『少年と自転車』

ダルデンヌ兄弟監督作品の『少年と自転車』を観ましたよ。監督が来日した際に聞いた児童養護施設の少年のエピソードから着想を得た作品だとのこと(公式サイトにエピソードが載っているのでぜひともご参照ください)。
少年は父から捨てられた。こどもは邪魔だと育児放棄されてしまった。でも、少年は信じない。信じたくないからなのか、単純に信じられないからなのか。施設から何度も脱走しようとしたり、引っ越してつながらなくなった自宅の電話に何度も電話したり…正直、観ている自分は少年について「捨てられてるんじゃん、自分、捨てられてしまったんじゃん」と思ってしまっていて、それだけに、周囲のオトナが諭すように言い聞かすことを受け入れず、聞き分けなく暴れまわる彼を観ていてつらくなる。
少年は父と住んでいた団地へ脱走した際に、探しに来た施設職員に連れて行かれるまいと、とっさにその場にいた女性サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)にしがみつき、それが彼女との縁となり、週末の里親になってもらうこととなる。サマンサがどうしてそんなに素直に彼を受け入れることにしたのかが不思議でした。
こどもは親を選べないし、親もこどもを選べない。じゃあどうしてこの親の元に生まれ、家族となったのか、というのは“運命”とよべる縁なのかもしれないですよね。まるでそんな“運命的な”縁であるかのようにすんなり彼女は少年を受け入れている。家族は所与のものとして“ある”のではなく“家族になる”という時間や過程、イニシエーション的に困難を乗り越えることなどが必要なものかもしれない。この映画はそんな過程を描いたもののように見えた。いかにして互いを信頼しあい、支えあえるようになるのか、という過程。
血縁や生まれてから一緒に過ごしてきた時間は家族であるための圧倒的アドバンテージ要素で、だから少年は父に拒まれても、やっぱり父を慕って父の愛を求めようとする。そんな圧倒的な絆を断ち切られた少年は、自分という存在を求められることを渇望している。単に自分を利用しようとしているかもしれない“悪そうな連中”であっても、それに応えようとする。不良との付き合いを心配し、身を挺して少年を守ろうとするのに、そんなサマンサの心中を察することなく抵抗する少年の暴れっぷりに心底イライラしてしまう(これは少年の演技や演出が優れている、ってことですが)。そして、自分の静止を振り切ってでていった少年ことを思って、嗚咽をもらすサマンサにグッときてしまう。
その後、大きな代償をはらって、サマンサの愛情の尊さを知った少年は彼女の元に戻ってくるのですが…ともにサイクリングをしサンドイッチを食べるふたりを観てると自分も一緒に自転車に乗りたくなったな。しあわせそうで。血縁もなにもない二人だけど、互いに求め合い、家族になろうとしているのがわかり、その少し不安定で心許ないけど大切な“しあわせ”を守っていってほしいと願わずにはおれない。それだけにあのラストは余韻があった。ささやかなしあわせ、いつ脆くも崩れるかもしれない幸せだけど、それをともに守ろうと努めることの大切さを感じた作品でしたよ。
『少年と自転車』(2011/ベルギー=フランス=イタリア)監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ 出演:セシル・ドゥ・フランス、トマ・ドレ、ジェレミー・レニエ
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