救いがたいほど成長しない男エイブに救済はあるのか『ダークホース』

見逃していたのですが地元で落穂ひろいできたトッド・ソロンズ監督の『ダークホース』を観てきました。これが素晴らしく作りこまれたダーク・コメディ(ってそんなジャンルあるのか)でした。や、すごかった。
ユダヤ人設定には何か意味があるのかな、このあたりのアメリカにおけるユダヤ人設定の意味合いがどうにもつかみきれないのですが…*1。不動産業で成功している父のすねかじりをしているエイブが主人公。ユダヤ式結婚パーティでダンスに興じる人らの輪の中に自分と同じように交わろうとしない女性ミランダに声をかけるところからはじまる。盛り上がりに交わりにくい性質に共通する部分があるかも?とエイブは思ったんだろうな。
続いてドンドン描かれるのはエイブのダメっぷり。全く成長していない大きなこども。買ったフィギュアが箱をあけたら傷ついてたとトイ○ラスに返品に行くも、「箱あけちゃってるんじゃムリです」と言われて、それでも「弁護士通じて訴えるぞ」と捨て台詞残して帰るエイブ、簡単な書類作成もできないエイブ、父の会社で縁故で雇ってもらいっていながら何も仕事できないエイブ、すねかじりして大人になりきれない自分を認められずに認めたくなくて、まったくもってまっとうな指摘をされても認めないエイブ。自分は悪くないッたら悪くない、悪いのはいじわるするパパだ、自分より頭のいい弟だ、環境だ、自分以外のみんなが悪い。
自分がモテないことはわかってる。でも、案外自分もイケてるんじゃね?と根拠なくどっかで思ってる。ルックスは完璧とは言い難い自分でも、案外、どこかの誰かはオレのこと好きになる可能性あるんじゃね?って思ってる。だからあきらかにメンタル的に問題を抱えているミランダだけど、その「問題」の部分は見ないようにして、見えないフリして彼女の外面の美しさだけで「結婚しよう」という。彼女の心なんてどうでもいい。お互い求め合って心が通じ合って、なんて不要。“普通の男”みたいに結婚すればいいんじゃん。そしたら自分も“世間的”に認められるだろう、一人前の男としてね。家庭を持つっていう一般的家族像にはまればいいんじゃん。
…根本的にわかってない、エイブ。観ているこちらはイライラ。子どもオトナのエイブ。パパに昔言われてた、オレは“ダークホース”だってね。序盤〜中盤は後ろにつけておりながら、最後に追い込んで勝利をつかむ馬。いやいや、それは地力のある場合じゃん、お前に地力はあんのかよ、ってね。
エイブはどうしようもない自分をわかって、どこかあきらめてるみたい。でも前向きポジティブソング*2を聴いてどうにかなるかも、一発逆転あるかも、そんなファンタジー、映画観たいな展開、一縷ののぞみをどこかに持ってる。なんら努力してないのに、ね。
物語はフィクショナルに舞台立てされた世界で展開する。トイ○ラスにはお客は誰もいないし、病院や街角にも現実らしくありえそうに生活感のある人々の姿はみえない。エイブの両親も周囲の人物もカリカリュアライズされた描写。それだけにどこまでエイブの脳内妄想なのか、ストーリー上の現実なのかがはっきり区分けされないシームレスな感じ、そこがおそろしくて、でもそれがすばらしい効果。最後の怒涛の展開にこちらは呆気にとられるというか、暗い穴の底が見えないほどの暗さがどんどん深まっていく深淵を覗き込むような気持ち。暗澹たる気持ち。なんという皮肉、救い難いラストにむけて突き進む、その画面はその暗さと逆にクリアで影すらないように思えるテラテラと輝くようにどこまでも人工的で明るい。そういや食事シーンってほぼ無かったような。それもフィクショナルな舞台立てを象徴している気がするな。
エンドロールで鳴らされる曲のポジティブソングの皮肉ったら、これは昨年観た『ミヒャエル』に匹敵するね。完璧に構成されたフィクショナルな箱庭。エイブのキャスティング(ジョーダン・ケルバー)も完璧であるし、クリストファー・ウォーケン父さん、ミア・ファロー母さんもよかったよ。
ダークホース』(2011/アメリカ) 監督:トッド・ソロンズ 出演:ジョーダン・ゲルバ、セルマ・ブレアクリストファー・ウォーケンミア・ファロージャスティン・バーサ
http://darkhorse-movie.com/
http://eiga.com/movie/77755/

*1:今年観た『バーニーズ・バージョン』のユダヤ人設定もそうだった

*2:きっと変われるよ、的な、ほらJ-POPでも掃いて捨てるほどあるあの類の曲さ