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『ライク・サムワン・イン・ラブ』

この映画のカメラは人物密着をするドキュメンタリーの固定カメラのようだ。たまに「このご家庭にカメラを設置させていただきました」とTV番組でやる、あれのように。今作のカメラはある女子大生の生態をドキュメントの題材に選んだかのように、彼女のそばに置かれている。カメラの前に現れては消える人たち。女子大生でコールガールのバイトをしている明子にかかわりあい、すれ違う人たちが映っている。留守電にはクレジット会社からのメッセージも残されてる。優柔不断。ふにゃふや。DV気味の彼にも強く主張はできない。そう、彼女には、芯がない、というか、自分がどうすればいいか、なにを思ってるかすら、自分でよくわからないのだと思う。それは不思議でもなんでもなく、自分もそうだし、世の多くの人も多かれ少なかれそういう部分を持ってるだろう。行動の100%に理由や確固たる信念や考えはなかろう。たまには誰かに決めてほしいときもあるし、流されるままになってしまっている部分やままならぬ部分もあろうし。ある種空虚な中心。それだけに、彼女さえはっきりすれば今作の中で起こる“事件”は起こらずにすんだのに、とイライラする。それは自分のなかにある、そういう自分でも捉えどころない自分の持っている部分のイヤさを見せつけられているからだろうか。
皆、意味のある行動や意味のない行動や自動的な行動や、意識的な行動や、なりゆきでとってしまう行動や思いもよらぬ結果をむかえることがある。その一連をとらえただけ。でもとてつもなくスリリングな瞬間がある。たとえば、老いたタカシが自動車を運転して信号で止まっている間にうつらうつらするところ。招き入れるべきでない客を招き入れてしまう瞬間。なりゆきで軽い、罪はないだろうというウソをつく瞬間。ウソにウソが重なる瞬間。
電話が鳴る、受話器を取るか取らないか。注いだワインは飲むのか飲まないのか。部屋の中を行ったり来たりするおじいさん。裏のご近所さんの過度にコミュニケーションを期待して関わろうとしてくる監視の目をどうやりすごすか。車を運転して、停めて、走り出す。都心を無事に走り切れるのかどうか。車映画でもあるのだよな。窓にうつる東京の夜の街。老いたタカシの走る昼間の道。ドライブ移動ドライブ移動。あたためたミルクは電子レンジから取り出すのか取り出さないのか。レンジはあたためたミルクが出来上がったよ、忘れずに取り出しなよ、と警告を発し続ける。なすすべなくオロオロしていると、突然の暴力。そして暗転。
この映画、いいのか悪いのかいまだにわからない。あっけにとられ続けてる。しかしこの紛れもない映画的空間にゾワゾワもぞもぞ居心地悪さをずっと感じさせる、そんなチカラがある。加瀬君のDV男、でもいいヤツでもあるんだろうな…というのは、数年後『海炭市叙景』のアイツにつながる、そう思わせる好役。そしてこわいんだよ、この、人への気持ちや思いが本気だと迷いがないからこそ、その思いを裏切られたと思った瞬間の、暴力が止められない感じがね。
ライク・サムワン・イン・ラブ(2012/日本=フランス)監督:アッバス・キアロスタミ 出演:奥野匡、高梨臨加瀬亮ほか
http://www.likesomeoneinlove.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD22420/index.html