鮮烈なイメージの塊り『ザ・マスター』

ダメな方じゃないアンダーソンこと、ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作です。催眠的手法で、その人物の過去/ルーツに眠るトラウマを探り、現在の自分は“本当の自分”ではない、本当の自分をたどれば理想的な幸せを手に入れられる…それに気づかせてくれる「ザ・マスター」=教祖たるランカスター(演じるはシーモア・ホフマン)に心酔する一派も現れれば、敵も現れる。一度は心酔し、お金も時間も差し出したけれど、マインドコントロールが解けたらしく、大金まきあげられたと訴えるものもいる。
さて、そんなカルトにまさに“ひょんなことから”関わりを持つことになる孤独な男フレディを演じるのはホアキン・フェニックス。今作最大の見どころであり、見る者にすごい熱量を持つ塊りをものすごい圧でたたきつけ、安易に咀嚼できない鮮烈なイメージを刻み付けるのが、このホアキンの演技であります。ホアキンがデパートでカメラマンの仕事をしている場面。客に照明を近づけ、熱いと抗議されるも無視してケンカになるところ。横移動のカメラでとらえ続けるそのカメラワークがホアキンの演技と相俟ってものすごいイメージを刻み付ける。や、もう冒頭の海兵隊員のホアキンが浜辺にいるところからその鮮烈なイメージの刻み付け作業がはじまっていて…あやしげな酒を造るホアキン、野菜を収穫するホアキン、文通相手に会いに行くホアキン、マスターに疑念を抱く科学主義者を叩きのめすホアキン、留置場で抵抗するホアキン、ザ・コーズの大会にやってきた信者がマスターの新著をけなすと叩きのめすホアキン、砂漠をどこまでも走っていってしまうホアキンホアキンの夢想や妄想が現実と地続きでその境もあいまいになっていく、あぁホアキンホアキンホアキン!彼の不穏な存在感ゆえ、作中に安定した空気はまったくない。
彼はマスターに心酔してた?や、そんなことは無いな。ランカスターという孤独な男の魂に同じく孤独な自分の心が呼応してしまっただけ、のように思えたけど。それは自己暗示かもしれないし、や、それこそランカスターのカルトのソウルメイト的“スピリチュアル”な感応かもね。それは“運命”か―。
フレディはランカスターと袂を分かつ、というか違う運命を選択する。マスターのほうがフレディを求めてたんだよね。手におえない面を持つ飼い犬ほどかわいい?従順なだけではない思いがけない刺激をくれる存在…だがフレディはマスターの求めを拒み、違う道を歩むことにする。そのフレディのすがすがしい表情。あぁ、あんなこともあったな、という過去にできるようになったということ。もう、マスターは用済み。一時期は必要としていたけどいまやもう不要。
あぁ、やっぱりうまく咀嚼できていない。ストーリーというよりはホアキンやシーモア・ホフマンの演技をすごいイメージでたてきつけ、飲み込みきれないものがまだ胸につかえているよう。でも日が経つごとに、やはりあれはすごい映画だったと色彩のコントラストも鮮やかに印象が際立っていく。うん、すごい映画だ。映画のかたまりを飲み込んでしまったかのような感じだ、いまだにね。
『ザ・マスター』(2012/アメリカ)監督:ポール・トーマス・アンダーソン 出演:ホアキン・フェニックスフィリップ・シーモア・ホフマンエイミー・アダムスローラ・ダーン
http://themastermovie.jp/
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