すべての人は母から産み落とされている『嘆きのピエタ』

観ました。これは強烈で、でもどこか現実離れしていて、まるで寓話かファンタジーのようでもある。以下ネタバレてます。
眠りながら精を放つ男。布団の中で意識も不分明でまどろんでいる状態が一番の幸福のよう。しあわせは起きてる世界ではなく、眠っている世界(母の胎内にいるかのごときまどろみの世界)にしかない男。目覚めるとiPhoneに着信があるのは仕事の指令。あきらかにカタギじゃないわけで。生活感のない部屋を出ると、またそこは荒涼としたコンクリートうちっぱなしの古い建造物ばかりの世界。ほかに住人はまるでいない廃ビルのよう。足場も悪いなか、主人公は思った通りカタギじゃないどころか、人に非ずと目を背けたくなる仕事を行う=借金取立人。バカみたいな高利、返せないものには、借金時に加入させたらしい保険が下りるように死なない程度ながら一生を台無しにするほどの障害を負わせる。それは債務者の営む小さな町工場の機械をつかって行われる悪魔のような所業。
碌々口もきかず、感情も無いように見える男。その男の前に現れたナゾの女。ただ、「あなたの母である。放っておいて今更現れてごめんね」と謝る女。男が振り払ってもなお付きまとう。お前の絶対的な味方だと主張し行動する女。目覚めている世界では「味方」などいなかった。自分に属するのは自分だけで、自分対世界という図式しかなかったのに、あなたの絶対的味方で、あなたの庇護者で、あなたを産みだした存在はわたしよ、と名乗る女が現れた段階で、それまで確固としてあった男の“自分と世界”のバランスや構図はがらがらと崩れる。理屈や理由も利害もなしに自分を愛する存在がいることを信じられず、でも、無私の愛を注いでくれるとふと信じた瞬間、自分対世界に生じてしまった亀裂はさらに大きくなり、そこに“母親の愛”が流れ込み、あっという間に*1男を満たしてしまう。男の世界を一変させ、モノや世界の見え方まで変えてしまう。自分が取り立ててきた債務者にも“母*2”がいるのだ、ということを認識する。怖いものなどなかった男に、恐怖の感情がうまれる。この“母の愛”を失うことなど考えられない、そうなったら自分は耐えられるのか?仕事の指示のメール受信機能しかなかったiPhoneで母の携帯に電話をかける、かける、かける「部屋に帰ったらお母さんいなくて不安だったよ。お母さんどこにいったの?心配だよ、おかあさん、おかあさん」まるで子どものよう。
男の荒涼とした精神を表していた食事風景(ニワトリを羽をむしって、適当に湯だたせて無骨に食べる)は母の手料理にかわる。町工場の債務者たちの姿もそれまでと違って見えてくる。男のあからさまな変化。しかしこれは女の復讐の布石。男に、それまでしらなかった「愛情」を求める心を生じさせ、その上で、それをこれ以上ない方法で衝撃的に失ってしまう、というストーリー。彼女はわが息子を彼によって失ってしまったのだから、もうこれ以上失っても惜しいものはなにもないのだから、だからある意味、あの怪物のようだった男より強い。
前半で男が打ってきた布石、人を人と思わぬ酷い行為の報いを受けていく後半。そして女の復讐が完遂される。しかし女は憐れみを禁じ得ない。「この、愛情を全く知らない怪物のような男を産みだしたのも、結局は母の愛情の欠如なのだ。なんと哀れで可哀相なんだ」。それでも彼女は怪物だった男をひとりの人間のレベルに引き戻し、その上で復讐を完遂することを選ぶ。怪物からふつうの人間となり、母の愛情を求めることをやめられない男は、すべてを理解したうえで自分の罪を贖う道をさぐる。贖うことはできない、それは自己満足かもしれない、でもやめられない。それが自分を罰するというあのラストの一本道につながる。なんという鮮烈な画。ラストがきれいにはまってしまった。とても鮮烈で、痛くて、いびつで、でもグッとくる映画。これだから映画を観ることをやめられない。
『嘆きのピエタ』(2012/韓国)監督:キム・キドク 出演:チョ・ミンス、イ・ジョンジンほか
http://www.u-picc.com/pieta/
http://eiga.com/movie/77826/

*1:あまりにあっさり女を信じ、豹変していく男にすこし驚いた。愚直で疑いを知らぬほどに素直に信じてしまう

*2:母にかぎらず無私の愛を注ぐ/注がれる対象