『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

世評的には原作読了派の評判はあまりよくなさそうですね。自分は原作未読で映画を観たのですが、いまひとつ主人公のオスカー少年に寄り添いきれなかった感じです*1。オスカー少年はアスペルガーぽい造形で他人の感情が今一つ察せられない、空気を読めない。そんな彼を全面的に肯定し、受け止めてくれ、一緒にいて(唯一?)安心できる存在だった父親が9・11テロでいなくなってしまう。その大いなる喪失感をうけとめ成長する過程の物語。映画では、編集や過去と現在の往来などに工夫を凝らしているのはわかるのだけど…。という感じだけど、日記に映画の感想を書こうとすると、あの物語から触発されてアレコレ考えが湧いてくる。うん、これはきっと原作がとてもよく出来てて、物語の背骨がしっかりしているからかな、と思うのです。
主役の男の子はクセの強い、自分の世界にどっぷりの子。父はそんな彼と外界をつなごうと試みていた。父は息子の興味をひくため、現実にリンクした空想世界をオスカー少年のために用意してた。つまり、オスカーが空想世界に夢中になり、そこで遊ぶ過程で、かならず現実世界にコンタクトせざるを得ないように父がちゃんと仕掛けをしていたのでした。現実世界のあらゆるモノや事象には必ず意味があり、それらの隠された意味や繋がりを見出していくことにより、ワクワクするような体験(現実世界の“裏側”というか、ある種ファンテスティックな世界が見えてくるような体験)ができる、というようなフレーム。そこでオスカー少年は現実世界のあらゆるモノに意味があり、手掛かりがあり、たどればなんらかの答えに導かれる、という思考のクセができているようです。だから、父の死後みつけた「鍵」によりオスカー少年は父が示した最後の空想世界へのカギを提示されたと感じる。その「鍵」で開けるモノを探すというミッションに行うことで、父の死という現実と、父の死を受け止めきれていないオスカー少年の間に存在する溝みたいなもの*2を埋められるかもしれない…父が彼のために残したモノにこの鍵で到達できれば…、きっと!
鍵で開けられるターゲットに到達するために索引カードをつくること、地図をつくること、危険な交通機関を避けて徒歩で目的地を目指す計画を立てること、などはすべてミッション遂行のために必要な手続き。人は自分を納得させるためにもある種のプロセスを経て、現実を受け入れることができることもあるわけで。オスカー少年は、ほかの“ふつう”の子よりはちょっとたくさん迂回するような、手間がかかるようなプロセスが必要なこどもなのです。そのことをふつうの親なら理解しきれるかなぁ。頭ではわかっていてもイライラしたりしそう…でも映画の中のトム・ハンクスはもう驚くほど出来た人間でしたね。ひねくれた自分は「いくらなんでも人間出来すぎじゃ」と思ってしまうのですが、でもあんな父、いいなぁと思った。しかも最後に明らかになるように、サンドラ・ブロック演じる母さんも物凄く出来た人間だったのです!なんと人間力にあふれる夫婦なんだ…。ああいう包容力あふれる人って自分にとっては憧れ、「欲しい、あの人間力…」と母さんの底力を見せつけられるシーンを見ながら思ってました。
人はなにかに意図や意味を読み取ろうとする生き物なのだな、と感じましたね。自分にとって特別な意味があるなにかの痕跡があるはず…それを追い求めずにはいられない。それほど大切な人の不在は大きすぎる。それを受け止めて、不在の寂しさを埋めることはできないから、不在であるということに慣れて、それとともに生きていくためには人はなんらかの儀式が必要なのですな。オスカー少年のカギを巡るミッションはいわずもがなだけど、母も息子の冒険を見守ることよって、息子と同様にかけがえのない人の永遠の不在を受けとめることができたんだと思うよ。
映画としてどうかというと、最初に書いたように少年に隔たりを感じてしまうところがたくさんあって(それはアスペルガーだから云々というのを置いておいても、というレベルで)でも主におじいさんとトム父さん、サンドラ母さんのシーンにはグッとくるところがあったかな。いろいろ思いめぐらせることができて、やっぱり見てよかったと思いましたよ。
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011/アメリカ)監督:スティーヴン・ダルドリー 出演:トム・ハンクスサンドラ・ブロックトーマス・ホーンマックス・フォン・シドーヴィオラ・デイヴィス
http://wwws.warnerbros.co.jp/extremelyloudandincrediblyclose/index.html
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19777/index.html

*1:はなから感情移入とか共感は求めてないけど…なんかうまく言えない

*2:劇中の表現でいえば、太陽の熱が地球に届くまでかかる8分間の時差みたいな時差