夜の夢もまこと『風立ちぬ』

江戸川乱歩の有名なことばに「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」っていうのがありますよね。彼が色紙によく書いたりしてた定番のフレーズです。映画『風立ちぬ』のOPを観て、まずそれを思い出した。
映画は次郎少年の夢からはじる。夢の中ではドイツ人とも普通に会話が通じるし、風を切って空を飛ぶあり得ないデザインの飛行機の翼の上を歩くことだってできる。異国とも日本とも分からぬロケーション。それらすべて夢だと思うと納得できる。夢の中では、色彩の感覚すらあいまい。声や音すらあいまい。夢の中で聞こえる声は大声なのか小声なのか、それすらわからぬ。だってすべては脳内に響くことばだし、脳内に映写されたイメージだから。実際に網膜に映った映像を見ているわけでも、鼓膜をゆらす音を聞いてるわけではないのだから。脳内に湧出するイメージが時に、オトナや子供、同性や異性、少年少女という他者のような存在を感じさせたり、彼/彼女らの声を聴かせられたように感じさせたり、苦しみや汗、よろこびや快感やかなしみやさみしさを覚えさせる。それらのイメージはふわふわとしたようで、でも、確固としたもの。だって自分の中から出てきて、自分が知っているはずの、自分に属するもののはずだから。だから夢の中では(外国語を喋ってるはずの)異国の人とも意味のイメージのやりとりでスムースに会話ができるわけだ。ただ、いくら夢だと言っても、見たいものだけ見るのが夢じゃない、見たくないもの、直視したくなくて見ないふりをしているものすら夢には現出するでしょう。それはすべてを混沌に陥れる災厄や、自分の為してしまった*1罪かもしれない。
映画は現実の次郎と、次郎が見る夢の世界が同じくらいの重みをもって描かれている。彼は悠然として動じず、どこか浮世離れしたような感じがする。関東大震災でも自分を省みず女性を助け、名乗りもせずにさらりと立ち去る、とか。や、でもしばらく経ってのち、助けた女性が訪ねてきたことを知ったときにダダダっと駆けるところで、あ、この人超然とした体裁だけど、そうでもないんじゃん、と。それが証拠に、最初の汽車でであった瞬間から淡い初恋を抱き続けてたことは後々明らかになるわけで。胸に理想の彼女像を大切に額に入れてリボンかけて抱いているみたい。ロマンティストの妄想家…だからモネの『日傘を差す女』のような構図で佇む菜穂子と再会し、ほんの数度の逢瀬で「結婚したいのです」と父親に言ってしまうのですよな。やっぱり浮世離れしてる。そうして、そんな次郎のことばに、ごく自然にあたりまえのように「はい」と答える菜穂子も地上数センチメートル浮いてるかのようだ。彼女も夢の世界を生きている?いや、彼女は半分「死」の世界に足をかけている、だから現実味が薄いのか。それは「夢」に半分足をかけてる次郎とどこか似ている。
次郎は半ば夢の世界を生きて、夢の世界を現実世界と同じような重みでとらえているようで。映画に描かれないけど、きっと次郎の夢の中ではなんども逢瀬を重ねていて、再会したときは「やっと、あえたね」(©辻仁成)という感じだった…かも。
なんでこんなに夢ゆめ夢ゆめ書いてるのかというと…。作品と製作者本人は切り離すというテクスト論や表層批評なんて今作には適用できない。あきらかにジブリの、しかも宮崎駿の作品であることが今作の重要なファクターであって。駿の脳内の夢の世界に夢探偵パプリカか首長竜にであうセンシングか夢の第○階層へすべりこむデカプーか…そんな感じで忍び込んで、その夢の世界を客観視しているかのようでした。庵野さんの棒読みのようにとつとつと喋るその声もまるで現実ではない夢空間で響く声色というものがなく、ただ脳が見せる夢にたちのぼる“意味”の塊りみたいだった。現実離れした世界の証左のような。
その世界では火の七日間(©ナウシカ)のような関東大震災の大火を経て、なお戦争へ向かう不穏な空気が満たしていく…貧乏な国が高価な飛行機を持ちたがり、飛ぶことに魅了されてしまっている次郎は人を殺す道具となる飛行機製作に没頭する…その行く末は?そこははっきり描かないけれど、悲惨な戦争とそれによる多大なる犠牲。それに次郎は責任の一端はなかったのか?それははっきり描かない。あくまで個人を描くことを選択してるから。ほんのすこし、その重責の一端を垣間見させるも、それは直接は描かない。次郎は夢と現実を同じ重さで生きている。だから死すらも夢のように描かれる。「生きて」と彼女はいった。美しいところだけを見せて、うつくしいまま逝ってしまった彼女、若き花嫁は愛する男に「生きて」と言って去っていく。や、え、それすらも夢の中。わたくしが立ち会ったのは、宮崎駿が自分の極私的な夢の世界をこれまでにないレベルで深くおそろしい夢の階層、リンボ(©インセプション)の階層にまで下りて、全面的につまびらかにした「夜の夢こそまこと」という世界だったのかもしれませぬ。極めて個人的体験である夢を、あのジブリの絵柄でアニメーションにしているという、異様な夢の映画。
風立ちぬ』(2013/日本)監督:宮崎駿
http://kazetachinu.jp/

*1:意識的、無意識的を問わず