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恋人たちは日常に帰還する『恋人たち』

『恋人たち』を観終えて、パンフを購入しました。コメント集のところにあった森直人さん(映画評論家、ライター)の 「『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に匹敵する衝撃です!」 に深く同意した。というか観ながら自分もまさにこう思ってたんだ。全然違うジャンルだし表現も全く違うのになんでこう思ったんだろ。
光石研さん、安藤玉恵さん*1など、有名な俳優も出てます。けど、三つのお話のアンサンブルである今作の三人の主人公たちはほぼ無名。その匿名性ゆえに、キャラと人物が限りなくイコールにみえてくる…。OPにいきなり映るアツシのモノローグの迫ってくる感じからして、大変圧倒されてしまって、それ以降は映画への没入感が増し続ける。
でも、演技が上手かっていうと、それは違うのかもしれない。それは日常を生きる自分たちも日常を送るにあたってどこか不自然さをまとってる(他人に対するとき、社会と摩擦を避けるために、我々は演技するetc…)。それに似ているような気もする。映画やドラマのように自然に理路整然としたセリフのような言葉は流れ出てこない、訥々と言葉が出てくる、そういう感じ。これらはヘタウマとかではなく監督の的確な演出により成功しているとしかいいようがない。
あまりにディテールがすばらしくて、その細かいすべての積み重ね、丁寧な演出こそがキモで、それらが無名の俳優たちを輝かせている。苛立ちを抱えるアツシ。あまりに理不尽で不幸な事件により妻を失った彼は、その悲劇を忘れてはいけない=悲劇を忘れることは妻を忘れること、軽んじることに通じると思い、被害者であると自分を定義づけ、棘だらけの鎖で自分を縛りつけているかのようだ。彼の部屋の乱雑さ(…精神をすこやかに保つには部屋をキレイにすることだ、という趣旨の平山夢明先生の文章を思い出す)。抑えきれない憤懣が歩きながら独り言となってあふれると、それを聞いた女子高生がコソコソときもちわるい、という。部屋に戻ったアツシはまた怒りを爆発させながらモノにあたる。その独り言のあふれる感じとか、ふわぁぁ、これ、あるよな、と思うんだ。
瞳子さんの日常のディテールや細かい表情、もう、いちいちすばらしくて、なんでもないところで涙が出てくる。ただただイヤな野郎だったエリート弁護士(四ノ宮)の抱くモヤモヤとしたやりきれない、あふれる思いが終盤になって徐々に形を成して観客に伝わってくると、本当に胸を衝かれてしまった。
主人公の三人とも映画の始まった頃はどこかふわふわと地に足がついてない。それゆえ不安定で観る者も彼らはどうなってしまうのだろう、とハラハラする。完全体の「恋人たち」は今作には出てこない*2。彼らは「かつてはいた*3」もしくは「どこかにいるはず*4」もしくは「手の届かない*5」自らの半身/恋人を求め続ける。その過程の物語。それらの半身は「もういない、ととりあえず認める*6」「どこかではない、ここにあるものを見つめなおす*7」「どうにもこうにも届かないと認めるしかないのかと佇む*8」というところで映画の終わりを迎える。彼らは少し地上に近づいて、ふっと足を地上に着けて再び日常を歩みだす。その歩みはどこへむかうのか…ここで描かれる橋口監督の思いをしっかり肯定したいと思った。希望は、ある。光差すところを見つけること。アツシの「ヨシ」というあの掛け声と橋梁にはざまに見える切り取られた青空のラストカットがどうしてあんなにも心打つんだろう。日常への帰還のすばらしさ。これは『マッドマックスFR』並みに感動的なラストで。マックスは闇から這い出すことができた。それは他者とのふれあいにより光差すところをふたたび見出すことができたから。希望は、ある。『恋人たち』に描かれた三人の主人公たちもほのかな光を見出してそちらへ歩みだすだろう、と思えた、その肯定的なメッセージがとても感動的だった。最後に流れるakeboshiの『Usual Life』が素敵で、音源購入して何度も聴いてる、そして、ふと「あぁ今頃瞳子さんどうしてるかな」とか思う。そうやって何度もディテールを思い返して思いを馳せる、自分にとってはそういう大切な映画になりました。
『恋人たち』(2015日本)監督:橋口亮輔
http://koibitotachi.com/

ぐるりのこと。 [DVD]

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*1:今作の安藤さんはもう、素晴らしい!最高!笑える!

*2:あえていうなら、アツシが見かける酔っぱらった彼とそれにまとわりつく彼女、ぐらいかな、恋人たちといえるのは

*3:アツシの場合

*4:瞳子さんの場合

*5:四ノ宮の場合

*6:アツシの場合

*7:瞳子さんの場合

*8:四ノ宮の場合