『アメリカン・スナイパー』

緊迫したシークエンスを音楽なしで見せつける予告がガツンときた。公開されてすぐ足を運びました。
俳優として、監督しても長いキャリアを重ねてきたイーストウッドの映画をそんなに観ているわけでもない自分には、彼の作家性うんぬんと尤もらしく批評めいたことを書くことはできない。それでも、これまでに自分が観た範囲内で感じてきたことを思い起こしながら書いてみます。イーストウッド作品の描写について思うのは、的確な言いようではないのを承知でいうとどこか「唯物的」だな、と。そこにある事象をそのまま*1見せていて、ムダにアップにしたりスローにして劇伴ドーンとかけて「ここ感動するとこ」などと押し付けるような演出の偏りを感じない。『グラントリノ』にしても、主人公コワルスキーは自己犠牲を決意して最後の行動を起こすのだ!といくらでも劇的にできるのに、淡々と描写がすすんでいく。観ている自分は画面上に展開される淡々とした描写に、ドラマや意味を付加していきコワルスキーという男の思いや人生に“深さ”をどんどん読み取っていき心動かされていった。
さて『アメリカン・スナイパー』。主人公クリス・カイルは、父に「お前は番犬になるのだ」と教育され、アメリカという国を守るべく身を捧げるためシールズでの特訓に耐え、戦地に派兵され、そこでの過酷な体験に心が壊れ、それでも再生しようとする。その矢先に事故により命を失い、アメリカの英雄として埋葬される。左からも右からも「これはこっちの側の映画だからね!」と思われる要素があるなぁ、と思うのは先に書いたように、ある事象をフラットに見えるように撮ってるからじゃないかと。ひとりの射撃の上手な男が戦場でたくさん人を殺しました。という事実に「人とみればテロリストかを疑い、女子供まで殺すことについて彼は葛藤し、心が壊れ、トラウマを抱えつつ再生しようとしたが、やはり戦争でトラウマを負った者に殺された、戦争の酷さよ」と意味付けできる。「悪人/テロリストから、罪なき民間人や大切な仲間、ひいては自由や民主主義を守るために、やむなくテロリストを殺したカイルは英雄だ。英雄がこんな非情な死を遂げるとは…」と意味付けもできる。人は見たいものを見出したいんだから、両陣営から「この映画うちの陣地に入る映画だよ!」と主張されるのは当然でしょう。無音エンドロールにしても、それはどちらの意味にも捉えうるわけで。
で、「イーストウッドが言いたいことはこうだ。今までの彼の作品の系譜から明らかでしょうに。」と“作者のいいたいこと理論”で映画を読み解くのはある意味正しいけど、それだけが映画の観方じゃないだろうとも思う。監督が意図したとおりに意味を受け取らねばならないとしたら受験用国語の「作者がいいたいことを選択肢から選びなさい」という一個の正解だけを追求することと同じになってしまう。作者/作り手の意図を超え、なんらかの意味をまとってしまうことも創作物にはつきものでしょう。時代やその時々の政治的状況などにも左右されるようなこともあるだろう。
じゃあ自分はどう受け取ったのかというと。決してクリスをヒーローとしては撮っていないな、と思った。マッチョな考え方を肯定的に描いてはいない、と。…しかし、苛烈で悲劇的で激しい戦場のはずなのに*2、あまりに事が淡々と進んでいくように感じ、物足りなく感じたところがあった。それはブラッドリー・クーパーという俳優が主役を演じたことも絡んでるのかも。ブラッドリー・クーパーの役作りはすごくて、体のつくりこみ方や、演技も上手いんだけど、どうにも“優男”な甘さが漂ってしまうように感じ、『ハートロッカー』のジェレミー・レナーのような戦場でアイロニーにがんじがらめになってる男のタフさと繊細さのないまぜになった存在感みたいなものが感じられなかったな。ブラッドリー・クーパーの存在感はタフネスより繊細さのベクトルに向いてるのではないかと(個人の感想です)。実際のカイルの写真をみると、そんな優男感はないのだよな*3
と、なんだかもやもやした感じ。砂嵐のシーンなどの迫力もすばらしく、いい映画だと思うけど、自分にとっては『ハートロッカー』は『ゼロ・ダーク・サーティ』のようなズシンとした重さや尾を引くようなイヤさ*4は残らない映画でした。でも、こうやってモヤモヤを書き起こそうという気持ちにさせる映画ということはやはり残る映画なのか(という無限ループ)
『アメリカン・スナイパー』

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*1:というのは厳密には不可能で、カメラ位置やカット割からも意味は生じる。ただ、あくまで演出過多になってない、きわめてフラットに撮ってるように感じさせると思う

*2:このあたり『ブラックホーク・ダウン』は描写が凄まじかったな

*3:映画は映画、現実とは異なるものですが

*4:悪い意味ではない