『水曜日のエミリア』

原題『Love And Other Impossible Pursuits』こと『水曜日のエミリア』を観に行きました。
NYで弁護士をしているエミリアは職場の上司ジャックと不倫のすえ、妊娠する。ジャックは冷え切った関係になっていた妻と離婚し、エミリアと結婚する。彼には前妻との間に男の子ウィリアムがおり、ウィリアムは母親の家と父親の家を行き来していた。エミリアは無事女児を出産しイサベルと名付けるのだが、イサベルは生後わずか3日で亡くなってしまう。喪失のかなしみからまだ抜け出せないでいるエミリア。ウィリアムとの関係もどうもうまくいかないのだった…
このお話は、喪失と再生の物語で、よくあるフレーム、といえばそうですね。再生のカギが何か、というのが物語上の重要なポイントになると思います。この映画の場合はカギは何なのかな。宣伝でみるかぎりウィリアムみたいだけど、果たしてそうなのか…
ナタリーは、生真面目で自分にも他人にも厳しくて、人と接するのにすこし不器用で一途な女性エミリアを演じてます。うん、彼女に合いそうな役ですね。エミリアは親の離婚を経験したこともあってか、結婚なんてしない、といいながら、一目ぼれした上司にアプローチして不倫関係になる。弁護士になるようなインテリで、自分ひとりで生きていこうと思いつつ、結局どこかで、父的な存在、甘えられるような人を求めている…すごいステレオタイプな断定で、書いてて我ながらイヤになりますが“そういうことってあるだろうな”と思う。自分を律しようという意識がたいそう強いんだけど、どこかグラグラ不安定なのですね。だから、そんな自分を受け止めてくれて甘えさせてくれるような大きくやさしい人を求めてて、そこに上司ジャックがぴたりとはまったわけです。
それゆえ自分=ジャックの関係性には充足してても、ウィリアムとか元妻とか、自分の親との関係になると、とたんにギクシャクする。甘えられない相手対しては、彼女は常に自己規範に合うように正しく行動しなくてはならないから、相手に気を遣ってしまってしようがない。ウィリアムの幼いがゆえの言動*1も許さなきゃならない…良好な関係を保たねばならない、だって自分は“義理の母”なんだもの。一方自分の父の不誠実だった行動はいつまでも許せない…。エミリアは、自分の中にある規範意識がつよくて、ジャック以外の人には甘えることができない。相手のふところに入って、相手にある程度任せて、自分も相手も楽でいられるような関係を持つ、とか出来ないのだな。だからエミリアは固い人で、冷たくみられたりしてしまう、彼女は必死なだけなのに。そしてイサベルを亡くした彼女はことさらに思う、自分のせいでイサベルは死んだ、自分がわるい、自分が、自分が、自分が(ループ)。このイサベルの死の原因が自分にある、と思い込んでしまったことによって、自分の内的世界にはまっちゃって、ジャックまで遠ざけてしまうことになる、そうなると夫婦としてやってくのはムリってなるわけで。
そこから再生するカギといえば、他者を受け入れることしかないよなぁ。イサベルの死因は自分になく、医学的見地で再検証しても、やむを得ないことだった、ということを受け入れる。人為だけでこの世界は成り立ってるんじゃない、っていうことを受け入れる。他者*2が自分のために向ける優しさがあるっていうことも受け入れて、そこをちょっと信用してみる…するとちょっと楽になったんじゃないかな。そうなれるきっかけを与えたのはたしかにウィリアムでしたね。ラスト、ウィリアムが「僕はイサベルの生まれ変わりにいつか会うよ」、と言い始め、「輪廻転生を信じるから僕は仏教徒になるよ」、とエミリアにいう。かなり唐突な感があったんだけど、今、この感想を書きながら、なんとなく自分のなかで整理できてきたような気がする。人為以外の部分を信じてみる、おおいなる自然にゆだねてみる、他者を信じてみる、ってことの重要性かな(これはウィリアムの母が一神教ユダヤ教徒であることとの対比になってるようですね)。
ナタリー・ポートマンが製作総指揮したのもわかるような気がするなぁ。そんな、“なんとなくわかるような気がする”という普段は避けている言い回しを多用したくなるような感想を抱きました。人によって、この映画分かるなぁ、と思うかそうでないかで、評価がわかれそうな気がするな。

『水曜日のエミリア』 (2009/アメリカ)監督:ドン・ルース 出演:ナタリー・ポートマン、スコット・コーエン、チャーリー・ターハーンほか
http://wed-emilia.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18465/

タイトルも『The Other Woman』から『Love and〜』に途中で変更になったりしたのかな(それでもイマイチなタイトルだけど)。アメリカでも単館系2館限定での公開だったようで、公開まで紆余曲折があったみたいです。アメリカでの興業が地味な感じになっちゃったのは、作品自体の地味さ、すっきり爽快感のなさ(とアメリカ人には感じられそう、あの輪廻転生のくだりは)ゆえかなぁ。観た人が“なんとなくわかる派”と、“ピンと来ない派”にわかれて、後者のほうが多そうな、マイナー感が漂うけど不思議に心に残るような映画でした。

*1:イサベルのためのベビーベッドなどを不要品だからオークションで売れば?とか

*2:エミリアが自分とは相容れないと思い込んでたジャックの元妻も含む