『犬猿』


映画『犬猿』予告編

ぼちぼちと気になる映画は観にいっていて感想もまとめたいと思ってるけど、とりあえず昨日観た映画の印象が鮮烈なうちに感想をすぐに書き留める。

今作は観ながら「つれー。つれーわー」とちょいちょい小声で言ってたほど辛面白さがあるんだけど(主に姉パート、あの花言葉調べてからの踊るシーンは選曲の感じも含め最高)、思いがけずガツンときたのは以下のような場面。

窪田くん演じる弟が色々あってやっぱ厄介ごとを引き起こした兄(新井さん)のことを疎んじる発言をし、「あいつと俺、本当に兄弟?あいつあまりに俺らと違いすぎるよ。お父さんも人の借金を連帯保証人になって負わされたのを文句も愚痴も一切言わずにいるような人なのに」と言うと、母が「お父さん、愚痴も文句も口では一切言わないけど、寝てる時に『殺してやる』とか『金返せ』とか大声で寝言言ってすごいんだから。結局、親子(家族)なんだよねえ」

このボディーブロウ感すごい。家族からの逃れられなさに絡め取られる絶望感がふわっと窪田くんの表情に浮かぶ。

やばいビジネスで羽振りがよくなった兄にすごいジェラスを感じつつ、「地道が一番なんだから欲しいものは自分で買うから」と兄がプレゼントしようとするものすべて否定してた窪田くん。しかし、会社で上司から「君、頑張ってくれて成果出てるから昇給するよ!7千円だよー*1やっぱり地道が一番。」と言われて一瞬窪田くん、すごい目つきになるんすよね。その後駐車場から車出そうとして(ボロいので)なかなかエンジンがかからない窪田くんの様子を見て同僚が「大丈夫?」って聞く。もちろん穏やかげに(でも若干死んだ目で)「大丈夫大丈夫」と言うんだけど同僚は「や、さっき人殺しそうな目をしてたから」。…って!人にそんなこと言うって*2あり得ないけど、これは映画だからOKなセリフ。

そんなうまくいくわけない、いつか自滅するよ、と思ってバカにしてる兄なのに、やたら羽振り良くしてるあいつに比べて俺の昇給ってそんなもんかよ。兄に嫉妬してる、でも嫉妬を感じてる自分を否定して泰然自若と平気なふりしてる。こんな複雑なぐちゃぐちゃした感情が沸き起こるっていうところに、血のつながりからの逃れられなさ、見えない縛りのきつさを感じさせる。

…いや血のつながり、っていうか「家族という共同体に依存して生きねばならない時空間」が生む何か、という気がしますが。血が繋がっていても、感情や思考は異なる、全然違うそれぞれ独立した個体。だからこそ、合う合わないもあるのに「家族なんだから」の一言で折り合っていかねばならない小さな集合体。

愛おしくなったり、尊くなったり、かけがえがなく優しくしたい、と思ったりすることと、どうしてそんなことするんだとイライラしたり、考えが全く合わず頭にきたり、いっそ消えてくれ!と思うこと、全てが共存し、それぞれの瞬間瞬間での感情の発露はいちいち嘘じゃない真実なんだという厄介さ。

「頭良くてプライドが高いんだよね」と姉のことを評する妹。いや、逆に言えば、頭が良くない自分、と感じてるコンプレックスがあるってことで。まさに諸刃の剣というか、きょうだいを評する言葉は、裏っ返せば、そのまま自分の弱いとこだったりもするし、きょうだいをそんな風に他者に言っちゃう自分が嫌になってしまうというなんともいえぬ負のスパイラル。聞き手が同調して、自分のきょうだいのことを少し非難する口調になると、かえって悪し様に言ってたきょうだいのことを擁護したりして。こういう複雑な感情の動きをさらっと描き出すうまさ。

良かれと思って、何気なく言ったつまらない一言が「あんた私(俺)を馬鹿にしてんの」となるラストの兄弟姉妹の会話の流れの巧みなこと。人は変わる?変わらない?いや、変わるし変わらない。人間はガチガチに固まった存在じゃないから、感情がある生き物だから。優しさが勝るときもあれば、うざい、嫌い、の方が勝るときもあるでしょ。どういう感情がそのとき高ぶるかだけ問題であって、オセロみたいに表が裏に変わるようなことがないのが人間。100%の善と悪があるならいっそ気が楽。そうじゃないから複雑怪奇でなんだか愛おしくてたいそう面倒で、それゆえそれらを表現しようと映画や本や音楽なんかの創作物が絶えることなく生まれ続けるのが人間世界。…と『スリー・ビルボード』という傑作を観たときにも思ったことをふと思い出したりもしましたね。

*1:セリフ正確に聞き取れてないかもしれないです

*2:まして仕事の同僚程度の仲で