『ラビット・ホール』

予告を観て地味そうだな、と思いながらも気になる感じだったので初日に観に行ってきました。子ども亡くした親がその悲しみを乗り越え再生する物語…きっとこれまでもたくさん描かれてきたテーマ*1。今作は子を失って既にしばらく経った設定で、特に事件が起こるわけでもないけれど、喪失感にとらわれた家庭の空気や会話、雰囲気にリアリティがあって、その細部や緊張感に引き込まれる作品でした。
我が子の永遠の不在、という悲しみが凝り固まってできた地雷のようなもの。その地雷があるのはわかってて、埋められてある付近がこんもりしているのが視界にチラチラ入ってきたりもするけど、そんな地雷は埋まってないようなフリをしている。けど、ふとした会話の流れで“あぁ、地雷はあそこに埋まってるじゃん”とその存在を想起してしまい、不穏な空気になったりする。地雷を踏まないようにお互いに気遣っているつもりだし、そんな相手の気持ちや心遣いも分かってはいるのに、言っちゃだめだと分かっている言葉を言ってしまって、地雷がちょっと小爆発を起こしてしまったりする。それが夫婦間、母子間、姉妹間などニコール・キッドマン演じる主人公ベッカを中心とする人間関係において展開されます。やっかいな地雷は存在しつづけ、もてあましているけど、どうしようもない、という状態。
小爆発を起こしたらそのあとをなんとかして修復しようとしたりもする。でもやっぱり無理。でも歩み寄ろうとする。でもやっぱり口げんか。意地になったり逆ギレしたり、謝ったり…その繰り返し。しかし、ベッカとハウイー(アロン・エッカート)の夫婦は、ともに苦しくてもがき時には衝突しながらも、“ここではないどこか”=“息子が生きていたという痕跡のない世界”へ逃げはしないのです。だから、見えないほどゆっくりした歩みで、たまには後退もしてしまうけど、すこしずつでも、地雷が爆発しないようになんとかしようという気持ちが優ってくる。再生に至るための目覚ましいきっかけはありません。誤って息子を事故死させてしまった少年とベッカの不器用ながら実直さの伝わる訥々とした会話や、夫のジタバタ*2、母や妹との口論、そして時間、そんなすべてがトータルで作用してすこしずつ日常を取り戻す方へ歩みだしている。
ただ、悲しみは消えない。それはどうやっても消えない。ここで主人公ベッカのお母さんのセリフと演技が良いです。もしも映画を観ようという人は、ぜひ映画でそのセリフを聞いてほしいのだけど。…大きい石のような悲しみが生じても、段々軽くなる、もう大丈夫かな?とおもってある日ポケットに思い切って手を突っ込んでみる。すると石はまだある。小石のようになってるけど、厳然として存在し、それは消えない。でも消えないことは、“彼”がいた、という証しでもある。
ラストも安易に癒されたりしてません。解決もしていない。ただ日常を思い浮かべ、それをなぞるように生活する。痛みや悲しみは消えない。でもすこしだけ和らぐ。周囲にもすこし気を配ってみる。小さな積み重ねで大きな石が小さな石になるための時が経つのを待ってみる。一人ではなく二人で支えあってその時を過ごそう、という。このラストには、うつむいていた顔が少しだけ上にあげられた、みたいな感じを受けました。ほんの少しだけ浮上する契機を得たような心の動きの表れなんだけど、主人公がやっとすこし穏やかさ得られたみたいで、ちょっとほっとした。鑑賞後、なんだかしみじみ感じ入るような、そんな映画でした。
ラビット・ホール (2010/アメリカ)監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル 出演:ニコール・キッドマンアーロン・エッカートダイアン・ウィースト、サンドラ・オーほか
http://www.rabbit-hole.jp/index.html
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19374/index.html

息子を事故死させてしまった少年のルックスといい話し方といいこれも素晴らしかったよ。彼のパラレルワールドの話もそれでベッカは救われるわけではなく、その一助になったかな、くらいの扱いなのがいいですな。

*1:今年観た『水曜日のエミリア』もそうだったな

*2:グループカウンセリングにいったり、マリファナやったり、妻の意見にのって家を売ろうと言ったり