汝らのうち、罪なき者よりまずその女に石を投げよ(「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」を読んだよ)

だれが「カーミィ」のことを笑えるだろう、バカにできるだろう。
「カーミィ」というのはこの単行本のタイトル短編の主人公の女の子の職業である。藤島美津華は、ピチカートの「Sweet Soul Reveue」をアコースティックセットで歌う(@カフェライブ)。最近歌い方をウィスパーヴォイスに変えた。かわいいものがすき、雑貨好き、オシャレな服きてオシャレな生活を送ることを職業にしたい女性。すなわち「カーミィ」という職業=生き方。彼女は一人称で「私」の代わりに「カーミィ」と自称する。
仲間はクリエイティブ(ライターとか演劇者とか)じゃなきゃいけない、彼女は自分の周辺からしてそういう武装でガチガチにかためて、自身はオシャレにボッサとか歌ってかわいくて「世間一般とはちがうちょっとマイナーな価値観」もわかってるPOPアイコンになりたい美津華さん。でも、クリエイティブな仲間もイマイチ小粒。自分もtwitterのフォロワーは139人(ちなみにフォローは325人)で、カフェライブも内輪ノリ、ありていにいえば、パッとしないんだな。TVブロスのライターなんて当然取材に来やしないレベル。きっと彼女はカフェライブでも地道にやっていれば、小山田コーネリアスカヒミ・カリィを、小西さんが野本かりあをフックアップしたみたいなことがあるかもしれないと夢見てた*1
でもそんな出会いや運なんて千載一遇だし、よっぽど才能や素敵なルックスがあるならともかくね。それに、もう35歳になるんだよ、美津華さんは。
『爪と目』という今年の芥川賞受賞作の中に出てくるエピソード。北欧雑貨(時にそれは「損傷さえ目立つような古道具をアンティークと称して」有難がったりもする)や観葉植物などにもこだわった主婦たちがブログを開設し、それらのインテリアやライフスタイルを世界に発信しているのを漁って、それを模倣する女性が登場する。ブログで発信されるインテリアなどを模倣する女性はまったく無邪気なのだけど、そうやってブログを開設しているブログ主の女性らについて小説内にこういう記述がある。

あなた*2は、彼女たち*3の見せるものが、彼女たちの身を守る装備だということにまでは考えが及ばなかった。彼女たちが欲しいのは、傷ひとつない、ぴかぴかの体と心だ。あれらの記録は、彼女たちが懸命に貼り合わせてつくった特注品の体と心だ(単子本p.55)。

美津華さんをみてると、この文章をちょっと思い出した。彼女もぴかぴかの体と心が欲しいのだ。そのための手段が「北欧家具」じゃなく、歌とかファッションとか雑貨とかライフスタイルとかひっくるめたぼんやりした「サブカル的ポップアイコン」って違いだけ。彼女はなりたいものになるための手段を択ばない。その行く末は悲惨だけど、一体だれが彼女を負け組といえよう?彼女は貪欲だ。J-popのカバーを音源で出すためにカフェも経営してる男の性的変態プレイも受け入れて、やっとその中途半端なコンピを出す段になって、以前に曲を書いてもらうために寝たギタリストが避妊しないもんだから妊娠しちゃったことが判明して。でも、こどもが生まれたらシングルマザーであることをすら手段にし、放射能への怯えをセンセーショナルに声高に叫び*4、一つ覚えのミトンをやたらめったら作って、自然派(リネンやコットンを身にまとうオシャレ母子登場しがちな)雑誌にとりあげてもらう*5。彼女は“有名になりたい”。それもオシャレな自然派ライフスタイルを送りつつも社会的事象にもきちんと関心を持っているアイコンとして。それだけ。
美津華さんは90年代後半、シブヤ系華やかな頃にちょうどティーンエイジャーくらいだったのかな。誰がティーンの頃の夢を、その時々の時流に合わせつつも捨てられない彼女を笑える?誰もが自分が主人公の自分の人生を生きてる。映画の主人公は成功したりするじゃん、きっと自分も大丈夫じゃん?なにかのきっかけがあればいつか自分が主人公の自分の人生は華やかなスポットライトがあたるようなものになるはずだよ。みんなが認めてくれる、みんなが憧れるアイコンになれるはず。
いや、本当に、誰が美津華さんを笑えるだろう。きっとこの本を買うような人は、twitterやブログやってる人が多いだろうな。facebookユーザーは少なそう(と無根拠に思う)。で、twitterやってるのもブログやってるのも結局は発信したい欲があり、承認されたいし、賛同してほしいし、認めてほしいわけで*6。心の中にそんな欲求がまったくないといえる者のみが「カーミィ」を笑いなさい。直角さんがあとがきで書いてるとおり、「主観と客観の円環。笑うあなたにブーメラン。描いている僕にもブーメランが突き刺さるというらせん構造。世の中なんてそんなもの。人生いろいろ。いいじゃないの幸せならば。」あぁ、この「幸せならばいいじゃん」って自分もよく言う。地球上に存在する人間の数だけ、性格も考え方も様々な人が存在するわけで。他人や世界に迷惑かけないならば、当人が幸せだったらいいじゃない。(とはいえ、やっぱ人のことが気になったりネタにしたくなる欲求もあるじゃん、無意識なそれをやっぱ意識して自戒したりもするわけで…おわらない円環ぐるぐる)

爪と目

爪と目

*1:と思う。そんな固有名詞は出てこないけど

*2:注:無邪気に模倣してる女性

*3:注:ブログ開設者たち

*4:世間の関心の高い事象について意識の高い自分、てアピール?

*5:惹句は「カラフル・ミトンの花畑」

*6:アカウントに鍵かけてフォロー/フォロワー0人とか、もしくはPCのハードディスクに日記でも書いてりゃいいのに、そうしてないってことはそういうことでしょう