見せ場のつるべ打ちミュージカル映画『レ・ミゼラブル』

TOHOシネマズのムービートピックスで散々その“撮影の裏側”を観せられてきた「レ・ミゼラブル」。やっと公開されたので観に行ってきました。
冒頭の囚人ジャン・バルジャンが重労働に従事させられた後、ジャベールと会話を交わすシーンで「お?」と思う。こんな些細な会話まですべて“歌”なのか?、と。つまりほとんど全編会話に“節”がついてるのですよな。この時点でこの映画は、普通の映画とは異なるコードで、いやもっといえば普通のミュージカル映画とも異なるコードでつくられてるから、そのように受容する態勢で臨まなければいかんのか、と、いうことがぼんやり思われる。それだけに、なかなか自分の受容モードが変更できないと、この映画は合わないだろうな、と思います。
原作未読ですが、長い、ということは有名ですよね。その長い原作を舞台にするには、その原作の美味しいところを抜いて、繋げる作業になりましょう。まえにタカラヅカの舞台(『エリザベート』とか)観たときにも思ったのですが、まるでダイジェストみたいなんですよね。小説だと長大な中にムダだか蛇足に思えるダラダラした描写が続くなー、と思うこともあるのですが、それも小説においては不可欠で重要。でも舞台はそういうところバサっと切って、見せ場で盛り上げ、おはなしの筋を通し、登場人物の人生にハラハラさせ、観客の気持ちを一気につかんで最後までぐいぐい引っ張ることが大事(『レ・ミゼ』やヅカの舞台はね。そうじゃない演劇も当然ある)。
この映画もそういう舞台の手法をあえてそのまま選択している。きっと舞台をみた感動を映画でもそのままやりたい!パッケージしたい!という感じかな。それゆえ、見せ場のつるべ打ちになってて、ある意味中盤以降“慣れる”というか“飽きる”ところもあった。緩急がないのですよな。音楽のライブでもアゲる曲パート、ゆっくりの曲パートとかあるじゃん。キャラクターと人生の過酷さや幸せのスパークした瞬間を歌で表現する見せ場パートが続く上、それら見せ場では、どうしてもバストアップの映像が延々と続く。人物のアップ、そして歌い上げるところでぐーっと引いて、またバストアップ。そのカメラワークにちょっと食傷。映像だからできるスケール感とズームアップなど色々を組み合わせる、などの緩急がほしかったなぁ。
しかし歌は予想通りすばらしかったです。とくにアン・ハサウェイの「夢やぶれて」…アンちゃんのエモーショナルな歌声は、その佇まいや表情も相俟って圧倒的。ヒュー・ジャックマンもうまい。そして予想していなかったけれど、エディ・レッドメインが大変歌がうまくておぉぉぉと思いました。彼の声、歌、よかったなぁ。あとは二人出てくるだけでティム・バートン色がめっきり湧き立つヘレナ&サシャ夫婦もよかったです。
ヒュー・ジャックマンの肉体性もすごいですね。囚人ジャン・バルジャンが重労働の中でやむなく身に着いた筋肉。市長になったジャンのもとにやってきたジャベールが、もしやあいつはジャン・バルジャン?と気づくきっかけもその筋肉、とな。そして、コゼットを大切に思うジャン・バルジャンの上半身がゴツすぎて、これはコゼットの彼氏になりたい人は大変だわな、と思わせる、その肉体の持つ説得力たるや…。
や、ともかく、ラストの「民衆の歌」が良かった。劇中何回も歌われるのに、ラストにオールスターキャストであの迫力ではしようがない。ミュージカルのラストもあんな感じなのでしょうか。主人公が天に召され、亡くなった者らが揃っているところに招かれて、というラストは、ベタながら感動してしまう…この『タイタニック』方式をやられたらね。劇中で何度も「民衆の歌」が歌われてきたのは、完全にこのラストのための布石だろう、という感じだった。引きの画での群像も、これは映画らしい画でこういのが劇中にも観たかったな、と思わせられたのでした。
レ・ミゼラブル』(2012/イギリス) 監督:トム・フーパー 出演:ヒュー・ジャックマンラッセル・クロウアン・ハサウェイエディ・レッドメインアマンダ・セイフライド、ヘレナ・ボナム=カーター、 サシャ・バロン・コーエン
http://www.lesmiserables-movie.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21908/index.html