『偽りなき者』

主人公が窮地に陥れられる、というのは映画としては定番です。そんな“落ちる”要素があるから、“上がる”ラストはとてもカタルシスがあるわけし、そのままバッドエンドも一興かもしれませんし、苦い現実味のある後味もいいでしょう。
…それでも自分がとても苦手なもののひとつに「冤罪」要素があります。主人公が無実ながら罪を背負わされてしまう、陥れられてしまう。観ていてジリジリと胸を焼かれるような気持ちになる。今作も予告の段階でその要素を見せつけられて、きっといい映画だろうけれど、観るのがこわいと少し躊躇っていました。なぜなら、ジリジリと焼かれるような思いで主人公を見守って、最後には完全に主人公が報われる、救われる、疑いが晴れ、すっきりとしたエンドを迎えられそうにもなかったから(同じ理由で『それでもボクはやってない』は観られていません)。それでもマッツ・ミケルセン主演ということで、また映画の佇まいのよさに惹かれて観に行きましたよ。
北欧デンマークの冬の肌を刺すような寒さが画面からも伝わります。おー、北欧映画、という感じ。『孤島の王』とか(北欧産ではないけれど)『ドラゴン・タトゥーの女』などでも感じた冬のロケーションや空気感のピリっと張りつめたような、どこかミステリアスな要素を醸し出すような雰囲気があって、よかったな。
マッツ・ミケルセンは教師をしていたが、学校が閉校になり、ようやっと幼稚園での職を得る。仕事を得たことをもって、離婚した妻の元にいる息子を呼び寄せることを熱望している、という役。幼馴染の皆と狩りにいく場面など映るけど、イケメンすぎる。周囲から浮き上がっているほどにイケメンである。メガネ姿のクレバーで静かで知的で、所作や言葉遣いのやさしくて素敵なこと。そりゃ幼稚園で働く外国人女性からもモテるし、幼女からもモテるわなー……ただ、モテてしまうということが、彼に悲劇をもたらすわけなのだけど。
それにしてもオトナが子どもの話す単語を繋ぎ合わせて、自分の想像でストーリーを創り出すことの危険性よ。これは“純真な”子どもの話す事柄ゆえに余計にバイアスがかかっているようで怖い。ただ「幼児への性的虐待」というような想像をするということは、「彼ならそういうことがあるかもしれない」という自分の中の潜在的な意識の投影なのだよな。マッツの美形、離婚して独身である、年齢、もろもろの要素と子どもの話す単語をつなぎあわせてストーリーにしてしまう。物語は強く、訴求力がある。だからあっという間に信憑性のあるものとして広がり、尾ひれがくっつき、さらにリアリティを増す。そう、ウワサの広まりと一緒よな。そこに「トラウマ」だの「児童心理」だのの一見専門的用語がつっくつとさらに、それらしい感じ、ってのが増す。
オトナが見出した「あのまじめそうな人が実は」というストーリーと、そのストーリーにより落ちていく人を“客観的”に“他人事”としてみるのはおもしろかろう。また、幼女への事情聴取のシーンの完全なる誘導尋問場面、その(オトナが見出だしたい劇的なストーリーを幼女から引き出そうとする)醜悪な問答には心底嫌気がさしてゲンナリしましたね…。そして、一度起こってしまったことは「人は忘れない」。冤罪とはいえ、疑いをかけられるような人間だよな、という思いをぬぐえない。その記憶と物語のもつ強度ゆえの残酷性をあぶりだした作品。あのラストの余韻は忘れがたい。同じく北欧ノルウェー産の映画『孤島の王』でもフィーチャーされていた、森というロケーション(そして鹿も登場)に北欧の冬の厳しさと人間の運命の厳しさが重ね合わさるような静かながら苛烈なラストに感じ入ったのでした。
『偽りなき者』(2012/デンマーク監督:トマス・ヴィンターベア 出演:マッツ・ミケルセン、トマス・ボー・ラーセン、アニカ・ヴィタコプ
http://itsuwarinaki-movie.com/
http://movie.walkerplus.com/mv50921/

※どんな窮地におちいっても信じて助けてくれる友人がいることは、とても心強いよな、というのは一縷の救い要素でした。