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血は争えない『イノセント・ガーデン』

完全ネタばれてます。けど、これってネタばれ云々という映画でもないような気がする。
冒頭がラストと呼応するというつくり。冒頭、叔父から贈られたピンヒールの靴を履き、父のベルトを締め、母のブラウスを身にまとい、髪をなびかせて悠然と立つミアちゃんの姿。サラサラと揺れる茶色い草原をながめるその眼差しは、思春期を経て“オトナの女”になったかのような…少女だったころにはもう戻れない、一線を越え、オトナの女になった自分に満足しているような感じを湛えている。抑えられていた少女時代は終わりをつげ、自らの欲望/自分の中に潜み、芽生えていたものを自認し、その欲望の芽を思うままに伸ばしていいと自らに許し、欲望のおもむくままに生きる自由を手にしたような感じ。
優れた感覚をもつ彼女は、生まれながらにどこか異なる少女だった。母に馴染まず父にべったり。父は彼女を狩りにつれていく。すこしずつ彼女の中に鬱屈するものを解き放つためかのように、獲物を射止めるプロセスを、その時間を共有しようとする。母は娘ー父の間に入ることもできず、どこかしら疎外感を感じている*1
私のおじさん。突然現れたおじさん。わたしに向けるまなざしがあきらかに違う。それは長年求めてきた、自分の“同類”にやっと会えた、という喜びを抑えきれないまなざし。これは、ヴァンパイアの物語と共通しているような。『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のブラピとトムの関係性のような。同類のものを求める、その同類は世の中の連中とは違う。この選ばれし者の血を受け継ぐものを求める、という。それが原題『Stoker』、ブラム・ストーカーを想起させる名前が選ばれた理由でしょうか。そして劇中のミアちゃん演じるインディア*2もチャーリーも古色蒼然とした衣装を身にまとい、それがまた古色蒼然たる高貴なヴァンパイアの血の物語を想起させる。家のインテリアや古めかしいラジオ、冷蔵庫など、アナクロだし、まったく時代設定がわからなかった。1950年代?…途中でTVが出てきたり、携帯電話が出てきて、あ、これ現代なのか、と驚く。でもミアちゃんは大学の授業でも細かい模様を延々と模写し、からかう男を傷つけるにも「えんぴつ」を使用するわけで。チャーリーおじさんの武器もベルトだしね、今風の飛び道具は使わぬよ、それはエレガントじゃないからね、と言わぬばかりに。
チャーリーおじさんの幼少時。『残酷な少年は弓を射る』のケヴィンばりに嬉々として理由のない悪意を発露させている。案の定精神病院に収容されて、それはベタすぎるよな。でも、チャーリーおじさんの幼少時、幼い弟を生き埋めにしてその上で土をならす仕草をインディアもまったく無意識にベッドで取っていたり、あぁ、こういう画がたまらない。おじさんとふたりのピアノの連弾シーンのエロティックなこと。ぞくりとする。ミアちゃんに忍び寄る蜘蛛のうごき、毎年贈られる靴に囲まれるインディア、性的欲望の衝動を抑えきれないインディア、それらをエレガントに恐ろしく美しく撮ったパク・チャヌクのセンス。
初潮がきて身体的に大人になり、その後プロムで彼女の“超能力”が暴発し、ある種思春期をすぎオトナになったキャリーの姿もちょっと思い出した。インディアの血の中に潜み眠っていた力がとうとう発露する。それはキャリー同様、少女の性の欲望との関連が密接で。ベタっちゃベタなモチーフだけど、画や音楽、インテリアやロケーション*3、チャーリーおじさん演じるマシュー・グードの目力で気持ちを引き寄せられる。ジャッキー・ウィーバーも瞬殺されるけれど、すごいよかったよ、あのオドオドした感じがね。
『イノセント ガーデン』(2013/アメリカ)監督:パク・チャヌク 出演:ミア・ワシコウスカニコール・キッドマンマシュー・グード、ジャッキー・ウィーバー
http://www.foxmovies.jp/innocent-garden/
http://eiga.com/movie/78016/


※冒頭で本編すべてを言い表してるよね

*1:わたし、欲求不満なの、的な『アイズ・ワイド・シャット』でのニコールがぼんやりとほのうかぶ

*2:変わった名前…それも貴族的?

*3:ただ、あのまるっこい石は丸っこすぎたけど、それは寓話性を感じさせるためのあえて、でしょうか