どこにでもいる“つまらない男”の秘密『ミヒャエル』

大映画祭で鑑賞しました。ミヒャエルのキャスティングが完璧。あの顔!顔!そして絶妙のはげ具合、ルックス、服装、趣味、話し方、立居振る舞い!
幼い男の子を誘拐し、車庫の地下に監禁している男。独り身。会社では人付き合いはよくなく、コミュニケーションもニガテなタイプ。話してもいまいちつまらない、盛り上がらないタイプ。趣味もなんだかわからないし、ぼんやり日々生きてるだけみたいに見える。まぁ、どこにでもいる“つまらないヤツ”。でも自分もそういうヤツかも、いや一部そういう要素を持っているヤツかもしれない…つまりどこかしら、観ているものに刺さるところはある、かも。
でもミヒャエル*1がやっていることは人間としては最低最悪で、観ている間中、あの絶妙な薄毛な後頭部をかかと落としで攻撃してやりたい、という気持ちでムカムカ、イライラさせられ続ける。それほどにムカつく。少年に対して明らかに性的虐待をしているわけで、そういう行為をやったことをスケジュール帳に記号でメモしている几帳面具合、少年をケアしているようで、結局道具としてしか見てないわけでイライラする。自分の思うようにしたい、性的対象としたい、弱い者だからそういうことをやっているミヒャエルは到底許せないし、救いがたいヤツである。観ながら、こいつは万死に値する!と心の中で数えきれないほどつぶやいてた。
会社での昇進のチャンスをつかもうと上司のスキーの誘いにのるも、スキー旅行の折々なんだかつまらないヤツオーラを満点に発揮しまくるところがすごい。この描写のネチネチとしていること。予想通り運動神経がよくなくて、スキーはなんとか滑れるものの、新雪のむずかしいコース行こうぜーという誘いにのっていくも、新雪に埋まりまくって雪や道具にあたりまくるミヒャエルの描写に思わず笑ったわ。こういうやつはこういう反応取るよ!きっと間違いない!だって、なんでも思い通りにしたいんだもの、あの少年と同じように。そうならないことにひどく苛立つわけだ、こいつは。
昇進のチャンスがあるかも、と浮かれるミヒャエルは、TVで観たドラマだか映画のセリフを少年に対して言ってみる。「ナイフとオレのムスコ、どっちを刺してほしい?」突如ダイニングテーブルにむかってご飯を食べてるときに立ち上がりニヤニヤとしながら、ファスナーをひらいて自分の股間をつかみミヒャエルは言い放つ。即座に「ナイフ」と答えた少年、ナイス!ここも笑ったな。でもミヒャエルはキレるわけで。あぁこういう逆切れ、こいつならしそう。
ミヒャエルは希望が叶って昇進したお祝いパーティーをする。社内で同僚らと飲み物や軽食を食べるパーティ。でも、なんだか盛り上がらない。ミヒャエルはむりくりがんばって、食べ物を配ったり話しかけたりするも全然もりあがらない。ここの、仕事はできるんだろうけど個人的には付き合いたいとは思われないんだおろうな、というミヒャエルのつまらないやつオーラったらな。こういう空気感まで描写してしまう今作のディテールはすごい。しかも全然音楽ないから余計に日常の中における彼のつまらなさやコトの異常さが際立つ。…や、音楽は流れるんですよ。彼のカーステレオから。昇進して浮かれた彼がかけるのは、ボニーMの『サニー』。えええええぇ!今年の自分ベスト級の『サニー』と同じ曲、なのにこの皮肉ぽい使われ方!たまらぬかった!
ミヒャエルは一度死に損なったのに(あの自動車事故の場面もすごかったな。長回しで一連の動きで完全に車にひかれてたものな)、最後にやっぱりああいう最後。あんなヤツでも惜しむ人はいて、それはやっぱり家族だけ。でもあんな鬼畜野郎でも家族はいる。鬼畜野郎でも誰かにとってはかけがえのない存在。家族の惜しむ愛により葬られるミヒャエル…そこからの流れもすぐれているし、その末のラストカット、そしてエンドロールの曲!いやぁ凶悪な映画だったな(誉めことば)。
『ミヒャエル』(2011/オーストリア)監督:マルクス・シュラインツァー 出演:ミヒャエル・フイト、ダヴィド・ラウヘンベルガー、ギゼラ・ザルヒャー
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21999/index.html

※監督はハネケ作品のキャスティング・ディレクターなどもしてたそうで、そういわれれば肌触りがハネケ的な、そんな感じかも。

*1:たまたま?役名が役者さんの本名と同じですな