『ブラック・ブレッド』はダーク感を醸しだす感じのタイトルだけど実は黒パンのことだ

予告で男性の低い声で「ブラック…ブレッド」とささやかれ、「大人の嘘が少年を悪魔にしてしまう」的なコピーをかぶせられたらいやでも“そちら方面”に想像を膨らませてしまう。しかもスペイン産の映画、となると真っ先に思い浮かぶのは『パンズ・ラビリンス』というダーク・ファンタジーの傑作。時代設定も内戦がらみの暗い時期みたいじゃないか、これは…。しかし最近の映画で“ダーク〇〇”とジャンルの前にダークをつけて宣伝されるヤツはどうもあやしい。“ダーク”好きの興味をひこうということなんだろうけど…今作も“ダーク・ミステリー”と銘打たれていたけれど、そんなナゾで人の興味を引っ張ろうという小手先の小細工、とは異なる造りの映画でありました。
人間はまっさら正直なだけでは生きていけないので、多かれ少なかれ嘘をついたり、故意に沈黙したりします。なんでもかんでも正直に言っちゃうと『レヴォリューショナリー・ロード』のマイケル・シャノンみたいに、周囲を混乱に陥れたりすることにもなったりするしね。
しかし、理想を語るオモテと生きるために汚いこともやっちゃうウラのギャップが激しいと、それは人を深く傷つけることにもつながりかねない。ましてその二面性を持つ人物が親であり、子がその二面性を知ってしまったら。自分が拠って立つ地面を大きく揺さぶられ、裂けた地表がガラガラと崩れ落ちてしまうかもしれない。信じられるものを、地面を失い、ラストのあの境地に至る、と。これは結構よくあるプロットで、こどもが純真や無垢を失いオトナになってしまうという一種の成長譚ですな。だけれども、そこのスペイン内戦後の混沌暗澹という時代設定やその再現度があいまって重厚な出来になっている。そうして、純真や無垢を失うという点では、片手を失ったいとこの少女がとても魅力的なキャラでしたね。どこかおとなびて、はすっぱで諦念を帯びた少女。父は亡くなり、成長したら娼婦になってしまうのかもしれない、というような雰囲気を帯びた少女。彼女は裸でベランダに立って近所のガキに裸体を見せもするし、人生勝ち組負け組説を唱えるしょうもないくたびたアル中の中年教師と性的関係にもあるらしい*1。その彼女はなぜか主人公アンドレウのことは気に入って、心の奥をちょっと見せ、秘密を共有し、誘惑もする。彼は彼女の誘惑を「き、きたない!」て感じで拒絶しようとするんだけれども、彼のことを信頼し、一緒に“現状の世界”を焼き捨てて“ここではないどこか”へ一緒に脱出したいと思っていた彼女を最後には裏切り捨ててしまうことで、アンドレウ少年やはり手を汚してしまうのよな。もう、何も知らなかった純真な頃には、決定的に戻れない。結局は軽蔑していた教師のいう「人生勝ち組じゃなきゃ意味がない」という論理を受け入れて、“勝ち組”側の世界に身を置こうとするわけで、そのためには感情や共感や同情や愛情や…そういう情を捨て去る。黒パンの世界を捨て、白パンの世界へ行くわけだ。
主人公一家が“貧者のパン”である黒パンしか食べられないような貧しい家であることを白パンに手を伸ばそうとしたらたしなめられる場面などでうまく感じさせる演出も上手だし、金持ちおばさんのキャスティングもナイス。しかし、人生勝ち組負け組で分けてしまうしょうもない論理って、昔から変わらないのだな。しかし今作の“勝ち組負け組”論理は、現代の収入格差によって生じる性質のものじゃなく、まさに戦争、とりわけ内戦の残す傷跡ゆえのものだから、なお根深いのだろうし、想像を絶するものがあるな、と思いましたよ。
『ブラック・ブレッド』(2010/スペイン)監督:アウグスティ・ビリャロンガ 出演:フランセス・クルメ、マリナ・コマス、ノラ・ナバス
http://www.alcine-terran.com/blackbread/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21257/index.html

※肺病かライ病?の青年のエピソードがいまひとつ絡んできてない感じもしましたね。ひょっとしたらあの青年と洞穴の「ピトルリウア」になんらか関連があるのかと思ってたのだけど。しかし「ピトルリウア」にまつわる描写の、ああいう同性愛者への迫害は怖気がつくよ…
※いとこの少女にドキドキしない男性はおるまい。きっと皆「自分がアンドレウならどうする」を考えずにはおれまい。

*1:だって先生は私のこと大事にしてくれるもの、減るもんじゃなし、いいじゃん、という感じ。たしかお金もくれたりする、と言ってたような…