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ある愛の物語『J・エドガー』

イーストウッドの新作とあらば観ないと、と初日に出かけましたよ。FBIを作り上げた男:フーヴァー長官についての物語の映画で、アメリカでは評判がイマイチだったそうですが、フーヴァー長官についての予備知識もそんなにない自分にとっては、とてもおもしろかったのです。たとえば。スキャンダラスであったり、噂や真偽不明の伝説がまとわりつくある実在した大物の人生をテーマに映画がつくられたといわれると、あらかじめある程度の人物イメージがあったうえで「あの噂の真相や、あの出来事の裏側はどんな風に描かれてるんだろ」と興味をそそられる部分がありますよね。今作に対してのアメリカ人の期待もそういう部分が大きかっただろうな。そういう期待をしてこの作品を観たら、本当に肩すかしをくらったような感じになると思う。リンドバーグの子供の誘拐事件、ギャングの撲滅、共産主義者の検挙、キング牧師への圧力や暗殺、ニクソン大統領との駆け引きなど、あの衝撃的事件の裏側にこんな真実が…というのはガッツリ描いていないものな。でも自分はそんな期待も無く観たので、フーヴァーの“人生”を描いた今作に入り込んで観ることができたのかも。
フーヴァーが生前に自らのことを誇張したり、自らに都合よく改変していた事実のうち、後に客観的に事実や実態が解明されたことについては、それらの“真実”をストーリーに取り入れて描いているのだろうけど、今作で一番の主眼はフーヴァーというひとりの孤独な男のさみしさ、周囲には見せられない不安や小心、自ら抑圧した欲望、そして愛を希求する衝動を描き出すことで。そのジリジリするような心の動きを描く過程で、事実を必要なものを筋に取り込んでいる、という程度でサラリと描いているのが自分にはちょうどよかった。事実のショッキングさとかインパクトに頼らずとも、淡々とフーヴァーを描く脚本にディカプリオの素晴らしい演技がこたえていて、フーヴァーという人物の内面を掘り下げてみせてくれていたから。(…とはいえ!クライドとのアノ場面は、もう「おぉっ」と声がでるほど衝撃でしたけどね。)
フーヴァーは若かりし頃、社会的体裁のためだけにヘレン・ギャンディ(ナオミ・ワッツ)にプロポーズするも「結婚に興味はない」と断られる。しかし彼女はフーヴァーにある種似ているようにみえる。や、ヘレンはフーヴァー長官のように、出世欲もないし、見栄っ張りでも権謀術数をめぐらすでもなく、地道に職務を全うするタイプ。でも、互いの孤独な心がどこかしら似ているような感じがする*1。その後何十年にもわたり、仕事のパートナーとして過不足なく、しかもお互いを尊重してやってこれたのではないかな。この人の孤独はわかる…この人のことがなんとなく理解できる…だからこの人は信用できる。
同じことがクライド・トルソン副長官(アーミー・ハマー)にも言えまして。フーヴァーとクライドが初めてお互いを目と目で認め合った瞬間からわかりあったようなあのシーン。まさに運命の出会いの瞬間ですよ。その瞬間のディカプリオの演技がまた見事で。紛うことなく、恋するものの眼差し。だから再会したふたりの自然な距離感やなりゆき*2も大変納得だし、もう観ていてドキドキしました(あの汗をぬぐったハンカチの受け渡しのくだりとか、フーヴァーがクライドに一緒に休暇を過ごしに行こうと初めて誘う場面とか)。お互いに、相手は自分のこと好きなんじゃないか、と思っている、という…ベタな少女マンガのような繊細な展開に身もだえしそうでしたね。その後も体裁のために一線は越えないものの、体裁と彼自身の中にある欲求との葛藤。こんな抑圧と葛藤が、母との関係性に由来しているところは古典的ともいえる枠組みだな。母は、昔近所にいた女装趣味ゆえに実社会からはじかれた男の子のようにお前はなるな、男らしくあれ、とフーヴァーを抑圧する。吃音の傾向が表われた彼に、堂々と喋れるはずでしょお前は、と吃音矯正をの練習を命じる。そんな抑圧する母なのに、フーヴァーは離れられない。母も病を得た夫との関係から息子だけが自分のすべて、という母=息子で共依存のような関係。だからこそフーバーは独身で、母と共に暮らし続けていた。そんな母を失った後のエドガーの喪失感を埋める唯一の存在はクライドだけになってしまう。老境に達したふたりの「昼ごはんは一緒に食べようよ!」とか「もうっ、病気の後遺症で何言ってるかよくわからないよ!はっきり言ってよ!」とか…、夫婦あるある、っていうか…(セリフのニュアンスは若干自分の脳内で変換されてます)。ラストの丸々太って転がされた丸太みたいなエドガーの死体へやさしくシーツをかけ号泣するよぼよぼのクライド…なんとも哀切。
名誉欲やウソ、陰謀…とにかくイヤなヤツなのに、それらの裏にあるひとりの男として本当に希求していた愛について描き出す映画でした。この映画を観てもフーヴァーのことは好きにはならないけど、フーヴァーとクライドの二人の関係性は、ちょっと胸に響くのです(描かれ方の内面描写の表出がどこかちょっと懐かしい少女マンガっぽい感じだったからかも)。
おなじみのイーストウッドの色調と音楽。光と影のたくみに配置された画面。これだけでも映画のマジックで満たされる幸福感を味わうことができました。また、繰り返される構図(部屋から外を眺めるエドガー)で、年老いたり、若い頃の回想に戻ったり、というのが鮮やかでよかった。声はやっぱり若いんだけども、特殊メイクってすごいな、と。あと、今作を観て、アーミー・ハマーの名前を憶えられたような気がするな(これまではウィンクルボス*3という名前しか出てこなかったけど)。しっかしいい声だな、この人!
『J・エドガー』(2011/アメリカ)監督:クリント・イーストウッド 出演:レオナルド・ディカプリオアーミー・ハマーナオミ・ワッツジュディ・デンチ
http://wwws.warnerbros.co.jp/hoover/index.html
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19904/index.html

*1:ヘレンもフーヴァーも一生独身を通している

*2:採用面接に来たクライドをフーヴァーが即座に採用決定

*3:ソーシャル・ネットワーク