『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』

神戸の109シネマズで2週目にして朝イチとレイトの上映だけになっている映画『リトル・ランボーズ』、夜は家でぼんやりしたいので、朝イチで行こうと思っていたのですが間に合わなかったので、予定は取りやめました。
じゃ、久しぶりに街の散歩に出かけようかとも思いましたが、億劫になって一日引きこもることとしました。

そこで脳内の記憶を辿って散歩に行きたいところを思い起こしてみました。最近、モトコー行ってないな。そういや高速神戸〜新開地の地下街も行きたい。来月はアートヴィレッジセンターに映画を見に行くから、そのついでに行ってみよう、と思いました。せっかくはじめたブログに写真も載せるべく、カメラ持っていこうかな、とか。

高速神戸〜新開地のあたりは昔ながらの神戸らしい雰囲気があり好きなところですが、きっと『るるぶ神戸版』とかには余り載っていないと思われます。JR神戸駅は東京駅を起点とする東海道線の最後の駅であり、わかりやすい駅名でありながら、経済や商売の中心はお隣の元町駅や三宮にあり、ちょっと存在感が薄めであります(しっかりした立派な駅舎もあるし、ビル郡もありますが)。その神戸駅を少し西に行きながら山側へあがると新開地があります。
新開地という地名を聞くと思い出すフレーズがあります。しっかりした引用ではなく脳内記憶の引用なので不正確ですが、内容は次のようなものです。

大阪の新世界も、神戸の新開地も「新」がつくのにあたらしくない街。

これは兵庫や大阪近辺の人には、ちょっとピンとくるフレーズだと思います。たしかに新しくない。古くからの花街というのでしょうか、女の人が商売をする街に近い(兵庫は福原、大阪は飛田、だったかな)、むかしの「盛り場」というか「繁華街」の雰囲気。成人向け映画館がある。というような共通点があります。この共通点をうまく言い表したなあ、というこのフレーズは中島らもさんの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』で読みました。
この本がとても好きで、学生の頃に何回も読みました。いくつか読んだらもさんの本のなかで一番好きだった。この本の中で描かれているのは、らもさんの高校〜大学の学生の頃の話だから、学生の自分にとって近かったのかな。

らもさんは灘高校という阪神間進学校として超有名な学校へいき、完全におちこぼれてしまう、そんな中、学生運動やら音楽に夢中になったりするその青春の時期をいきいきと描いたのがこの本です。
記憶を辿っただけで思い出すのは
 ギターのマイナーのことを「悲しげな顔の表情」で弾けばマイナーだと思ってたらもさんの友人のエピソード
 三宮の北側の人が溜まるところで溝板をはがして硬貨を拾ったエピソード
 大学で学生運動が流行ってるから灘高校でもやってみようとしたエピソード
とか。うろおぼえですけど。

あとどんな文脈だったか定かではありませんが、らもさんがこの本のなかで、人生にはそんないいことばっかりじゃないし辛いこともたくさんあるけど、ある一瞬の幸せな大切な瞬間がひとつでもあれば、そんな瞬間を額にいれて大事に飾っていくようにすれば、たまにその額の中の幸せな瞬間を見て、なんとかやっていける、というような内容のことを書かれてました(おおざっぱな内容はこのような感じ)。
人生ってそんなもんかーって。若いながらに思わせられた。
らもさんの、その後の人生もアルコール中毒やら薬物やら、本当に起伏の激しいものだった。
でも、この本を読んでたから、らもさんはきっと大丈夫だし、自分もなんとかがんばろうって思ってた。

らもさんは、酔ってお店の階段から転落し亡くなります。
アルコール依存や薬物使用から、自ら死を選んだようなものだったんじゃ、というような憶測もすこしあったと記憶しますが、そうじゃないと確信のように思ってたのは『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』を読んでいたからだと思います。

本の内容は、とにかくばかばかしくて読みながら笑いをこらえられないようなとこが多かった。学生の頃に読むのが最適だと思います。どの時期に本と出会うのかも、大事ですね。自分はいいときに出会ったからこの本は記憶に刻まれたんだと思う。タイトルもかっこいからあたまの中にしっかり残った。

来月新開地に散歩に行くまでに、もいっかい読み直そうかな。

こんなところで。

『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』中島らも
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