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『ベルフラワー』

ホモソーシャル全開なり。でも、それでも主人公(男)は女性を求めて、寝たりする。それでも女は信用できない、やっぱり男同志の関係に最後は行きつく(安住の地という感じ?)とかいう。うーむなんかそこの論理はよくわからん。というか論理なんか無いのか。気分とか感情とか雰囲気か。
この映画のとてもいいところは、奥手でオタクっぽい主人公ウッドローに積極的にアプローチして、ちょっと冒険させて、エキセントリックな魅力で籠絡しちゃって、ウッドローをどっぷりはまらせてしまう女性ミリーのキャラ。彼女は別に策を弄してるわけじゃないのよな。結構素直にウッドローに興味を持って、ふたりでいる時間や空間が楽しいんだよ、という雰囲気をちゃんと醸し出してる*1。でも、ふたりでイチャイチャと幸せな場面なはずなのに、どこかミリーとウッドローの気持ちのシーソーは均衡でなくって、ウッドローの方が夢中になりすぎてて、どこか不安定/不均衡から生じる不吉さが孕まれてるのな。…だから、それまでの彼女の周囲にはいなかっただろうウッドローの魅力が、時間の経過にともない新鮮味を失い、ちょっと気分が下がっちゃう→もうムリかな→浮気。という経過になるのもやむを得ないのかも、と感じられる。それに対して恐ろしく激昂し、逆恨みというかストーカーというか暴力性を爆発させ、精神が病んでいくまでにいたるウッドローは自身の性質になんらかの脆弱さがあったんだろうよ、と再認識させられる。ウッドローが世間ずれしていない、とかピュアだったとかってこともあるのかもしれぬけど。
そりゃあ、あんな寝取られ場面にばったり遭遇すればトラウマだろうし、すごい衝撃で病みそうだろうと思う。けど、そんな衝撃も苦しみも悲しみも、癒す特効薬を人間は持ってるのよな。それは「時間」です、「時間」(大事なので2回言った)。『ラビットホール』という映画では人の死というこの上ない悲しみについて、その悲しみは無くなることはないが、小さくなることはある、時間が経過すれば…というようなことが語られていたけど、まさしくそうで。
悲しみや衝撃を抱いて時が経つのを待てず、周囲への多大な迷惑をかけ続け、しかもエスカレートさせていく主人公に共感なんてできませんが、これは「映画」だものな。映画だからそういう劇的な主人公がいてこそドラマが成り立つし、そういうイタイ主人公を目の当たりにして「うわぁ」って思ったりわが身を振り返ったり反面教師にしたりするわけで。それにしても親友のエイデンはちょっと気持ち悪いほどにウッドロー依存がすごかったね。ウッドローがエイデンを求めてるんじゃなくて、エイデンがウッドローを求める映画であるのですな。だからエイデンはウッドローを傷つける者を許すことはないけど、ウッドローをわが手に取り戻し庇護の元に置くことでふたりで安定してぬくぬくとマッドマックス2の映画世界でキャッキャいってられるー、ウフフー、という感じなのかなーと思っちゃう。
いろいろ思わせられる映画なのでこれはいい映画だと思う。あとウッドローを振りまわす彼女ミリーが実際に監督に大失恋を味わわせた彼女だということも相当趣深いし、画質も雰囲気たっぷりでよかったな(町山さんの解説によれば、たしか監督の手作りカメラだった、ような)。傷ついたぼくは触れるもの皆傷つける!というカタストロフはよくあるけれど、ざらつきを感じさせるような、かえってぼやけてソフトな印象すら抱かせるような映像はそれが夢か現実が妄想か曖昧模糊としていて、さらに雰囲気を増す効果があったと思われる。そんな感じ。
ベルフラワー(2011/アメリカ)監督:エヴァン・グローデル 出演:エヴァン・グローデル、ジェシー・ワイズマン、タイラー・ドーソン、レベッカ・ブランデス
http://bellflower-jp.com/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD20879/index.html

※コートニーがなんでウッドローに肩入れするのかはちょっとよくわからんかったなー。
※退院するウッドローの傷癒えてなさすぎ。

*1:ここの幸福感をちゃんと描いてるから後半の展開が生きるのだろうね