしているかのような物語において、マット・デイモンとその娘の関係が担う“市井に生きる一般的な人”のドラマパートが少し熱を持ってましたね。職探し中のマット・デイモンは海外出張しちゃうようなエリート妻に死なれたあげく、妻の生前の浮気も判明するし*1、義理の息子*2にも死なれと、散々。しかし、突然の身内の死に戸惑い混乱しつつも生き残ったからには生きなきゃならないし、遺された者だけでも守り抜かなきゃならないという彼のありようは自然だな、と思った。また、ティーンエイジャーの娘がボーイフレンドとのマジでキスする数センチ前みたいなのをマット父ちゃんが阻みに来るところは、ほほえましかったですね。娘が抽選結果でワクチン接種の順番が後ろの方で不機嫌になるところも自然な感じ。最後もよかったよ、あのプロムの飾りつけ一生懸命やったのかな、マット父ちゃん…。
コンテイジョン(2011/アメリカ)監督:スティーブン・ソダーバーグ 出演:マット・デイモンローレンス・フィッシュバーングウィネス・パルトロウケイト・ウィンスレットジュード・ロウマリオン・コティヤールほか
http://wwws.warnerbros.co.jp/contagion/index.html
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19995/index.html

※香港パートで『ドリーム・ホーム』の主人公を演じたジョシー・ホーが出てきておぉっとなりました。
※終わって客席から「むずかしかった」との声が。「ウイルスこわい!」という一点のみに絞った映画だと思うのだけど。
※日本では数年前の新型インフル騒動のとき、患者が最初に“発見された”某学校が中傷にされたりしたのですが、今作では患者第一号のグウィネス家への攻撃はなかったですね。そんなものかな?

*1:浮気相手も感染させちゃったからバレたっていう

*2:あれ、なぜ他者にむかっては「義理の」と必ず付けて言うのかなと思った。病院ではまだわかるけど学校に迎えにいった場面でも「義理の」って言ってたよね?