映画の魔法にかけられて『ヒューゴの不思議な発明』

公開前から話題作だった『ヒューゴの不思議な発明』を見てきましたよ。3Dでの鑑賞です。原作未読。
偏屈なおじいさんとこども交流により、おじいさんの心がとかされ、ナゾの過去が明らかになる…というのは結構定番の物語フレームのような気がする。どうして、そんなガンコな心が溶かされるのかな、というと、こどもは“カウンセラー役”をしようとしないからじゃないかな。大人はつい賢しらに相手を“分析”したり“救済”しようとしたりしてしまうけど、こどもはそんなことしないから(というか、できないわな)。
ヒューゴ少年はある日突然、父が亡くなってしまって天涯孤独*1になってしまう。さみしい、というのは当然だけど、“お前がここにいてくれることがしあわせだ”と言ってくれる人がいないことは耐え難いと思うな、こどもにとっては殊更に。だからヒューゴは父が遺してくれた思い出や痕跡にこだわり続ける。そこには父から自分にむけたの何らかのメッセージがあるはず*2…と。クロエちゃん演じるイザベルをパリの街を一望に見渡せるところへ連れて行って、「誰しもこの街に必要な存在で、不要な人などいない」というようなことを言うところからも、ヒューゴは“あなたはここにいていいんだよ”といってくれる存在や痕跡を痛切に求めてるのかな、と感じました。父が自分に向けてくれた愛情を求めてひたすらに行動するヒューゴの思いが、思いがけず一人の自分を不幸だと思っている老人の心を救うことにつながる、というのがよかったな。
心を閉ざしてしまった老人:メリエスは、ヒューゴがメリエスを心底敬愛する評論家と引き合わせてくれたおかげで、やっと封印していた過去と向き合うことができるようになった。やはり人は正当に評価し、認め/理解してくれる存在があって、生きる活力がわくものなのか。メリエスも「あなたがこの世に生きて*3てくれてよかった」と言ってくれる人を求めていた。そういう意味でメリエスとヒューゴ少年は似ていて、だから二人はお互いに惹きつけあう運命だったのでしょう、この映画において。
メリエスがやってた奇術も、彼が作った機械仕掛けの人形も、彼の撮る映画も、こてこてに人工的な見世物ですよね。でもフィクションや見世物的なファンタジーこそが人を癒すところもあると思う。スピルバーグインタビューで『戦火の馬』について、厳しい時代である現代におとぎ話のような物語が果たして人々の共感を得られるか?との質問された時に、

「厳しい時代だからこそこういう物語が大事なのです。(略)人々が今よりも以前の暮らしのほうがよかったと懐かしむようなときこそ人はロマンやファンタジーを求め映画の世界に現実逃避したいと思うのではないでしょうか。本来、映画はそのような役割を担ってきたのです。かつて、アメリカで大恐慌が起こったときも映画は大人気でした。観客は現実の世界から逃れるために映画館に足を運んだのです。そこで、現実とは違う映画の世界に勇気づけられ、再び太陽が照らす通りに歩みだしていったのです。」

と答えていてすごく腑に落ちた。メリエスの作る映画もそのようなもので、当時の先端の技術と工夫とトリックで人々を楽しませようとした。今作が3Dである理由も、現代の技術の先端で、映画で目を見張るような体験をさせたい!というスコセッシの欲求があらわれたのかな、と思いましたよ。
ただ、全編CGてんこもりなところは、個人的にはちょっと残念で、もうちょっと実写感がほしかった。それによってスケール感がそこなわれるとしてもね。うーん、でもスコセッシが今作でみせたかったものを考えるとしようがなかったのかな…。あとサシャ・バロン・コーエンもよかったし、クリストファー・リーの出演もうれしかったです。
ヒューゴの不思議な発明(2011/アメリカ)監督:マーティン・スコセッシ 出演:エイサ・バターフィールドベン・キングズレークロエ・グレース・モレッツサシャ・バロン・コーエン
http://www.hugomovie.com/intl/jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD20019/index.html

*1:駅の時計メンテをしている酒浸りのおじさんがヒューゴを引き取ったのだけど、劇中いないに等しい

*2:って『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』にもちょっとあったテーマですね

*3:素晴らしい仕事を成し遂げてくれ