あたかもエイリアンの誕生のごとく生える羽のリアリティ『Ricky』(フランソワ・オゾン監督)

昨夜はほとんど書いていた『Ricky』の感想が消えたのでした…そのショックに打ち震えたものの、懲りずに書いてみます。せっかくいろいろ考えたんだものな。
元町映画館に観にいったのは、神戸での上映初日でした。整理番号は11番で、全部でも2〜30人くらいの入り。フランソワ・オゾンは「オシャレ雰囲気的フランス映画を撮る人、なの…か?」と思ってましたが、何作品か観てみると雰囲気だけじゃなくて、なんか気になるところがあるな、という印象。『Ricky』はこれまでいくつか観た彼の作品の中でも、かなり奇妙で、また、かなりおもしろいと感じました。フランスのとある街に母(カティ)と小さな娘(リザ)が住んでいました。お母さんはある日職場に新入りでやってきた同僚(パコ)と出会ったその日にデキちゃって、とんとん拍子に同棲し、あっという間に男の赤ちゃんがうまれます。産まれたその子に娘が希望したとおり“リッキー”と名づける。すこし奇妙なその赤ちゃんの背中から、ある日、なんと…羽が生えてきたのです。そこから始まる物語。
ポイント1⇒オゾンがこの映画で映像にしたかったのは、間違いなく「人間の背中に羽/翼が生える過程」だと思う。リッキーの背中にあざが出来る。そのあざがふたつに増えて、ある日、異様な動くモノが血を流しながら背中の皮膚をつきやぶって生まれ出てくる。肌色の異様なモノが出てきたところは、エイリアンが腹を突き破って出てきたところと似ていたよ、なんとなく。エイリアン同様、人知の及ぶものじゃない感じと、造形のグロテスクさが素晴らしい。リッキーの羽が背中を突き破って出てきたその姿は、まごうことなき手羽先。手羽先のようにくの字に折れ曲がっていて、骨がくっきり浮き出てる。それがはたはたと少しぎこちなく動く。たまさか可愛い赤ちゃんの背中から生えてるからまだいいけれど、そうでなければ本当に悪魔か何かと思うほどグロテスク。まさに奇妙なフリークスだよ。それが、段々と大きく伸びてきて、ふわふわとした羽がまばらに生えて、やがて立派な鷲のような羽に成長する。ふわふわの羽が増えていく過程は、あたかも髪の薄いおじさんの頭の増毛の過程みたいでした。いやはやCGってすごい。どこまでもリアリティ(ひいてはグロテスクさ)にこだわった「羽/翼」を観るだけでも一見の価値あり(特に羽の初期が良いです)。カティがリッキーのために小さく軽いヘルメットや膝あてを買ってきて装着し、そーれ、とリッキーをふわふわと飛ばして「うわぁ」と喜んだのもつかの間、窓にガツンとあたって落っこちるくだりなどのディテールもよいですよ。しかし、飛び立ったリッキーを見て大喜びするお母さん(後半にもそんな場面がでてくる)、それでいいの?不安じゃないんかい、とは思いましたけど、リッキーの姿により、人間が持つ空を飛ぶことへの根源的な憧れや欲求が刺激されちゃう、ということでしょうね。
ポイント2⇒次なるポイントは家族、特に母を中心とした家族。カティはシングルマザーで、不安定、さみしい、心もとない感じが一杯*1。だから新入りの毛深いnotイケメンのパコにも視線が吸い寄せられる。パコもさみしさオーラを感じ取ってチラチラ視線を送る。さみしさを埋めてくれそうな存在にすぐ飛びつくカティは娘リザのことを愛していても、やっぱり自分本位に動いちゃってる。リッキーが産まれてからは、リッキーとカティの結びつきが優先されるから、リッキーの育児に協力的に見えないパコにいらだつ。彼には家族のいる“巣”を補完する役目を果たしてほしいという思ってるのに。カティは“普通じゃない”リッキーを巣の中で守ろうとする。外の世界はあぶないよ、と他者を頼ることをしない:このあたりの“子を守ろうとする母”って女性性のイメージなんでしょうね。だから、とあるきっかけで「空飛ぶモンスター赤ちゃん」として世間に知られることになってしまったのを心配して、家に戻った(男である)パコは、リッキーを表に連れ出し、他者へ助けを求めようとするんだな。リッキーという存在がトリガーになって、巣篭もりする女性vs他者や外の世界に足をかけてる男性の対比が生じる。この対比をどう収めるか、落としどころに至る契機はリッキーの不在により与えられる。リッキーの不在に絶望したカティを救い、再生の契機を与えるのはやっぱり、リッキーみたく見える、でも、真にカティを救ったのは、パコとリザだと思う。パコとリザ⇒“帰れる場所:家がある”ってこと。帰れるところがあるから、カティはきちんと生に向き合える状態になったんだな、と感じました。女性の深く深く愛に没頭する主観も大切だし、客観的に他者への世界の接点を持とうとする男性性も必要だし、そのふたつをつなぐ子どもも大切で…つまり家族っていう場が大切*2
しかし、リッキーは天使?悪魔?鳥人?リッキーは天使のように、なんらかの善を行う使命を帯びたような存在ではないと思う。善をなす者でもなく、悪をなす者でもなく、なんにもしない存在だと思ったのでした。例えば、犬や猫やぬいぐるみ、フィギュア、植物、なんでもいいけれど、存在しているだけで人になんらかの感情を呼び起こす存在があると思う。かわいいなぁ、とかやさしくしたい、癒されるとか、ムカつくとか。そんな存在と同じように、ただ単に可愛い赤ちゃんに羽が生えてるだけの存在だと思う。人に害をなさないという点でエイリアンと異なるけれど、本能に従って自由に生きようとする“フリークス”という点では共通するかも。あと、彼に出会った人の感情を乱すところも、って強引か。自分がリッキーに出会ったら、エイリアンに出会ったときと同じように、まずのけぞるだろうな、うん、その点でもエイリアン=リッキーほぼ同一人物説…いやいや強引だね。

『リッキー』(2009/フランス=イタリア)フランソワ・オゾン:監督
http://www.alcine-terran.com/ricky/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17465/index.html
 こんな赤ちゃんの背中にリアルな手羽先が・・・
 リザ役の子が、超かわいい。ほんとに超かわいい

*1:そんなさみしさを埋めるための直球描写が結構な冒頭にあります

*2:オゾンはゲイだからこういう主題がを描いてる?:私見ですが